現代という幕間 第2章:異なる個体値(ハイパー・アクティブの残像)
頭皮に、微かな、しかし執拗なピリピリとした刺激が走る。
僕は今、父に勧められて購入したtDCS(経頭蓋直流電気刺激:頭皮に配置した電極から微弱な直流電流を流し、大脳皮質の神経活動を修飾する非侵襲的な手法)のデバイスを装着している。前頭前野(思考や意思決定、感情の制御を司る脳の最高中枢)の直上に位置する陽極から、脳の深部へと電子の群れが流れ込んでいく。
「これで少しはマシになるはずだ。脳の回路が焼き付いているんじゃなくて、単に電圧が足りないだけなんだからな」
デバイスを贈ってきた時、父は電話越しに快活な声でそう言った。
僕の父は、僕と同じADHD(注意欠如・多動症)の診断を受けている。しかし、僕と父の間には、同じ「発達障害」というラベルでは括りきれない、決定的な個体値(インディビジュアル・バリュー:個々の個体が持つ独自の特性や能力の数値)の差が存在していた。
父のADHDは、典型的なハイパー・アクティブ(多動性が極めて高く、常に刺激と活動を求める性質)だった。
彼は、一つの場所に留まることを生理的に拒絶しているかのように見えた。平日は仕事に猛烈なエネルギーを注ぎ、週末になれば、まるで義務であるかのように僕たち家族をアウトドアの世界へと連れ出した。登山、ロードバイク、カヤック、そしてキャンプ。父の関心は、常に外部へと向かって放射され、そのエネルギーが枯渇する様子を僕は一度も見たことがなかった。
目を閉じると、幼い頃の記憶が、tDCSのパルス(短時間に発生する電流の波)に同期して鮮やかに蘇る。
あれは、愛媛の山深いキャンプ場だっただろうか。父が運転する古い四駆のワゴン車には、テトリスのブロックのように隙間なくキャンプ道具が詰め込まれていた。後部座席で妹と肩を寄せ合い、僕は窓の外を流れる緑のノイズ(絶え間なく変化する風景の断片)を眺めていた。
「よし、設営開始だ! 各員、自分のタスク(割り当てられた作業や任務)を遂行せよ!」
キャンプ場に到着するなり、父は指揮官のように号令をかけた。
父の動きは、無駄が多いようでいて、圧倒的な熱量に満ちていた。テントのペグ(テントを地面に固定するための杭)を打ち込む音、焚き火台を組み立てる金属音、そして何より、新しい「遊び」を前にした父の、子供のような瞳。
妹は、そんな父のエネルギーを上手に受け流しながら、楽しそうに薪を拾い集めていた。僕はといえば、父の指示に従おうとして、結局何をすればいいのか分からなくなり、地面に這うアリの行列をいつまでも眺めていた。その時も、僕の脳内では白昼夢が始まっていたのだ。
「おーい、またフリーズ(思考や動作が一時的に停止すること)してるのか? ほら、火を熾すぞ。これが一番面白いんだ」
父は笑いながら、僕の肩を叩いた。当時の父にとって、ADHDは「不便だが、人生を豊かにするスパイス」でしかなかったのだろう。彼は、自分の多動性を「好奇心」という名のブースター(推力を増大させるための補助装置)に変換し、人生の荒野を突き進んでいく力を持っていた。
しかし、僕という個体は、その血を引いていながら、全く異なる動作ログ(動作の記録)を刻んでいた。
tDCSのタイマーが終了し、僕はヘッドセットを外した。ピリピリとした刺激が去った後、確かに脳内は「静止画(静止画)」から「動画(動画)」へと切り替わったような感覚がある。霧が晴れ、情報の処理速度は向上している。アトモキセチンの増量と、この電気刺激の組み合わせによって、僕の脳は、スペック(性能諸元)の上では間違いなく「正常」に稼働し始めている。
それなのに、僕の心は、絶対零度(摂氏マイナス273.15度。すべての熱運動が停止する理論上の最低温度)のままだった。
部屋を見渡す。昨日脱ぎ捨てたシャツが、重力に従って床に堆積している。それを拾い上げ、洗濯機に入れるという単純な手続き(プロトコル)を実行することに、何の意味も見出せない。
「何に対しても、興味が湧かないんだ」
僕は、誰もいない部屋で呟いた。
父のようなアウトドアへの情熱も、妹が持っているような日常への愛着も、僕の中には存在しない。tDCSで駆動力を得たはずの脳は、空回りを続けるモーターのように、虚しい熱を発しているだけだった。
父は、僕のこの状態を「休息が必要なフェーズ(特定の段階や局面)」だと考えているようだが、それは違う。僕というシステムには、最初から「興味」という名の燃料タンクが搭載されていないのではないか。あるいは、幼い頃のキャンプで、父のあまりにも眩しいエネルギーに曝露(ばくろ:放射線や化学物質などに晒されること)し続けた結果、僕の感性という受容器が焼き切れてしまったのではないか。
窓の外では、今日も松山の街が、規則正しいサイクル(周期的な繰り返し)で動いている。
大学の三回生という、人生の分岐点。周囲の学生たちは、就職活動や研究室選びという「未来の設計」に奔走している。彼らの瞳には、かつての父が持っていたような、未知の領域に対する期待の光が宿っている。
一方で、僕は。
tDCSによって明晰になった頭脳で、僕は自分自身の「虚無」を、より高解像度で観察していた。
何を食べても、どこへ行っても、誰と話しても、僕の脳内の報酬系(欲求が満たされた際に快感を与える神経系)は沈黙を守ったままだ。ドパミン(快楽や意欲に関わる神経伝達物質)の放出を促すトリガー(引き金)が、どこにも見当たらない。
僕は、引き出しの中から古いキャンプの写真を取り出した。
そこには、煤けた顔で笑う父と、幼い僕、そして妹が写っている。写真の中の僕は、確かに笑っているように見える。でも、その笑顔の下で、僕は一体何を考えていたのだろう。あのアリの行列の先に、何を見ていたのだろう。
今の僕に残っているのは、あの時の焚き火の匂いのような、微かな、しかし消えない喪失感だけだった。
「お父さん、僕はあなたとは違うんだ」
写真の中の父に、届かない言葉を投げかける。
父のADHDが「加算」の特性、つまり過剰な活動と関心をもたらすものだったのに対し、僕のそれは「減算」、あるいは「除算」の特性だった。情報は入ってくる。頭も回る。しかし、それが「行動」や「喜び」へと変換される過程で、どこかに深刻なリーク(漏電)が発生している。
tDCSの陽極を当てていた皮膚が、少しだけ赤くなっているのを鏡で確認した。
物理的な刺激は、僕の脳に「思考」を強制する。しかし、「意志」までは与えてくれない。僕は、正常に動作するようになった頭脳を抱えながら、再びベッドに横たわった。
散らかった部屋。山積みの課題。そして、刻一刻と迫る「ジョブ体験」という名の現実。
僕は、正常に回転し始めたCPU(中央演算処理装置)を、贅沢にも「白昼夢」という名のアイドル状態(処理待ちの状態)に費やすことにした。現実の座標を離れ、摩擦のない空想の世界へと、僕の意識は静かに拡散(ディフュージョン:粒子などが高濃度から低濃度へ広がる現象)していく。
そこには父も、キャンプも、大学も存在しない。
ただ、冷たくて美しい、論理の結晶だけが漂う宇宙。それが、低電圧で駆動する僕に許された、唯一のシェルター(避難所)だった。
第2章・完




