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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第137章 第3章:雨の公園の「事実」


 「ねえ、お巡りさん。雨の音って、何かに似てると思わない?」

 スズキタメゴロウは、取調室の防音壁に吸い込まれていく雨音に耳を澄ませ、恍惚とした表情で呟いた。その声は湿り気を帯び、聞く者の耳元で這いずるような不快感を与える。

 東堂は無言でパイプ椅子を引き、スズキの正面に座った。その目には深い隈が刻まれ、十五年前の記憶というおりが沈んでいる。類輝は壁際に立ち、タブレット端末を操作しながら、スズキの言動から「事実」の断片を冷徹に抽出しようとしていた。

「雨の音は、拍手の音に似てるんだよ」

 スズキは自分の手を弱々しく叩いてみせた。パチ、パチ、と乾いた音が響く。

「十五年前のあの日、更紗ちゃんを救い出したあんたたちに向けられた、世間様からの万雷の拍手。……でもね、あの子にとっては、それは自分を切り刻む刃物の音だったんだ」

「スズキ、お前のポエムを聞きに来たわけじゃない」

 東堂が声を低く沈める。

「事象を話せ。今夜、何が起きる」

「焦らないでよ、東堂さん。爆弾を解除するには、まず構造を知らなきゃ。……十五年前の公園。びしょ濡れの更紗ちゃんに、佐伯文が傘を差し出した。それが『事実』だ。でも、その傘の下にどんな宇宙があったか、あんたたちは一秒でも想像したかい?」

 スズキは身を乗り出し、机の上に脂ぎった顔を近づけた。

「更紗ちゃんはね、叔父の家で『食べること』すら奪われていたんだ。自由奔放だった両親を亡くし、引き取られた先は、清潔で、規律正しくて、そして――夜になると叔父が布団に入ってくる地獄だった。彼女にとって、家は帰る場所じゃなく、逃げ出す場所だったんだよ。そこに現れたのが、文だ。彼は彼女に何も強要しなかった。ただ、そこにいていいと言った。アイスを食べ、ゲームをし、本を読む。そんな当たり前の日常を、文は彼女に与えた。……それは誘拐かな? それとも、神様がさぼった代わりに彼がやった、唯一の善行かな?」

「法的には誘拐だ。未成年を親権者の同意なく拘束すれば、動機がどうあれ罪になる」

 類輝が事務的に差し挟む。

「『拘束』! 傑作だね、類輝さん!」

 スズキは膝を打って爆笑した。

「あの子を拘束してたのは、叔父の家であり、あんたたちが守る『家族』という名の檻の方だよ! 文のアパートは、彼女にとって唯一の解放区だった。……でも、あんたたちはそれを壊した。正義の顔をして踏み込み、文を組み伏せ、更紗ちゃんを泣き叫びながら引きずり出した。そして彼女をどこへ戻した? 彼女が一番恐れていた、あの叔父の家だ!」

 東堂の拳が、膝の上で震えた。

「……我々は、通報を受けて動いた。家族が彼女を探していたんだ」

「その『家族』が牙を持っていたとしてもかい? 警察はいつもそうだ。見える数字、見える書類、見える血痕しか信じない。更紗ちゃんが必死で『帰りたくない』と訴えても、『洗脳されている』『子供の言うことだ』と切り捨てた。あんたたちが守ったのは少女の安全じゃない。社会の『あるべき姿』という名のシステムだよ。……その結果、更紗ちゃんはどうなったと思う?」

 スズキの目が、冷酷な光を放つ。

「彼女は、一生消えない『被害者』という焼印を押された。何をしても可哀想な目で見られ、過去を詮索され、善意という名の暴力に晒され続ける人生だ。……そして今夜、彼女はその焼印を自ら焼き切ろうとしている」

「焼き切る……自暴自棄になるということか?」

 未來が不安げに尋ねる。

「違うよ、お巡りさん。彼女は、あの『雨の日の続き』を始めようとしてるんだ。文と再会した彼女は、今、亮という婚約者の家を飛び出し、文の元へ向かっている。……でもね、そこに待っているのはハッピーエンドじゃない。亮という『正義の怪物』が、執念深く彼女を追っている。彼は更紗を愛しているんじゃない。更紗を救った自分を愛しているんだ。自分の所有物が、かつての犯人の元へ逃げるなんて、彼にとっては耐え難い侮辱だ」

 スズキは、机の上に置かれた東堂のメモ帳を指差した。

「最初の爆弾の場所を教えてあげるよ。……亮は今、更紗の居場所を突き止めるために、ある人物を脅迫している。その人物が口を割らなければ、亮は『正義の鉄槌』を下すだろう。場所は、十五年前に更紗が保護された、あの公園の近くの廃ビルだ」

「亮が……暴力に及んでいるというのか?」

 東堂が立ち上がる。

「彼は自分が正しいと信じている。だから、どんな残酷なこともできるんだ。あんたたち警察と同じだよ。……さあ、急がないと。亮が放つ『善意の爆弾』が、誰かの人生を粉々にする前に」

 類輝は即座に無線に手をかけた。

「各局、野方一三より。十五年前の家内更紗事件の関係者、中瀬亮の所在を確認。至急、指定の廃ビルへ向かえ」

 スズキは椅子に深くもたれかかり、天井を見上げて満足げに笑った。

「事実と真実。あんたたちが追いかけるのはどっちかな? ……でも気をつけて。真実を知ってしまったら、もう二度と、元の安穏とした正義の世界には戻れないよ」

 取調室の外では、雷鳴が轟いた。

 東堂は、十五年前に自分が抱き上げた、震える少女の重みを思い出していた。あの時、自分が守ったものは一体何だったのか。スズキの突きつける問いが、彼の魂をじりじりと焼き始めていた。


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