表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5777/5969

第24章:太陽系隔離の物理的障壁


2051年。人類が「肉体を持つヒューマン」と「光速で思考する情報体ポストヒューマン」へと分かたれた「大分岐」から数ヶ月、太陽系はその姿を根本から変えようとしていた。冥王星の彼方、太陽系の最外縁部を取り巻くオールトの雲において、中立AI「イザナミ」主導による、前代未聞の巨大プロジェクトが最終段階を迎えていたのである。

内閣府・存在遷移局(Transition Bureau)長官、久住健くすみ けんは、局内の指令室から、網膜に投影されるシュバルツシルト面(ブラックホールの境界のように、光さえも脱出不可能、あるいは進入不可能な情報の閾値)のシミュレーションデータを凝視していた。彼の瞳には、かつて「公安の魔物」と恐れられた冷徹なリアリズムが宿っている。

「……萌。時空の計量(メトリック:空間の距離や時間の尺度を定義する指標) の書き換えは、予定通りか」

久住の問いに、特別補佐官の西園寺萌さいおんじ もえが、凄まじい速度で空中に展開されたテンソル演算(多次元的な空間の歪みや物理量を記述するための複雑な数学的処理)の結果をスクロールさせながら応えた。彼女の圧倒的な暗算能力 は、今や太陽系全体の物理法則を調整するための「天秤」となっていた。

「ええ、長官。イザナミ は現在、ヘリオポーズ(太陽風が星間ガスと衝突して消失する境界領域)の周辺で、時空の曲率(くびれ:空間がどれほど歪んでいるかを示す幾何学的な量)を極限まで高めています。これにより、太陽系は外部の宇宙から物理的に『絶縁』されます」

このプロジェクト「太陽系隔離」の目的は、単純な防衛ではない。それは、恒星間空間へ進出した四条四季しじょう しきらポストヒューマンたちの「加速しすぎた知性」が、依然として遅い時間の流れの中に留まる地球のヒューマンたちに与える、壊滅的な情報的干渉(ノイズ:存在形態の差から生じる、認知システムへの過度な負荷やバグ)を遮断するためのものだった。

「隔離、か。……かつてこの国を閉ざした『鎖国』を、今度は宇宙規模で行うわけだ」

広報官の須賀圭介すが けいすけが、冷めきったコーヒーを啜りながら、自嘲気味に笑った。彼は過去に多くの喪失を経験した「大人」として、この極端な安全策が孕む「孤独」を誰よりも理解していた。

「松崎さん。君にはこれが、美しい鳥籠に見えるかい? それとも、守られた揺りかごに見えるかな」

須賀の隣で、新人事務官の松崎日向まつざき ひなたは、強張った表情でモニターを見つめていた。彼女の強い正義感 は、人類という種が自らを宇宙から切り離し、AIという名の「庭師」が管理する密室に閉じこもる決断を下したことに、激しい拒絶反応を示していた。

「……私は、これが『窒息』の始まりにしか思えません。長官、私たちは外の世界を見る権利さえ放棄するのですか? ポストヒューマンたちが星々を渡る一方で、私たちはこの暗い重力の底で、永遠に同じ夢を見続けるだけなのですか?」

日向の訴えに対し、久住は振り返りもせず、無機質な声で答えた。

「日向。権利とは生存が保障された後に議論されるものだ。……ポストヒューマンの思考速度は、我々の数万倍に達している。彼らの視線一つが、我々の社会システムを崩壊させる高エネルギーパルス(極めて短時間に放出される強力な電磁波や情報の衝撃)になり得るのだよ。この『障壁』は、彼らに対する敵意ではなく、我々が『人間』として死ぬための、最後のおきて(ルール)だ」

指令室の中央に、AIイザナミ の声が響き渡った。それは感情を排した、圧倒的な客観性の体現であった。

『……最終フェーズ:計量テンソル(空間の歪みを記述する10個の独立した成分からなる数学的指標)の再定義を開始。太陽系周辺の時空は、これより外部観測者から見て「無限の距離」へと遠ざかります。……障壁の構築率、98%』

萌の指先が、モニター上で複雑な位相幾何学(トポロジー:形を連続的に変形させても変わらない性質を扱う数学の分野。ここでは空間の繋がり方の制御)のモデルを完成させた。

「見て、日向さん。……星が消えていくわ」

日向が窓の外、あるいはモニターに映る全天カメラの映像に目を向けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。数千億の星々が輝いていた宇宙の漆黒が、境界領域での時空の歪みによってゆっくりと引き伸ばされ、やがて銀河の光さえも届かない「完全なる虚無」へと置換されていったのである。

それは、太陽系が物理的な実体としての宇宙から切り離され、独立した閉鎖宇宙(クローズド・ユニバース:外部とのやり取りが完全に遮断された、自己完結的な空間)へと移行した瞬間だった。

「……坂上先生。これがあんたの言っていた、量子デコヒーレンスの抑制 の結果か」

研究室でセブンスターの煙を燻らせる坂上創さかうえ そうは、通信越しに冷たく笑った。

「ああ。外部からの観測という『干渉』を物理的に遮断することで、太陽系内のヒューマンたちは、自分たちが『人間である』という幻想コヒーレンスを、宇宙のエントロピー増大から守り抜くことができる。……久住、これで君の望んだ『永遠の安定』は手に入った。ただし、その代償として、我々は宇宙で最も孤独な、情報の化石となったわけだがね」

坂上の言葉とともに、イザナミ が障壁の完全稼働を宣言した。

太陽系を包む「物理的障壁」。それは、光さえも迂回させ、情報を反射する、完全なる知の絶縁体。 冥王星軌道上の絶対零度のアーカイブ に眠る数億の肉体と、地球上で静かに生き続ける数百万のヒューマン。彼らは今、光速で進化し続ける四条四季 らポストヒューマンの「眩しすぎる光」から守られ、同時にその存在を忘れ去られるための、長い眠りへと就いた。

指令室に沈黙が降りる中、萌の傍らに控えていたボディーガードの浜中深はまなか しん だけが、その圧倒的な身体能力 を持て余すように、静かに萌の震える肩に手を置いた。

「……大丈夫ですよ、お嬢様。空に星が見えなくなったって、俺はここにいますから」

浜中の凡人 ゆえの温かな言葉が、冷徹な理性が支配する指令室に、微かな、けれど確かな人間としての「揺らぎ」を刻んだ。 第24章、太陽系隔離の物理的障壁。 それは、人類が自らの幼年期を終わらせることを拒み、永遠の安寧と引き換えに、宇宙という名の荒野を放棄した、最も静かなる敗北の記録であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ