坊ノ岬沖海戦・前編――未来の眼が捉えた敵影
昭和二十年四月七日、午前十一時二十分。鹿児島県坊ノ岬の南西約百二十海里。
低く垂れ込めた層雲の下、海面は冷たい白波を激しく逆巻かせ、視界は五キロから十キロ程度にまで急速に悪化していた。荒れ狂う東シナ海を、戦艦「大和」を中核とする第二艦隊十隻と、海上自衛隊第4護衛隊群の護衛艦群が、互いの距離を保ちながら重苦しい航跡を描いて南下を続けていた。
大和の広大な第一艦橋。外気温は十五度を下回る肌寒さであったが、内部は鋼鉄の装甲内に閉じ込められた多くの体温と機械油の臭気、そして極度の緊張によって、乗員たちの皮膚が粟立つほどの熱気に包まれていた。
艦橋左舷の一隅に仮設された「時代間連絡席」で、海自の情報幕僚・山名三等海尉が、片耳にヘッドセットを強く押し当てながら、堅牢化されたワークステーションのキーボードを休むことなく叩き続けていた。
上空一万メートルの雲上を旋回する無人機MQ-9B「シーガーディアン」と、護衛艦「まや」のフェーズドアレイレーダーAN/SPY-1Dが、直接見通し線(LOS)データリンクを介して艦隊周辺の広域空域情報を手繰り寄せている。GPS衛星の補正が得られないため、機載・艦載の慣性航法装置(INS)が弾き出す座標には僅かなドリフト誤差が重なりつつあったが、電波高度計と海岸線レーダー照合によってそれを補正し、艦隊独自のローカル座標系マップがコンソール上に展開されていた。
「通信入電! 『まや』CICより第一級警報!」
山名の張り裂けんばかりの叫びが艦橋の空気を震わせた。カーボン複写の通信紙が、即座に江島砲術長と有賀艦長の手元へ突き出される。
「敵大編隊を探知! 方位一三五、距離百二十キロ、高度四千! エセックス級空母群から発進した第一次攻撃隊です! 内訳はSB2C急降下爆撃機四十、TBFアベンジャー雷撃機五十、F6F戦闘機六十、計百五十機以上! 推定到達まで、あと八分!」
大和の艦橋要員が一斉に息を呑んだ。
大和に搭載された二一号電探は湿気と波飛沫に極めて弱く、探知距離はせいぜい数十キロ、大まかな方角と距離しか判別できない。水平線の遥か彼方、雲の向こうに潜む敵大群の機数と高度を特定するなど、旧海軍の常識では神業に等しかった。
「……本当に見えているのだな」
有賀艦長が低く唸る。
「間違いありません!」山名は即答した。渋面を作る有賀に、山名は冷静に現実を告げる。
「ですが、護衛艦『まや』の迎撃弾薬は極めて限られています。VLS内のSM-2対空ミサイルは残り五十発余り。敵全機を撃ち落とすことは物理的に不可能です。片倉司令は、編隊先頭の指揮官機に対する精密狙撃のみに発射を絞るとのことです!」
「承知した!」有賀は踵を返し、第一艦橋に響き渡る声で下令した。
「全艦、対空戦闘用意! 主砲、対空射撃『三式弾』装填! 砲術長、未来の諸元に合わせよ!」
「主砲、仰角調定! 各大和基準方位一三五、距離三万二千、信管秒時二十四秒!」
江島砲術長が、手動の調定ハンドルを握る計算員たちへ怒号を飛ばす。
山名のチームが「まや」のデジタル座標系から大和の海図座標へと瞬時に手計算した諸元が、紙片となって射撃盤へ放り込まれる。Link 16を持たない大和と海自を繋ぐ、命がけのアナログ・ゲートウェイだった。
その頃、大和の右舷二千メートルを並航するミサイル護衛艦「まや」の戦闘指揮所(CIC)は、青いモニター光と無機質なファンノイズに包まれていた。
「イージス・ウェポン・システム、全自動モードから手動統制モードへ切り替え」
艦長の高梨一佐が命じる。
「目標、敵第一次攻撃隊のリーダー編隊。ミサイル発射は二斉射・四発に制限。VLSセルを浪費するな」
スクリーン上では、百数十の赤いシンボルが密集して南下してきていた。もし本土の補給拠点と結ばれた平時の戦闘であれば、イージスシステムは同時多目標処理能力を全開にし、数十発のSM-2とESSMを乱射して敵を叩き落としただろう。だが、この昭和二十年の海にはミサイルの再装填基地などどこにもない。一発の無駄撃ちが、明日の全滅を意味していた。
「前衛の護衛艦『むらさめ』、単装速射砲にて弾幕展開位置へ変針!」
先行する「むらさめ」の艦首に据えられた62口径76mm単装速射砲が、FCS-2の高精度射撃指揮レーダーに誘導され、ミリラジアン単位で空を指向する。無誘導の通常砲弾だが、射撃指揮装置が自艦の揺れと大気密度を計算し、弾道予測を組み立てていく。
午前十一時二十六分。
「敵編隊、大和の主砲射程内――距離三万に進入!」
山名の叫びと同時に、大和の四十六センチ三連装主砲三基・計九門が火煙を噴き上げた。
ドォォォォォン……!
海面が巨大な衝撃波で窪み、大和の七万トンの船体がきしむ。放たれた九発の巨弾――「三式焼霰弾」が、音速を超えて鉛色の空へと駆け上がっていった。
三式弾は、目標高度に達すると内部の信管が作動し、数千個の小型焼夷弾子と鋼破片を前方放射状に爆裂させる巨大な散弾である。しかし、いくら未来のレーダー諸元が正確であっても、昭和の火薬の燃焼速度のばらつき、砲身ごとの初速誤差、そして時限信管の機械的誤差をゼロにすることはできない。
雲を突き抜けた高度三千五百メートル。
敵編隊の直前、約四百メートルの空域で、三式弾の群れが真紅の閃光とともに炸裂した。
空中に広がったのは、巨大な火炎の壁と、凄まじい風圧を伴う黒煙のカーテンだった。直撃を受け四散した機体は先頭のわずか数機にとどまったが、その爆風と破片の広がりは、密集して突入体制に入っていた米第58任務部隊の急降下爆撃隊を激しく揺さぶった。
「何だ、あれは!? 空が割れたのか!?」
米第一次攻撃隊の指揮官機が叫んだ。破片が主翼を削り、激しい乱気流に機体が煽られる。
三式弾は敵を全滅させるための魔法の弾薬ではない。しかし、計算された高度と距離に正確に置かれたその巨大な炸裂は、米軍の美しい編隊連携を強制的に分断し、爆撃・雷撃の進入コースを外側へと大きく押し曲げる効果を発揮した。
「敵編隊、三式弾の弾幕を避けて左右へ散開! 隊形が崩れました!」
MQ-9Bの赤外線映像を解析した山名が叫ぶ。
「まや、SM-2発射!」
間髪を入れず、「まや」の前部甲板から轟音とともに二発のミサイルが垂直に打ち上がった。白い噴煙を曳き、マッハ3を超える速度で雲間へと消えていく。散開し、回避機動によって速度を落とした米軍の指揮官機二機が、白光の槍に貫かれ、目視する間もなく空中で爆散した。
「第二斉射、撃てッ!」
大和の主砲が再び咆哮する。
二度目の三式弾の壁が、散開した雷撃隊の低空侵入ルートを塞ぐように爆ぜた。
直撃による撃墜数は少なくとも、進路を強制的に制限された米軍機は、大和の舷側に並ぶ高角砲と機銃群の射角の中へと誘い込まれていく。
さらに、低空に降りてきた雷撃隊の真正面へ向け、「むらさめ」の76mm単装速射砲が毎分八十発の連射を開始し、海面すれすれに濃密な鉄の弾雨を敷き詰めた。
「敵機、なおも雲底を突破して突入してきます! 数、百機以上!」
山名の悲鳴のような報告が響く。
三式弾で編隊を砕き、ミサイルで指揮官を射抜いた。しかし、分断されながらも執念で魚雷を抱えて肉薄してくる無数の米軍機の咆哮が、荒れる坊ノ岬の海を覆い尽くそうとしていた。残弾のカウントダウンを抱えた、本当の死闘が始まろうとしていた。




