残弾数発――破滅へ向かう艦隊
昭和二十年四月十八日、午後八時。
東シナ海の波頭は夜の帳に呑まれ、鉛色から黒褐色へとその色を変えていた。頭上を覆う重い乱層雲が月光を遮り、吹き抜ける夜風には、那覇の沿岸でくすぶり続ける重油の焦げ臭さと、湿り気を帯びた潮の匂いが混じり合っている。
沖縄本島西海岸、安謝川河口付近の砂州。
そこには、現代と過去の艦艇が鋼鉄の巨躯を砂泥に沈めた「座礁要塞群」が、黒々とした稜線のように横たわっていた。
護衛艦「むらさめ」、軽巡「矢矧」、駆逐艦「霞」。
大潮の満潮水位を利用して乗り上げ、干潮を迎えて完全に海底に腰を据えた各艦の艦底からは、陸上へと延びる何本もの黒いパイプラインが這い出していた。
「陸上冷却水循環ポンプ、水圧安定。取水口の砂噛み、許容範囲内です!」
「むらさめ」艦橋下、薄暗い応急指揮所で工務科員が叫ぶ。
艦を動かすガスタービン主機はすでに冷え切っていたが、陸上から引き込んだ海水冷却バイパスと、第32軍から融通された軽油を三度濾過して供給される非常用ディーゼル発電機が、低く規則正しい唸りを上げていた。これによって、艦の頭脳である戦闘指揮所(CIC)の戦術コンピューターと射撃指揮装置FCS-2、そして艦首の62口径76mm単装速射砲への電力供給が維持されていた。
「残弾、七十六ミリ砲弾五十八発。二十ミリCIWS弾、二トレイン(約千発)」
砲術士官が手帳に鉛筆で書き込んだ数字は、あまりに心許ない。だが、その砲口は首里北方の街道と海岸線へ向け、狂いなく固定されていた。
さらに本島北方の塩屋湾奥深くの浅瀬では、満載排水量二万六千トンの巨艦、ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」が、静かに浅瀬へと艦底を接地させていた。
外洋からの魚雷攻撃や直接の艦砲射撃を遮る天然の入り江において、艦底を砂泥に密着させて固定化を完了。主機関を停止させ、残存するわずかな軽油を発電機へ集中させることで、「いずも」は動かぬ洋上固定防空・通信中継要塞へと移行した。
艦載の多機能フェーズドアレイレーダーOPS-50は低出力モードで周囲の空を走査し、陸上から敷設された有線通信ケーブルが首里司令部壕と直結された。
飛行甲板上では、最後の整備作業が黙々と進められている。
稼働可能なF-35Bは、四番機のわずか一機。
その機内ウェポンベイに収められた中距離空対空ミサイル「AIM-120D」は四発。米空母レーガンから飛来するであろう超音速機に対し、塩屋湾の防空拠点と首里中枢への突入軸を叩き折るためだけに温存された、沖縄上空における最後の爪であった。
***
同じ頃、首里沖合約十二海里の洋上。
黒い海原に、ひときわ巨大な城塞のような影が浮かんでいた。
戦艦「大和」。
その満載排水量七万二千トンの鋼鉄の巨躯の周囲を、イージス護衛艦「まや」、そして歴戦の駆逐艦「雪風」「初霜」が、機関の回転数を落とした微速で旋回していた。
大和の第一艦橋。
カンテラの黄色い炎と、持ち込まれた海自の携帯型蓄電池式端末の青白い冷光が、立ち並ぶ士官たちの顔を照らし出していた。
首里司令部壕から内火艇で帰還した副長・森下耕作大佐が、第一艦橋の分厚い装甲扉を開けて踏み込んできた。その軍服の裾には、首里の赤土の泥濘が乾かぬままこびりついている。
「艦長、戻りました」
森下は直立し、艦長・有賀幸作大佐へ挙手の敬礼を捧げた。
有賀は静かに頷き、手袋をはめた手で副長の肩を叩いた。
「苦労だったな、森下。首里の地下の様子はどうであった」
「……厳しい現実であります」
森下は声を絞り出した。
「しかし、牛島中将、八原高級参謀ともに、未来の知恵を受け入れ、最後の一兵まで首里の地下に踏み止まる覚悟を固めておられました。そして……我ら第二艦隊に対する、片倉司令と牛島閣下からの最終命数が下りました」
森下は作戦卓の上に、首里地下で片倉一佐が赤鉛筆で書き込み、牛島中将が署名した一枚の作戦指導要領を広げた。
『作戦名――天二号作戦』
有賀はその文字をじっと見つめた。
「大和は……沖縄の海で死ぬのではないのだな」
「はい」森下は頷き、苦渋と決意の混じった声で言葉を継いだ。
「我が大和、およびイージス艦『まや』、駆逐艦『雪風』『初霜』は、これより沖縄の包囲網を突破。北上し、母港・呉へと突進します」
艦橋内にいた砲術長・江島中佐、航海長、通信長ら帝国海軍の士官たちが、一斉に息を呑んだ。
「呉へ……引き返すというのか!」江島が太い眉を吊り上げた。
「我らは特攻出撃として豊後水道を出たのだぞ! 弾薬を撃ち尽くし、艦を座礁させてでも沖縄の土となるのが、第二艦隊の死に場所ではないのか!」
「江島、静かにせよ」
有賀の低く、静かな一喝が艦橋を鎮めた。有賀は森下の目をじっと見据えた。
「片倉司令の真意を話せ、副長」
「……東京を、そしてこの国を救うためです」
森下は、首里城地下で明かされた戦慄の未来を告げた。
「米軍は、沖縄での予想外の出血と我らの抵抗を受け、新型爆弾――『原子爆弾』の増産を急がせています。広島、長崎のみならず、小倉、そして帝都・東京をも標的候補とし、夏までに四発体制を整えるという時限爆弾が動き出しました。通常戦力でどれほど敵を押し返そうとも、核の投下を許せば国家そのものが地図から消滅します」
「帝都が……!?」
江島の手から双眼鏡が滑り落ちそうになった。艦橋要員全員の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「さらに、二〇二五年の未来から、米海軍の十万トン級原子力空母『ロナルド・レーガン』がこの時代へ転移し、すでにマリアナ東方から沖縄へ向けて進撃を開始しています。敵空母の搭載機は数十機のF/A-18スーパーホーネットを中核とし、超音速で飛来する精密攻撃兵器を備えています。我々がここに留まり続ければ、圧倒的な兵站を持つ米空母の前に、大和も護衛艦も削り殺されるのを待つだけになります」
「未来の米軍空母か……」
有賀が低く唸った。
「そうだ」森下が言った。
「故に、作戦は二段階で行われる。まず、レーガンが沖縄へ接近した瞬間、『まや』が電子戦を仕掛けて敵の戦術データリンクと航空管制網を一時的に錯乱させる。その隙を突き、我が大和の四十六センチ主砲が、水平線の彼方から巨弾を浴びせて敵空母の飛行甲板とカタパルトを叩き潰す。……そして、敵が混乱に陥ったその刹那に、包囲網の裂け目を突いて全速で北上する」
森下は海図の豊後水道を指先で叩いた。
「沈むはずだった大和が生きて『まや』を伴い、呉に帰還すること。それ自体が、東京の大本営、陸海軍首脳部、そして天皇陛下に対する『動かぬ物証』となるのです。『未来の科学力』と、目前に迫る『四発の原爆による帝都壊滅』という現実を直接突きつけ、徹底抗戦派の目を覚まさせ、国体護持を条件とする講和のテーブルへ着かせる。……大和の砲は、散華の花火ではない。この国を滅亡の淵から引き戻し、講和を勝ち取るための、最後の切り札なのだ」
沈黙が艦橋を支配した。
死を覚悟し、家族や祖国に遺髪を残して出撃してきた将兵たちにとって、「生き残って本土へ戻る」ということは、自らの誇りと覚悟を根底から覆されるに等しい。
しかし、その目的が「帝都壊滅の阻止」と「民族の生存」にあると知った時、武人たちの胸に宿ったのは、盲目的な滅びの美学を超えた、冷徹な使命感であった。
「……相分かった」
有賀幸作は深く息を吐き、静かに軍帽を被り直した。
「江島砲術長。主砲残弾の確認を」
「ハッ……! 主砲徹甲弾、残余四百二十発。三式通常弾、残余七十二発。給弾機構、水圧機ともに異常ありません!」
「航海長。呉への最短突破針路、ならびに米潜水艦哨戒網を回避する島嶼伝いの変針計画を立案せよ」
「了解いたしました!」
「電信長。護衛艦『まや』との直通アナログ回線を開け。……これより、我らは未来の友軍と共に、生きて帰るための戦いへ入る」
***
大和の左舷後方千五百メートルを並航する、イージス護衛艦「まや」の戦闘指揮所(CIC)。
空調の冷気が漂う暗闇の中、大型コンソールが発する青や赤の光が、乗員たちの硬直した表情を照らし出していた。
艦長の高梨一佐は、耳元のインカムに手を当てながら、大型戦術情報ディスプレイを見つめていた。
スクリーンには、「まや」の残存戦闘データが非情な数値として表示されている。
【VLS残弾ステータス】
・SM-2 長距離艦対空ミサイル:0発(払底)
・Type 07 VLA(垂直発射魚雷):2発
・ESSM(発展型シースパロー短SAM):4発(1セル分)
【艦砲】
・Mk 45 62口径5インチ単装砲:残弾92発
【燃料】
・主機用ガスタービン軽油:残余32%(巡航18ノットにて航続約36時間)
「……ミサイルの傘は、もう開けないな」
高梨の呟きに、砲雷長が重い表情で頷いた。
「はい。長距離の防空能力は完全に喪失しています。ESSMの最後の四発は、本艦または大和に対する至近の対艦ミサイル、もしくは急降下機への最終自衛用です。我々が敵の航空攻撃を受ければ、主砲の五インチ速射砲とCIWSの機関砲火網だけで凌ぐことになります」
「だが、我々には『眼』がある」
高梨は前を向いた。
艦橋構造物の四面に貼り付けられたフェーズドアレイレーダー「AN/SPY-1D(V)」。そして水上捜索レーダーと、高出力電子戦装置「NOLQ-2」。
GPS衛星もデータリンク衛星も失われたこの1945年において、「まや」のレーダーは自艦の位置から半径四百キロ以内の全空域・海域を同時にスキャンし、数百の目標をミリ秒単位で追尾・識別できる、地球上で唯一無二の全知の眼であった。
「通信士、大和からの入電は」
「短波音声回線、感度明瞭です。『大和、針路〇一五、速力十六ノット。貴艦の誘導に従い、北上準備完了せり』とのことです!」
「よし」高梨は頷いた。
「時代間座標変換班、大和電信室とのアナログリンクを常時維持せよ。本艦のSPY-1レーダーが捉えた全目標データを、リアルタイムで大和の九八式射撃盤諸元へ手動変換して送り続ける。大和を盲目にはさせん。本艦が前衛の盾となり、電子の眼となって、大和の四十六センチ砲を導く」
***
昭和二十年四月十八日、午後九時。
沖縄本島北方海域。
「いずも」と首里司令部から放たれた低出力バースト通信の最後の暗号電が、「まや」の受信機を通じて大和へと転送された。
『作戦発動時刻、明朝〇四三〇。総員、配置につけ』
東シナ海を裂いて進む、二つの時代の異様な単縦陣。
先頭を進むのは、鋭利なステルス形状の艦橋と八角形のレーダーを光らせる最新鋭イージス護衛艦「まや」。
その直後を、三基の巨大な四十六センチ三連装砲塔を闇に突き出し、満載七万トンの重圧な引き波を立てて進む超弩級戦艦「大和」。
そしてその両翼を、歴戦の駆逐艦「雪風」「初霜」が、ソナーの探信音に全神経を尖らせながら護衛していた。
見上げる夜空には星はない。
水平線の彼方、マリアナの海からは、十万トンの原子力空母「ロナルド・レーガン」が、二基の原子炉の莫大な熱量を推進力に変え、音もなく距離を詰めていた。
そして太平洋の深海では、四本の魚雷だけを抱えた潜水艦「そうりゅう」が、来たるべき核輸送路を監視すべく、死線へと潜航を続けている。
補給なき孤軍。残弾数発の防空。
しかし、互いの背中を預け合い、生き残って祖国の破滅を止めるというただ一つの意志で結ばれた艦隊は、静まり返る漆黒の海原を、運命の決戦海域へとひた押しに進んでいった。




