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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第14章:弟とモバイルと魂の移行



存在遷移局(Transition Bureau)が管理する、日本最深部のデータセンター「テラ・データ・ヴォルト」。地下数百メートルに位置するその空間は、数千万個のサーバー・ユニットが発する排熱と、それを相殺するための超電導冷却システムが奏でる重低音に支配されていた。


坂上昭二さかうえ しょうじは、コンソールの前に座り、網膜に投影されるネットワーク・トポロジー(コンピュータネットワークの接続形態や構成を視覚化した図)を凝視していた。彼は、量子時空記述学の権威である坂上創さかうえ そうの実弟であり、国内最大の通信インフラ企業で「魂の移送バックボーン」の設計を担う首席技師である。彼の性格は、抽象的な論理に遊ぶ兄とは対照的に、徹底した現実主義(理論よりも実証された事実や物理的な制約を重視する、地に足のついた思考様式)に基づいている。


「兄貴は『時空を記述する』なんて格好いいことを言ってるが、現場でパケット(ネットワークを流れる情報の最小単位。ここでは魂の構成データ)を運ぶのは、泥臭いインフラの仕事なんだよ」


昭二は、冷え切った缶コーヒーを一口啜り、溜息をついた。彼の前にあるモニターには、国民一人ひとりの「意識の移行」に伴うデータ転流量が、巨大な津波のように押し寄せていた。


現在進行しているプロジェクトは、言わば「生命のMNP(モバイル・ナンバー・ポータビリティ:電話番号を変えずに通信会社を乗り換える制度。ここでは肉体というキャリアから、情報空間という新基盤へ人格を移行させることの比喩)」である。しかし、スマートフォンの契約変更とは比較にならないほどの絶望的な困難が、昭二の前に立ちはだかっていた。


「昭二さん、進捗はどうかしら。久住くすみ長官が、バックボーンの帯域確保について最終報告を求めているわ」


背後から声をかけたのは、特別補佐官の西園寺萌さいおんじ もえだった。彼女の圧倒的な暗算能力(膨大な数値を瞬時に処理する天賦の才)は、昭二が管理する巨大なトラフィック・データ(通信回線を流れる情報の量や流れ)さえも、一瞬で俯瞰(ふかん:全体を高い視点から眺め、把握すること)していた。


「……お嬢様。理論上は、第5層のセッション層(OSI参照モデルにおける、通信の開始から終了までの手順を管理する階層)までは完璧です。ですが、問題はその先――物理的な通信路で発生する不可避なパケットロス(データ転送中に一部の情報が欠落し、目的地に届かない現象)ですよ」


昭二は、ディスプレイに映し出されたエラー・ログを指差した。


「人格データは、静的なアーカイブではありません。常に動的に変化する意志の揺らぎ(決定論的な予測を裏切る、人間固有の自由意志のパターン)そのものです。これを移送する際、わずか数ビットのジッタ(信号の到着時間の微妙なズレや揺らぎ。通信品質を低下させる原因となる)が発生しただけで、移行後の人格には『自己の連続性の喪失』という致命的なバグが生じる可能性がある」


「チェックサム(データ送信の正確さを検証するために付加される検査用の数値)によるエラー訂正(誤ったデータを検知し、正しい状態に修復する処理)は機能しないの?」萌が、鋭い瞳でログを追う。


「通常のデータなら可能です。ですが、『魂』は、一度欠損すれば二度と再送できないリアルタイム・ストリーミング(情報の生成と送信を同時に行う、遅延の許されない通信方式)なんです。パケットを再送している間に、本人の意識は『存在の空白』を感じてしまう。それは、移行先での精神崩壊を招く引き金になります」


昭二が危惧しているのは、ネットワーク工学における宿命的な限界だった。どれほど冗長化(システムの一部が故障しても運用を継続できるよう、予備の設備を二重三重に備えること)を図ったとしても、情報の移送において「完全なる100%」は存在しない。


そこへ、存在遷移局長官の久住健くすみ けんが、漆黒のコートを翻して現れた。その佇まいは、かつて「公安の魔物(国家の安寧のためには非情な決断も厭わない、冷徹なリアリスト)」と恐れられた頃の威圧感(相手を圧倒し、屈服させるような力強い空気感)に満ちていた。


「坂上技師。1%のパケットロスを恐れて、国家の移行を停滞させることは許されない。我々の任務は、国民をこの『朽ちゆく肉体』という脆弱な基盤から救い出すことだ。多少のノイズ(主信号以外の不要な成分。ここでは人格の微細な欠損や変質)は、移行後のOS側で補完(欠けている部分を、周囲の情報から推測して埋める処理)すればいい」


「長官、それは暴論です」昭二は、久住の冷徹な言葉に真っ向から反発した。「OSによる補完とは、つまり『偽物の記憶』で人格を塗り潰すということです。それでは、移行した本人は自分を自分だと信じ込んでいるだけの、精巧なシミュラクラ(実体のない模造品。ここでは本物と見分けがつかない偽の人格)になってしまう」


「それでも、生存は継続される」久住の声には、微塵の揺らぎもなかった。「生き残ることが最優先だ。ネットワークのレイテンシ(通信の遅延時間。ここでは意識の移行に伴う空白時間)を最小化しろ。ロスしたパケットが『何であったか』を気にするのは、哲学者の仕事だ」


久住が立ち去った後、昭二は苦い顔でコンソールを叩いた。彼にとって、ネットワークとは「誠実さ」の象徴だった。繋がること、届くこと、そして元の情報を損なわないこと。その職人的なプライドが、久住の冷徹な政治的決断と激しく衝突(相容れない意見や立場が強くぶつかり合うこと)していた。


「……萌お嬢様。私は、かつて弟として、兄貴が古い携帯電話のMNP(番号ポータビリティ:電話番号を変えずに会社を乗り換える制度)に四苦八苦していたのを見てきました。あの頃は、番号さえ繋がればそれで良かった。でも、今私たちが運ぼうとしているのは、番号じゃない。その人の『重み』そのものなんです」


昭二の瞳に、ネットワーク・エンジニアとしての深い悲哀(悲しみと哀れみ。思い通りにいかない現実への嘆き)が宿る。


「魂の移行におけるパケットロス。それは、その人が一生をかけて積み上げてきた『迷い』や『矛盾』という、最も人間らしいデータが切り捨てられることを意味します。合理的なシステムは、非合理なデータから順に、エラーとして排除していく。……私は、そんな『美しすぎる世界』に、兄貴や皆を送り出すのが怖いんです」


萌は、昭二の震える指先を見つめ、静かに答えた。「昭二さん。その『怖さ』こそが、今のシステムがまだ完璧ではないという、最も重要なフィードバック(結果を原因側に差し戻し、修正や調整を行うこと)だわ。あなたの不安が、ネットワークの設計に一ミリの余白(遊び。厳格な論理だけでは捉えきれない、余裕や不確定な要素)を生む。それが、魂を殺さないための最後の砦になる」


昭二は、萌の言葉に微かに頷くと、再び情報の奔流へと向き直った。彼は、移行プロトコル(通信の手順や規約)の深層に、あるプログラムを密かに組み込んだ。それは、パケットが失われた際、AIによる強制的な補完を行うのではなく、あえて「ノイズ」のまま残し、移行後の本人にその『欠落』を自覚させるという、極めて非効率で人間臭い処理だった。


「せめて、自分の一部を失ったことぐらい、本人に分からせてやりたい。それが、インフラを預かる者の最後の誠実さだ」


地下センターの深淵で、昭二が紡ぎ出す光の糸が、何千万もの魂を繋ぎ止めていた。それは、第14章「弟とモバイルと魂の移行」における、科学と倫理が交差する(異なる要素が互いに影響を与え合い、一つの場所で重なること)最も孤独な戦いだった。



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