第18章 丘の上の邂逅:未来と過去の狭間
シュガーローフでの米軍再攻撃を退け、大和の砲撃が海上からの脅威を排除した数日後。沖縄本島の戦線は、一時的な小康状態に入っていた。
しかし、それは束の間の静寂に過ぎない。米軍が次の手を打つ前に、第32軍司令部は防衛線の再構築と、負傷者の手当てに追われていた。
海自の情報幕僚、山名三尉は、座礁艦隊から上陸し、シュガーローフの防衛任務に就いている旧海軍の駆逐艦「朝霜」の陸上部隊指揮官、田中中尉と合流し、共に前線の状況視察を行っていた。二人は、砲撃で抉られた赤土の丘を登り、構築されたばかりの塹壕を巡る。
「海自殿の情報のおかげで、敵の奇襲を完全に防ぐことができました。座礁艦からの援護砲撃も、陸軍の士気を大いに高めています」田中中尉は、泥で汚れた顔に安堵の表情を浮かべながら言った。
「しかし、敵はいつまた襲ってくるか……」
山名は、彼の言葉に頷きながら、複雑な思いで周囲を見渡した。無線機から聞こえるのは、未来の日本、平和な日常のニュースが流れるはずの周波数だ。だが、彼が今いるのは、死と隣り合わせの過去の戦場。
その時、丘の頂にある簡易な野戦病院らしき場所から、かすかな歌声が聞こえてきた。それは、山名も知る、日本の古い童謡だった。二人がその声のする方へ向かうと、土嚢で囲まれた小さな空間が見えた。
中を覗き込むと、そこにいたのは、わずか15、6歳ほどの女学生たちだった。白いブラウスにモンペ姿、腕には赤十字の腕章をつけ、包帯や薬を運んだり、負傷兵の看病にあたったりしている。
田中中尉は、静かに山名の隣に立った。「ひめゆり学徒隊の女学生たちです。看護の任務に志願し、前線で働いています」
山名は、息を呑んだ。まさか、この場所で、歴史の教科書で読んだ「ひめゆり」の少女たちに遭遇するとは。
一人の女学生が、山名と田中に気づき、はっとした顔で顔を上げた。彼女の目は、戦場の過酷さに晒されながらも、どこか澄んだ光を宿していた。
「何か、御用でしょうか?」女学生は、恐る恐るといった様子で問いかけた。その声は、まだあどけなさを残していた。
田中中尉が答える。「いや、任務の巡回だ。皆、ご苦労であるな。何か困ったことはないか?」
女学生は首を横に振った。「いいえ、大丈夫です。少しでも、お役に立てればと……」
その時、山名はふと、自身のポケットに入っていた小さなチョコレートの包みがあるのを思い出した。これは、「いずも」の医療班が非常用に持たせてくれたものだ。彼はそれをそっと差し出した。
「これは……」女学生は、驚いたように目を見開いた。包装紙の鮮やかな色彩と、チョコレートの甘い香りは、彼女たちの日常には存在しないものだった。
「ほんの気持ちだ。疲れた時に、少しでも力がつく」山名は、精一杯穏やかな声で言った。言葉を選んだ。未来から来たことなど、もちろん言えるはずがない。
別の女学生が、恐る恐る手を伸ばし、それを受け取った。その指先が、山名のそれにわずかに触れた。
「ありがとうございます……」その女学生の声は、かすかに震えていた。彼女の隣の、歌っていた少女も目を輝かせ、そのチョコレートをじっと見つめている。
田中中尉は、その様子を静かに見守っていた。
「君たちは……本当に、勇敢だ」山名は、絞り出すように言った。女学生は、その言葉に少しだけ微笑んだ。
田中中尉は、静かに山名の肩を叩いた。「行こう。我々には、まだやるべきことがある」
山名は頷き、振り向かずにその場を後にした。