なくてもいい幕間 第5章 暇つぶしサークル、光と影の特別講義
夕暮れ時の部室。野本さんは古いプロジェクターのスイッチを入れ、白い壁に強い光を投影しました。
野本:「皆さん、かつてこのサークルが『手影絵サークル』だったことを覚えていますか?」
山田:「……というか、僕らが入る前の話でしょ」
野本:「形を変えても、本質は変わりません。今日はこの『影』を使って、最新のライディング理論を視覚化します。小宮部長、電気を消していただけますか」
カチッという音と共に、部室は暗闇に包まれ、壁には野本さんの手の影が大きく映し出されました。
1. 後輪という名の「支点」
野本さんは左手を握り込み、どっしりとした岩のような影を作りました。
野本:「これは後輪です。最近のレプリカバイクは前輪への荷重分布が増え、そのままでは曲がりにくくなっています。だからこそ、この後輪の接地点を『支点』にする意識が必要なのです」
彼女は右手の指をスッと動かし、後輪の影を軸にして弧を描かせました。
野本:「魔法使いのホーキにまたがるように、お尻の下にある後輪を感じてください。ハンドルをこじらず、この後輪を軸に車体を預ける。これがリヤステアの魂です」
2. 黄金の「ロール軸」
次に、野本さんは一本の真っ直ぐな棒の影を、斜めに映し出しました。
野本:「これがバイクを貫く『ロール軸』です。ステアリングヘッドの下端と、私たちの膝付近にある重心を結ぶ目に見えない線です」
彼女はもう一本の手で、その軸に対して垂直な角度を作ります。
野本:「理想的なバイクは、このロール軸とステアリングヘッドが90度で直交するように設計されています。この軸に逆らわずにリーンすれば、バイクは驚くほど軽やかに、ニュートラルに傾いていくのです」
橋本副部長:「影で見ると分かりやすいな。無理にひねると、その軸が歪むのが目に見えるようだ」
3. 前輪の「優雅な遅れ」
最後に、野本さんは両手を使って、二つの異なる弧を描きました。
野本:「最後は前輪の振る舞いです。ライダーは焦って前輪を向けようとしがちですが、それは間違いです。見てください。前輪は後輪よりも外側を、少し遅れて『遠回り』してついてくるものなのです」
壁の上で、一つの影がもう一つの影を追うように、ゆったりと円を描きます。
野本:「このセルフステアの『一瞬の遅れ』を許容し、放っておく勇気。それこそが、タイヤのグリップを最大限に引き出し、安定した旋回を生むコツなのです」
講義の終わりに
パッと電気がつき、野本さんは満足げに一礼しました。
重子:「影絵でバイクの講義なんて、野本さんらしいわね。でも、なんだか本当にバイクが生き物みたいに見えたわ」
野本:「重子さん、その通りです。バイクは物理法則に従いながらも、乗り手の『信頼』に応えてくれる対話相手なのです。……さて、講義が終わったところで、富山さんと亀山さんの待つジョナサンへ向かいましょう。エネルギーを補給せねばなりません」
山田:「結局、最後は食欲なんだ」
野本さんは静かに部室を後にしました。彼女の背中は、すでに完璧なロール軸を捉えているかのように、真っ直ぐで揺るぎないものでした。




