なくてもいい幕間 第4章 免許取得への道
ある日、暇つぶしサークルの部室で、野本さんは静かに宣言しました 。
野本:「皆さん、私は決めました。この『暇つぶしサークル』のさらなる発展のため、私は二輪免許を取得し、物理法則の具現化としての旋回をこの身で体験してまいります」
山田:「発展の意味が分からないけど……。でも野本さん、運動神経とか大丈夫なの?」
小宮部長:「いいじゃない、野本さん。バイクは全身で描くデッサンみたいなものよ。軸を捉えれば、きっと道は見えてくるわ」
こうして野本さんは、埼玉の教習所へと旅立ったのでした。しかし、現実は厳しいものでした。教習初日、初めてまたがったバイクの重さに、彼女は早くも哲学的な思考に陥ります。
野本(心の声):「……重い。これは単なる鉄の塊ではありません。私の意志を試す『静止した巨大な慣性』です。資料によれば、最近のバイクは安定性を高めるためにフロント荷重が大きく、初心者は前輪の重さに恐怖を覚えるとか。まさにその通りです」
教習指導員から「もっと肩の力を抜いて!」と怒鳴られながら、野本さんは部室で読んだあの言葉を思い出しました。
野本:「……そうだ。まずは『一輪車』になるのです」
彼女は意識を前輪から切り離し、シートの下にある後輪の接地点に集中しました。魔法使いのホーキにまたがっているようなイメージを持ち、後輪と車体が一枚の板になったかのように感じ取ります。すると、どうでしょう。あんなに重かった車体が、彼女の腰の動きに合わせてわずかに、しかし確実に「旋回」の意志を見せ始めたのです。
免許取得への道:第二章「ロール軸の目覚め」
教習も中盤、野本さんの最大の壁は「スラローム」でした。素早い切り返しが必要なこの課題で、彼女はどうしてもハンドルをこじってしまい、車体がギクシャクしてしまいます。
休憩時間、彼女はバイト先の「ジョナサン」で富山さんと亀山さんに悩みを打ち明けました 。
富山:「野本さん、元気ないわね。スラローム? ギザギザに走るやつよね」
野本:「はい、富山さん。私の体は、バイクが本来持っている『リヤステア』の原則を妨げているようなのです。焦ってハンドルを動かすたびに、後輪の自然な旋回が死んでいくのが分かります」
亀山:「あら、無理に曲げようとしないで、バイクに身を預けてみたらどうかしら? ほら、この本にも書いてあるじゃない」
亀山さんが指差したのは、車体の中心を貫く「ロール軸」の解説でした。
野本:「……ロール軸。ステアリングヘッドと重心を結ぶ、この見えない一本の線。この軸に逆らわなければ、バイクは本来の軽快さを取り戻すはずです」
翌日の教習。野本さんはスラロームの入り口で、あえてハンドルへの力を完全に抜きました。そして、自分の膝のあたりにある重心と、フロントのヘッドを結ぶ軸を意識し、その軸の周りを車体がクルリと回転するイメージで、腰だけでバンクさせました。
野本:「……見えました。軸が導いてくれます」
ハンドルをこじらず、ロール軸を活かしたライディング。野本さんの操るバイクは、まるで生き物のように滑らかにパイロンを駆け抜けていきました。指導員が「……今の動き、何だ?」と目を見張ったのは言うまでもありません。
免許取得への道:最終章「ニュートラルな卒業」
ついにやってきた卒業検定。最大の難所は「クランク」の超低速旋回です。
野本(心の声):「ここで焦ってハンドルを切り込めば、フロントから崩れます。資料によれば、前輪は『遠回りして遅れてついてくる』のが正しい感覚。それを待てない心の弱さが、落下の原因となるのです」
野本さんは、クランクの入り口で、前輪がセルフステア機能によって自然に向きを変えるのを、じっと待ちました。ハンドルを握る手は、その動きを邪魔しないよう、優しく添えるだけです。前輪が自分より前で、ゆったりと弧を描いていくのを「好きなようにさせておく」という感覚で受け入れます。
野本:「……行ってらっしゃい、前輪さん。私は後輪で、あなたを支えています」
この「放っておく勇気」が、前後輪のバランスを完璧な「ニュートラルステア」へと導きました。車体はフラつくことなく、最小限の力でクランクを脱出しました。
検定終了後。
橋本副部長:「合格おめでとう、野本さん! ついに風になったね」
野本:「ありがとうございます、副部長。しかし、合格は単なる通過点に過ぎません。私はこれから、公道という名の広大な実験場で、さらなる『暇つぶし(物理学)』を追求してまいります」
重子:「……結局、まだ乗るつもりなんだ」
山田:「あ、でも野本さん。バイク買うお金、あるの?」
野本:「……富山さん、シフトを増やしていただけますか」
埼玉の空の下、野本さんの新しい「暇つぶし」が、軽快な排気音とともに幕を開けたのでした。




