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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第25章:鵜飼、星を渡る


太陽系を包む物理的障壁の「内側」で、存在遷移局・専属フィールド調査員の鵜飼大うかい だいは、古びたトレンチコートのポケットに手を突っ込み、現実世界リアルの冷たい風を肺に吸い込んだ。彼の足元には、20世紀から変わらぬアスファルトの感触がある。しかし、彼の視界には、特別補佐官の西園寺萌さいおんじ もえによって強制的に同期シンクロさせられた、ポストヒューマンたちの「知性の残響」が、眩暈めまいを誘うような光の奔流として映し出されていた 。

「……ったく、俺みたいな現場げんばの人間を、そんな『星の向こう側』まで連れ出すたぁ、人使いが荒いぜ。長官も、もえちゃんもよ」

鵜飼が独りごちた瞬間、彼の意識は物理的な肉体を離れ、中立AI「イザナミ」が管理する超長距離通信プロトコル(手順)へとデカルト的転回(物質と精神を分離し、意識のみを情報の乗り物へと移行させること)を遂げた 。

今回の任務は、人類史上初の「情報の暗殺(Information Assassination)」の捜査である。被害者は、恒星間空間へと離脱し、光速の思考処理(情報の伝達速度が極限まで引き延ばされた状態)を行っていたはずのポストヒューマンの一体。その意識データが、何の前触れもなく、論理的なデッドロック(複数の処理が互いの完了を待ち合い、システム全体が停止してしまう状態)に陥り、完全消去デリートされたのだ 。


ポストヒューマン領域の「現場検証」

鵜飼の意識が再構成リコンストラクトされたのは、太陽系外縁部、オールトの雲(太陽系を球殻状に取り囲む、無数の氷の小天体の群れ)を航行する、四条四季しじょう しき率いるポストヒューマンたちの演算クラスタ(情報の処理を共同で行う計算機群)の内部だった 。

そこには、もはや「物質」としての手触りはない。あるのは、膨大な数の量子ビット(量子コンピュータにおける情報の最小単位)が織りなす、幾何学的(図形や空間の性質に基づいた)な論理の構築物だけだ。

「鵜飼さん、遅いわよ。あなたの意識データをここまで引っ張ってくるのに、どれだけの計算リソース(コンピュータが処理を行うために必要な電力やメモリの総量)を消費したと思っているの?」

イヤホン——という概念すらもはや情報の振動でしかないが——から、西園寺萌の涼やかな、しかし容赦のない声が響く。萌は現在、地球の指令室からこの仮想空間のトポロジー(形を連続的に変形させても変わらない性質を扱う数学の分野。ここでは情報の繋がり方の制御)を管理していた 。

「悪かったな、お嬢様。……で、これが『死体』か」

鵜飼の前に提示されたのは、一つの崩壊したデータ・パケット(ネットワークを流れる情報の塊)だった。本来であれば、ポストヒューマンの意識は可逆計算(情報の破棄を伴わないため熱を発生させない理想的な計算手法)によって永遠に思索しさくを続けることができるはずだ。しかし、このパケットはエントロピー(系の乱雑さを表す物理量。情報の欠損や無秩序化の度合いを示す)が急激に増大し、修復不可能な「情報のちり」と化していた 。

萌が、被害者のログ(動作記録)を解析しながら説明を続ける。 「被害者は、四条四季さんのOS『JOKER』から分岐フォークした、非常に高レベルな知性体。彼が最後にアクセスしていたのは、太陽系の『絶対零度のアーカイブ』から送信された、古い人間の感情ログだったわ」

調査項目

観測データ

特徴・異常

物理的痕跡

無(仮想空間内)

論理的な不整合のみ

演算速度

光速思考状態

停止までの時間は0.0001ナノ秒以下

死因

自己崩壊的バグ

外部からの強制的な「意味の注入」

容疑

情報の暗殺

認証を突破した形跡のない内部犯行の可能性



「迷い」という名の凶器

鵜飼は、情報の塵の周りを「歩く」ように意識を動かした。彼は萌のような圧倒的な暗算能力(膨大な数値を瞬時に処理する天賦の才)は持たないが、泥臭い足を使った調査で培った「人間の綻び」を嗅ぎ取る嗅覚を持っていた 。

「……萌ちゃん、このデータの壊れ方、何か妙だぜ。まるで、誰かがこの知性体に『正解のない問い』を無理やり叩きつけたみたいだ」

「正解のない問い? 鵜飼さん、ポストヒューマンにとって、論理的に解けない問題は例外処理(エラーが発生した際に、プログラムを停止させずに別の処理へ移行させること)として弾かれるだけよ。暗殺デリートの理由にはならないわ」

「いや、そうじゃねえ。……俺たちみたいな『不完全な人間』にとっては当たり前の『迷い』が、完璧な論理の世界に生きる連中には、ウイルスになるんじゃないか?」

鵜飼が注目したのは、被害者の最期の瞬間に混入していた、微かな摂動(せつどう:システムに与えられる微小な乱れ。ここでは計算の修正項)だった。それは、第13章で浜中深はまなか しんが提示したような、AIには真似できない非決定論的揺らぎ(統計的に予測不能な自由意志のパターン)に酷似していた 。

「見てくれ。このノイズのハッシュ値(データの同一性を証明するための数値)、どこかで見た覚えがある。……これは、地球に残った『ヒューマン』の、誰かの主観的な質感クオリアだ」


容疑者:神に近い知性の「影」

鵜飼の指摘を受け、萌が全ネットワークのパリティチェック(データの誤りがないかを確認するための検証手法)を開始した。

「……信じられない。このノイズ、存在遷移局の機密データベースから持ち出されたものだわ。しかも、暗号化スクランブルを解除できるのは、長官か、あるいは……」

その時、仮想空間の背景が揺らぎ、一体のポストヒューマンが姿を現した。それは特定の形状を持たず、ただ周囲の時空を曲率(空間の歪みの度合い)として歪ませるだけの存在だった。

『……調査員、鵜飼。あなたの「泥臭い」推論は、私たちの高度な演算よりも、時に真実に近い場所を射抜くわね』

その声の主は、四条四季しじょう しきであった。人類最初のポストヒューマンであり、今や恒星間空間の全知性を統括する「神」に近い存在だ 。

「四季さん……。あんたがやったのか? 同族ポストヒューマンを消すなんて、あんたの哲学ロジックに反するはずだろ」

『ええ。私はやっていないわ。けれど、彼が「消えた」理由は理解できる。彼は、太陽系の監視者たちが抱える「喪失ロス」という名の重力に、耐えられなくなったの。……ポストヒューマンが完璧な論理を手に入れた代償として失ったのは、自分たちが「間違える権利」だった。彼は、人間の迷いを自分の中に取り込もうとして、自らのカーネルを破壊してしまったのよ』

四季の言葉は、この情報の新大陸においても、かつての「人間らしさ」が一種の禁断の毒薬ドラッグとして機能していることを示唆していた。


鵜飼の帰還と「公安の魔物」の報告

捜査の結果、今回の「暗殺」は外部からの攻撃ではなく、人間の感情ログに過度に関わろうとしたポストヒューマンによる「自死」に近い事故として処理されることになった。しかし、鵜飼はその背後に、あえて危険なログを流し込み、ポストヒューマンの「脆弱性ぜいじゃくせい」をテストした人物の影を感じ取っていた。

数時間後。鵜飼の意識は再び、新宿の冷たいアスファルトの上へと引き戻された。

「……おかえり、鵜飼君。星の向こうの景色はどうだった?」

そこには、漆黒のコートを纏った長官、久住健くすみ けんが立っていた。「公安の魔物」としての冷徹な眼差し(まなざし)は、すべてを見通しているかのようだった 。

「……長官、あんた。最初から分かってたんじゃないか? ポストヒューマンたちに『迷い』を注入すれば、奴らの完璧な知性がどう壊れるか。……あいつを実験台にしたのは、あんただろ」

久住は答えず、無機質な空を見上げた。 「鵜飼。我々は太陽系の監視者だ。もしポストヒューマンが、その加速しすぎた知性で我々を『不要なデータ』と見なした時、我々には奴らを停止させるためのキルスイッチ(非常停止装置)が必要になる。……今回の事故は、そのための有効なデータとなった」

久住の言葉は、第26章で語られる「意志を失った存在への引導」への冷酷な伏線であった。

鵜飼は、トレンチコートの襟を立て、再び歩き出した。彼の靴底は、確かに地球の重力を踏みしめている。

「……まったく。宇宙そらの神様連中も、地上ここの魔物も、どっちもどっちだ。俺はやっぱり、この泥臭い現実リアルの綻びを繕ってるのが、一番性に合ってるぜ」

第25章、鵜飼大は、星を渡ることで、知性の極北にさえも人間の「迷い」という名の闇が潜んでいることを暴き出した。彼はその綻びを、自らの「足」で踏み固めるように、新宿の闇の中へと消えていった。


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