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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン28

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第13章:迷いという名の指紋


内閣府・存在遷移局(Transition Bureau)の地下100メートルに位置する「高機密生体情報解析室」。そこは、物理的な接触を一切絶った真空断熱の電磁シールドルームであり、人類の「存在」を定義するための最終的な実験場と化していた。

室内には、冷え切ったブラックコーヒーの香りと、坂上創さかうえ そう特任教授が吐き出す微かな紫煙が漂っている。坂上は、モニターに映し出される無数の波形を、セブンスターを咥えたまま無機質な瞳で見つめていた 。その傍らでは、特別補佐官の西園寺萌さいおんじ もえが、凄まじい速度でホログラフィック・キーボードを叩き、情報の海から特定のクオリア・符号(主観的な体験や質感をデジタルデータに変換する技術)を抽出し続けている 。

「先生、現在の決定論的アルゴリズム(ある入力に対して常に同じ出力を返す、予測可能な計算手順)に基づいた認証システムでは、もはや限界です」

萌の声は、計算機の駆動音よりも冷徹に響いた。「四条四季しじょう しきさんのOS『JOKER』によってポストヒューマンへと移行した知性は、論理的に導き出せるあらゆるパスワードを瞬時に総当たり(考えられるすべての組み合わせを一つずつ試して正解を探す手法)で突破してしまいます。彼らにとって、数理的な防壁は存在しないも同然なのです」

坂上は冷めたコーヒーを一口啜り、掠れた声で応えた。「……ならば、論理の外側にあるものを鍵にするしかない。西園寺君、君が言っていた『解像度の低下』の原因――あの、計算資源の限界から生じる未定義動作(プログラムの仕様で動作が規定されていないため、実行時に予測不能な結果を招く振る舞い)。あれを逆手に取るんだ」

二人の天才が注目したのは、情報の純粋な論理体系ロジックでは決して模倣できない、人間固有の「不合理性」だった。

浜中はまなか君、準備はいい?」

萌が、部屋の中央に設置された生体センサー・ポッドに座る浜中深はまなか しんに問いかけた。浜中は、西園寺萌の専属ボディーガード兼助手として、この知性の聖域における唯一の「凡人」の代表である 。彼は、犀川や萌のような浮世離れした知能は持たないが、鍛え抜かれた身体能力(筋肉や神経の連動による物理的な運動の質)と、萌に対する絶対的な忠誠心という、極めて「血の通った」個性を保持していた 。

「はい、お嬢様。何をやればいいのかよく分かりませんが、とにかく動けばいいんですよね」

浜中の声には、緊張の中にも「凡人」特有の屈託のなさが混じっていた。

「いい、浜中君。これからあなたの意識を、ナノマシンを介してネットワークの摂動(せつどう:システムに与えられる微小な乱れ。ここでは計算の微調整を行うための項)として介入させるわ。あなたは、目の前に提示される無数の選択肢の中から、直感だけで一つを選び続けて」

萌がボタンを押すと、浜中の視界には、数千、数万という光の点が猛烈な速度で明滅し始めた。それは、AIであれば瞬時に最短経路を計算して最適解を導き出してしまう、情報の迷宮だった。

しかし、浜中は「計算」をしていなかった。彼はただ、萌の声に応えたいという一念と、その時々の身体的な違和感、あるいは微かな「迷い」に従って、無造作に光の点を選択し続けた。

モニター上に、浜中の選択行動が可視化される。それは、AIが生成する擬似乱数(計算によって作られた、一見ランダムに見えるが周期性を持つ数列)とも、量子力学的な真性乱数(物理現象の偶然性に基づいた、完全に予測不能な数列)とも異なる、特異なパターンを描き出した。

「これだ……」坂上が煙草を灰皿に押し付けた。「見てみろ、西園寺君。この波形には、AIには決してシミュレートできない非決定論的揺らぎ(統計的な予測を裏切る、人間固有の不確定な選択のパターン)が含まれている 。彼が右か左かを選ぶ瞬間に生じる、コンマ数ミリ秒の『迷い』。このノイズこそが、彼の魂の指紋だ」

萌の暗算能力が、浜中の「迷い」のデータを瞬時に解析していく 。AIは、常に最も効率的な、あるいは最も確率の高い選択を行うように設計されている。たとえAIに「迷い」を模倣させようとしても、それは乱数生成アルゴリズム(特定のルールに従って不規則な数値を出す仕組み)に従った「計算された迷い」にしかならない。

しかし、浜中の迷いは違った。彼の人生の記憶、西園寺家での経験、その日の体調、そして何よりも萌に対する理屈抜きの感情が複雑に絡み合い、計算不可能なカオス的挙動(ごくわずかな条件の違いが、将来の予測を完全に不可能にするほど大きな変化をもたらす性質)を生み出していた。

「この揺らぎを、認証のシード値(乱数生成や暗号化の出発点となる基礎的な数値)として埋め込むのよ」萌の瞳が、興奮で鋭く輝いた。「ポストヒューマンがこのシステムを突破しようとすれば、彼らは自分たちの中に『不合理な迷い』を生成しなければならない。けれど、彼らは既に合理性の極致へと進化してしまった。彼らにとって、浜中君のような『無意味な逡巡(しゅんじゅん:決断できずに迷うこと)』は、情報の論理的矛盾(筋道が通らず、システムとして破綻すること)に等しい。彼らはこの鍵を解くことができないわ」

浜中という「凡人」が持つ、直情的で非効率な感性が、超高度な知性が支配する2050年の世界において、最強の盾となる瞬間だった 。

「浜中君、素晴らしいわ。あなたの『迷い』が、この国の情報基盤を守るための、最後のおきて(ルール)になった」

ポッドから出てきた浜中は、自分の頭を掻きながら困ったように笑った。「……お嬢様、そんな大げさな。僕はただ、どれを選べばいいか分からなくて、ちょっと戸惑っただけですよ」

「その『戸惑い』が価値なのよ、浜中君。あなたは、計算できる世界の中で、唯一計算できない存在であり続けてくれた」

萌の言葉に、浜中は顔を赤らめた。彼にとって、萌に褒められるというクオリア(自分だけが感じる、誇らしさと恥ずかしさが混ざった独特の質感)こそが、彼を「人間」という基盤に繋ぎ止める、何よりも確かな証拠だった 。

坂上は新しいセブンスターに火を灯した。その煙が、情報のグリッド(座標を示す網目状の線)を透過していく。「久住くすみ長官に伝えろ。非決定論的揺らぎ(人間固有の不確定な選択のパターン)を用いた新認証システム、『指紋・ヘジテーション(迷い)』のプロトコル(手順)は完成した 。これからは、迷わぬ知性が、迷える魂に従う時代だ」


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