決戦前夜――二つの時代、ひとつの艦隊
昭和二十年四月七日、午前六時。東シナ海・トカラ列島西方海域。
重く垂れ込めた層雲が海面を覆い隠し、鉛色の波間を戦艦「大和」を中核とする第二艦隊十隻、そして海上自衛隊第4護衛隊群の各艦が、それぞれの運命を抱えて並航していた。
大和の広大な第一艦橋。その左舷側の一隅には、前夜の緊密な折衝を経て臨時に設けられた「時代間連絡席」が配置されていた。海自から派遣された情報幕僚・山名三等海尉と二名の通信海曹が、携帯型のバッテリー駆動ワークステーションと、耐振固定された可搬型短波・超短波無線機を前に陣取り、刻一刻と変化するデータに目を凝らしていた。
大和艦長・有賀幸作大佐、副長・森下耕作大佐、そして砲術長の江島中佐が、山名の広げたラミネート加工の戦況図を無言で取り囲んでいた。
「……これが、米軍の包囲網か」
有賀の低く濁った呟きに、山名が静かに頷いて応じる。
手元の戦況図面には、米機動部隊の空母群、前衛駆逐艦の哨戒線、そして沖縄本島周辺に蝟集する輸送船団の予想展開位置が、海自の慣性航法(INS)データと前夜の電波探知情報に基づいて克明にプロットされていた。
「はい」山名はペン先で奄美大島東方の海域を指し示した。
「米海軍第58任務部隊は、奄美大島東方沖約百五十海里に展開中。エセックス級正規空母を含む打撃群から、索敵機がすでに扇状に放たれています。史実――我々の記録によれば、本日正午前後、我が艦隊は坊ノ岬沖で捕捉され、延べ三百八十機を超える艦載機の波状攻撃を受けます」
「三百八十機……!」
森下副長が息を呑み、額に滲んだ脂汗を手背で拭った。
一挙に押し寄せる大編隊の雷撃と急降下爆撃。レーダー技術の未熟な帝国海軍にとって、それは肉眼で見上げた瞬間には回避の術がない、絶望的な物量の暴力であった。
「防空戦闘の要となるのは、護衛艦『まや』のイージス戦闘システムです」山名は表情を変えずに続けた。
「しかし、昨夜片倉司令が申し上げた通り、ミサイルの備蓄は有限です。『まや』の垂直発射システム(Mk 41 VLS)に装填された長射程対空ミサイル『SM-2』は全セル中、残り六十発余り。四連装化された短距離対空ミサイル『発展型シースパロー(ESSM)』を合わせても、迎撃可能な弾数には絶対的な上限があります。一機に一発撃ち込めば、第二波を迎える前に『まや』の弾薬庫は底をつきます」
「つまり、ミサイルで空の敵を全滅させることはできん、ということだな」
江島砲術長が太い腕を組み、鋭い視線を投げかける。
「その通りです。ミサイルは、編隊を統率する指揮官機、および大和の死角から雷撃姿勢に入る雷撃機集団にのみ絞って精密発射します。そして、残る敵機群の突入隊形を破砕するのは――大和、貴艦の高角砲と機銃群、そして四十六センチ主砲の『三式弾』です」
山名は一枚の方眼紙を提示した。手書きで複雑な計算式が書き込まれた換算表である。
「Link 16を持たない貴艦に対し、『まや』のSPY-1Dレーダーが捉えた目標諸元を、我が連絡班がリアルタイムでアナログ音声と手書き電文に変換します。『目標、敵雷撃機編隊二十四、方位〇八五、距離三万五千、高度八〇〇、接近速度二二〇ノット』――この諸元を、大和の九八式射撃盤に手動調定していただきます。目視より手前、水平線の向こうで待ち伏せの三式弾火網を展開していただきます」
江島の眉が跳ね上がった。
「三式弾の長距離弾幕射撃か……! 敵が雲の下に降りてくる前に、未来の目で位置を割り出し、あらかじめ空中に散弾の壁を置くのだな」
「はい。さらに、敵の航空魚雷の射点を狂わせるため、前衛の護衛艦『むらさめ』の七十六ミリ速射砲が弾幕を張ります。我々が敵の隊形を崩し、貴艦の主砲が巨弾で叩き割る。ただし、大和の三式弾といえども、初弾から神業のように敵機を全滅させることは不可能です。散布界の広がりと破片密度から見て、目的は直撃撃破ではなく編隊の強制分断、突入コースの妨害にとどまります。そこへ高角砲と機銃の集中火網を重ねる。これが、我々の生き残るための『協調防空』です」
その頃、艦隊の数海里前方、水深百二十メートルの冷徹な暗闇を、海自のそうりゅう型潜水艦「そうりゅう」が潜航していた。
艦内はスターリング機関による低速のAIP(非大気依存推進)モード。ディーゼルを回す排気音も、キャビテーションノイズも一切ない。
発令所で、艦長・竹中二等海佐がソナーコンソールを見つめていた。
「艦長、パッシブソナーに感あり。方位一二〇、距離二万二千。周期的なスクリューノイズを微弱に探知……米ガトー級潜水艦の推進音と推定されます」
水測長・石倉先任伍長の冷静な報告が響く。
「やはりいたか」副長の深町が呟いた。「大和の出撃を待ち構えているピケット潜水艦だ」
「十八式魚雷の注水はまだだ」竹中が静かに制した。「我々の魚雷は二十本にも満たない。哨戒潜水艦一隻に貴重な有線誘導魚雷を消費する余裕はない。護衛部隊へ水中通話機で位置を伝達、パッシブ警戒を維持しつつ大和の進路を音響的に掩護せよ」
「了解。水中通話機にて『いずも』へ目標推定針路を送航します」
現代の超兵器とて、無尽蔵の弾薬を持たない以上、無用な殺傷は避ける。相手を深深度へ追い払い、大和の進路を水面下で隠蔽する――見えない盾としての極限の節制が、深海でも貫かれていた。
午前七時十五分。
雲の切れ間から、わずかに朝の光が差し込み始めた。
高度一万メートルの成層圏下層。薄い絹雲の合間を、灰白色の細長い無人航空機MQ-9B「シーガーディアン」が、静かにターボプロップの排気熱を残して旋回していた。
機体は演習開始前に九州・鹿屋の海上保安庁・海上自衛隊展開拠点から進出していたものであり、時空の裂け目を超えたあとも高高度を滑空し続けていた。しかし、衛星通信リンク(BLOS)を完全に喪失した現在、機体を制御しているのは「いずも」のマストから放たれる直接見通し線(LOS)データリンクのみである。電波の到達限界から外れる遠距離哨戒は許されず、機体は艦隊の上空二十海里圏内にとどまり、広域赤外線センサーと合成開口レーダーで水面と空を監視する「高高度固定観測点」に徹していた。機内燃料計は、すでに全容量の半分を割り込んでいる。
大和の露天甲板上では、第二艦隊の各艦――軽巡「矢矧」、駆逐艦「雪風」「初霜」「霞」の乗員たちが、上空を時折かすめる未確認の影を、息を呑んで見上げていた。
偵察用の零式水上偵察機の翼を固定していた若い整備兵が、隣の戦友の腕を掴む。
「おい……見ろよ。成層圏すれすれを飛んでるあれ、何だ。爆音もほとんど聞こえねえぞ」
「未来の飛行機だそうだ。神仏の類じゃねえよ。あの平らな船の連中も、腹が減れば飯を食い、鉄砲の弾が尽きれば戦えんと言っていた。俺たちと同じ人間だ」
兵たちの顔には、恐怖ではなく、奇妙な親近感と、確かな戦意が宿り始めていた。死ぬために海へ出たのではない。未来の同胞が、生き延びるために知恵を絞り、弾の一発すら惜しんで共に戦おうとしているのだ。
大和の第一艦橋に、鋭い電鈴の音が鳴り響いた。
「時代間連絡席より緊急報告! 上空の無人機、赤外線センサーに特異熱源反応を捕捉!」
山名三尉が、受信した諸元を走り書きした通信紙を江島砲術長の手元へ突き出した。
「敵索敵機、PB4Y-2哨戒飛行艇二機! 方位〇九〇、距離七万、高度三千! 直線侵入中! 大和の光学見張り員の視界に入るまで、あと六分!」
有賀艦長が、白手袋の手をぎゅっと握りしめた。
「……来たか。全艦、対空戦闘用意! 砲術長、未来の観測眼、信じるぞ」
「主砲、高角砲、調定開始! 三式弾、装填!」
江島の野太い号令が、大和の鋼鉄の巨体を内側から揺ルがした。
見通し外の彼方から迫る最初の敵影に向け、昭和の巨砲が、令和の電子の導きを得て、重々しく仰角を上げ始めた。




