第7章 番外編:公道の洗礼と、野本さんの「悟り」
富山:「野本さん、お疲れ様。……って、どうしたの? そんなに魂が抜けたような顔して。今日は念願の初ツーリングじゃなかったの?」
野本:「……富山さん。公道とは、これほどまでに『不条理』に満ちた場所だったのですね。教習所のクランクではあんなに華麗に舞えた私が、交差点一つで醜態をさらしてしまいました」
亀山:「あらあら、一体何があったの?」
野本:「……スピードです。教習所では出せなかった時速40km、50kmという速度域において、私の学んだ『ニュートラルステア』が牙を剥いたのです。速度が上がると、低速時とは比較にならないほど、バイクをリーンさせる際に『重さ』を感じるようになりました」
富山:「重さ? 野本さんのバイク、結構軽いはずでしょ?」
野本:「物理的な重量ではありません。速度による慣性と、私が無意識に『ロール軸』に逆らってしまったことが原因です。曲がろうとする瞬間に体がこわばり、ハンドルをこじってしまいました。その結果、リヤステアの自然な旋回を自ら殺してしまったのです」
亀山:「教習所と違って、道もデコボコしてるし、焦っちゃうわよねえ」
野本:「左様です、亀山さん。さらに公道には『轍』や『マンホール』という名の伏兵が潜んでいます。後輪で路面を感じようとしても、不規則な振動が私の『魔法使いのホーキ』のイメージをかき乱すのです。あまりの不安に、気づけば前輪のグリップばかりを気にして、ハンドルを強く握りしめていました」
富山:「あー、それって一番やっちゃいけないやつなんじゃないの? 野本さんが言ってた『放っておく勇気』ってやつ」
野本:「……おっしゃる通りです、富山さん。前輪は遠回りして遅れてついてくるものだと理解していたはずなのに、いざとなるとその『一瞬の遅れ』を待つことができませんでした。前輪が勝手に動くのを邪魔してしまい、バイク本来の自律性を奪ってしまった。これはもはや、バイクに対する背信行為です」
亀山:「でも、最初から完璧にできる人なんていないわよ。お尻で後輪を感じるのだって、慣れが必要なんだから」
野本:「……亀山さんの慈愛に満ちた言葉が身に沁みます。私は今日、改めて悟りました。教習所は『理屈』を学ぶ場所であり、公道はその理屈を『身体化』するための修練場なのだと。最近のレプリカは前輪荷重が大きく、意識してリヤステアを作らなければ曲がってくれない……その事実を、私は恐怖という代償を払って再確認しました」
野本さんは、お冷を一口飲み、少しだけ視線を上げました。
野本:「次は、時速80kmの世界でもニュートラルなステアバランスを維持できるよう、己の『ロール軸』を研ぎ澄ませたいと思います。……富山さん、まずはこの震える手でトレイを持てるよう、リハビリを手伝っていただけますか」
富山:「まずは仕事に集中してね、野本さん」
野本さんの公道での「暇つぶし」は、まだ始まったばかりです。




