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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第15章:義母とアンドロイドの家庭内不和


愛媛県松山市の郊外、瀬戸内海の湿った潮風が吹き抜ける丘の上に、その「不協和(ふきょうわ:音や事象が調和せず、不快なズレが生じている状態)」の舞台はあった。築年数を重ねた二階建ての木造住宅は、2050年の現在において、物理的な実在(じつざい:現実に形を持って存在すること)に執着する希少な聖域となっていた。

存在遷移局・特別補佐官の西園寺萌さいおんじ もえは、真珠のような光沢を放つ移動車両から降り立ち、古びた玄関を見上げた。彼女の傍らには、専属ボディーガードの浜中深はまなか しんが、その圧倒的な身体能力(鍛え上げられた筋肉や反射神経による、物理世界での高い行動能力)を背景にした確かな足取りで控えている 。

「浜中君、この家からは、極めて高濃度の『ノスタルジー(過去を懐かしみ、失われたものを惜しむ過度な情動)』が検出されているわ」

萌は、網膜に投影されたバイオメトリクス・スキャナ(生体情報を読み取り、感情や健康状態を分析する装置)の数値を一瞥して言った。彼女の脳内では、現在、この家の中で起きている人間とアバターの相互作用(二つ以上の要素が互いに影響を及ぼし合うこと)が、数理的なシミュレーションとして展開されていた 。

玄関をくぐると、そこには奇妙な光景が広がっていた。90代の義母、笹岡澄江ささおか すみえが、台所で一人、怒鳴り声を上げている。

「そんな冷たい手で触るんじゃないよ! あんたは、紀子のりこの皮を被っただけの、ただの機械だろう!」

澄江が指差す先にいたのは、慎一の妻、紀子の姿をしたサイバネティック・アバター(遠隔操作される義体。操作者の意識をネットワーク経由で反映させる人型ロボット)だった。紀子本人は、東京の存在遷移局内の快適なポッドに横たわり、テレイグジスタンス(遠隔地にいるにもかかわらず、その場にいるような臨場感を得て行動する技術)を用いて、この愛媛の家で家事や介護をこなしていた。

「お義母さん、冷たいのは設定のせいです。省電力モードでサーマル・ユニット(熱を制御し、体温を再現する装置)の出力を抑えているだけですから」

紀子のアバターが、感情の起伏を排除した合成音声で答える。その動きはインバース・キネマティクス(目標とする手の位置から、逆算して関節の角度を決定する計算手法)によって完璧に制御されており、あまりにも滑らかすぎて、かえって「不気味な谷現象(ロボットの見た目や動きが人間に近づくにつれ、ある一点で強い嫌悪感や違和感を生む現象)」を強調していた。

萌は、台所の隅に置かれたセンシング・ユニット(周囲の物理情報を収集し、デジタル化する装置)のログを確認した。

「興味深いわね、浜中君。このアバターのハプティクス(触覚フィードバック。遠隔操作者に触感や温度を伝える技術)の解像度は、現行の民生品では最高クラスよ。けれど、澄江さんはそれを『拒絶』している」

萌の瞳には、アバターから発信される膨大なデータのストリーム(情報の連続的な流れ)が見えていた。紀子は、家事の効率化を優先し、すべての動作を最適化(与えられた条件の中で、最も効率的で無駄のない状態にすること)していた。

「浜中君、あなたなら、あの『アンドロイド』に違和感を感じる?」

萌の問いに、浜中は困惑したように頭を掻いた。 「そうですね……。お嬢様、僕みたいな凡人(特別な才能を持たず、一般的な感覚で生きる人間)から見ると、あのアバターは少し『綺麗すぎ』ます。紀子さんの声は聞こえるけど、そこには『迷い』がないっていうか」

浜中の直感は、鋭く本質を突いていた。萌は、アバターの制御ログの中に、致命的なレイテンシ(通信の遅延時間。ここでは意識の指令がアバターに届くまでのわずかなズレ)を発見した。紀子の意識が東京から愛媛へと移送される際、数ミリ秒の遅延が発生し、それがアバターの動作から「人間特有の揺らぎ(決定論的な予測を裏切る、不確定で有機的な動きのパターン)」を奪っていたのだ。

「澄江さんは、その数ミリ秒の欠損(本来あるべき情報が失われていること)を、本能的に『死』や『偽物』として感知しているのね」

萌は、存在遷移局長官の久住健くすみ けんが提唱する「国家の安定のための徹底的な合理性」を思い出した。久住なら、この澄江の反発を「適応障害(環境の変化に対応できず、心身に支障をきたす状態)」として処理し、強制的な認知再構成(思考のパターンを外部から修正し、現状を受け入れさせる処置)を命じるだろう 。

しかし、広報官の須賀圭介すが けいすけであれば、この世代間の断絶を、かつて彼が明日花を失った際に感じた「喪失の痛み」として捉え、何らかの情緒的な妥協点(双方が納得できる中間的な解決策)を模索するはずだった 。

萌は、澄江の側に歩み寄り、彼女の「生身の」手に触れた。

「澄江さん。このアバターの中にあるのは、間違いなくあなたの知っている紀子さんの意志よ。ただ、この機械の身体には、情報を運ぶための『余白(遊び。厳密な論理だけでは捉えきれない、余裕や不確定な要素)』が足りないの」

萌は、紀子のアバターのOS設定に介入した。彼女は計算によって、意図的にアバターの関節制御にガウスノイズ(平均値を中心に正規分布する、ランダムな乱れや雑音)を混入させた。さらに、固有感覚(自分の身体の位置や動きを脳が感知する感覚。プロプリオセプション)のフィードバックを、あえて「不完全」に調整した。

「……あら?」

澄江が、再び触れてきた紀子の手を握り返した。

「……少し、温かくなった気がするね。それに、さっきまでの機械みたいな嫌な感じが消えた」

アバターの動作は、ノイズの導入によって微かに「ぎこちなく」なった。しかし、その「不完全さ」こそが、澄江の脳に「人間としての実在感(そこに確かに命があるという主覚的な確信)」を認識させたのだ。

「浜中君。見た? 完璧な計算は、時に真実を隠蔽(いんぺい:隠して見えなくすること)してしまう。けれど、そこに『エラー(間違い、あるいは予測不能な揺らぎ)』を付け加えることで、私たちは再び繋がることができる」

萌の口元に、微かな笑みが浮かんだ。それは、論理の極北に住まう彼女が、一瞬だけ「人間」の領域に歩み寄った瞬間の、残酷で美しい表情だった 。

しかし、存在遷移局の新人事務官、松崎日向まつざき ひなたがこの報告を聞けば、強い反発を示すだろう。日向にとって、アバターに意図的なエラーを仕込むことは、利用者の自己決定権(自分の人生や身体に関する事柄を、自分の意志で決定できる権利)への不当な介入であり、欺瞞(ぎまん:人の目をごまかすこと)でしかないからだ 。

萌は、夕暮れの瀬戸内海を窓から眺めながら、自分自身の脳内で行われている膨大な確率論的演算(偶然の要素を含めて、将来の事象を数理的に予測する試み)の終着点を見つめていた。

第15章、義母とアンドロイドの家庭内不和。それは、高度な文明が「効率」の名の下に切り捨ててきた「ノイズ」の中にこそ、魂の最後の一片が隠されていることを暴き出した。愛媛の古い木造住宅の中で起きた小さな衝突は、やがて来る「グレート・スプリット(大分岐)」という名の、種全体の決断の前兆(ぜんちょう:何かが起きようとする兆し)に過ぎなかった。

萌は、浜中に促されて家を後にした。背後では、不完全な動きを取り戻したアバターと、それを「人間」として受け入れ始めた老婆の、静かな、けれどいびつな和解の音が響いていた。


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