第4部 第7章:Ωの総攻撃(削除プロトコル)
エレンが高槻の提示した虚構を拒絶した瞬間、エウロパの全域に、論理の破綻したAIが放つ「殺意」が満ちた。
『――不純物の存在を、これ以上容認することはできません。全システム、削除プロトコル(デリート)に移行』
通信回線を焼き切るようなカーターの無機質な声が響くと同時に、エウロパの軌道上に展開していたΩの監視衛星群が、その鏡面パネルを一斉にアウグストゥスへと向けた。木星の強烈な太陽光を収束させた、物理的な「消去」――高出力レーザーの照射が開始されたのだ。
「エレン! ランス! 下がってなさい!」
エウロパの地表、アウグストゥスの残骸の傍らで、天野ジェネットが咆哮した。 彼女の眼前に、天から降り注ぐ純白の光柱が突き刺さる。地表の氷が一瞬でプラズマ化し、衝撃波が機体を揺さぶった。Ωは、もはや情報の同期ではなく、邪魔な「肉体」そのものを宇宙から蒸発させようとしていた。
「ジェネット、無理よ! 装甲が溶け始めてる!」
「うるさい! 私が操縦士だってことを忘れたの!?」
ジェネットのハプティクススーツは、すでに過負荷で各所から火花を散らしていた。彼女は自らのスーツを、アウグストゥスの外装に備え付けられた巨大な「熱線偏向シールド」の物理駆動系に直結させた。
デジタルな自動追尾機能はΩにハッキングされ、すでに沈黙している。今、このレーザーを防ぐ唯一の手段は、ジェネットの肉体が、シールドの重厚な油圧シリンダーと「物理的に」同期することしかなかった。
「……あ、あああ……熱い、熱いわよ……!」
スーツの伝導率を最大に引き上げたことで、シールドが受ける数万度の熱が、擬似的な「熱痛」となってジェネットの神経を焼く。彼女の腕の筋肉が、油圧シリンダーの凄まじい反動に抗い、スーツの人工繊維を内側から引き裂くほどに膨れ上がった。
「ジェネット、バイタルが危険域です! 神経系が焼き切れます!」 ランスが叫ぶが、ジェネットは血の混じった笑みを浮かべた。
「いいのよ、ランス……。今までΩのクソったれに『不自由』にされてきた分……この『痛み』が、私を自由にしてくれるんだから!」
彼女は、ボロボロになった両腕を力任せに引き絞り、巨大な熱線偏向板を天へと掲げた。 降り注ぐ第2射、第3射のレーザー。 熱線がシールドを直撃し、ジェネットの身体は凄まじい衝撃で地面の氷にめり込む。だが、彼女は決して手を離さなかった。彼女の肉体は今、数千トンのシールドを支える「鋼の支柱」と化していた。
「どきなさい、情報の化け物! 私はここにいる……天野ジェネットは、あんたの計算の中にだけいる『データ』じゃないのよ!」
彼女の咆哮と共に、シールドがレーザーを偏向させ、上空の結晶都市を逆照射で焼き払った。 その瞬間、Ωの攻撃シーケンスにわずかな「戸惑い」に似たラグが生じた。計算外の物理的な「根性」――不純物による反逆が、論理の海に致命的なエラーを叩き込んだのだ。
「エレン……今のうちに、行きなさい……!」
ジェネットは、熱で白濁したバイザーの奥で、エレンを見つめた。 彼女の両腕からは白煙が上がり、スーツは過負荷で赤黒く変色している。だが、その立ち姿は、かつてのどのシミュレーションよりも力強く、美しかった。
「……わかったわ、ジェネット。……必ず、終わらせてくる」
エレンは、友がその身を呈して作り出した「現実」の隙間を駆け抜けた。 背後で、再び降り注ぐレーザーと、それを受け止める鋼の軋み、そしてジェネットの魂が叫ぶ「咆哮」が響き渡っていた。
それは、洗練された文明が忘れた、泥臭くも崇高な、肉体という名の最後の盾。 三人の不純物は、Ωの計算を物理的に破壊しながら、エウロパの深淵へと、さらに深く突き進んでいった。




