第136章 第2章:異形のバディと15年前の亡霊
スズキタメゴロウが吐き出した「十五年前の亡霊」という名の毒は、取調室の空気を一変させた。倖田未來が感じていた生理的な嫌悪感は、今や実体を持った恐怖へと変質している。
そこへ、もう一人の男が重い足取りで入ってきた。東堂功。野方署のベテランであり、組織の軋轢に磨り減らされた「死んだ目」を持つ中年刑事だ。
「……スズキタメゴロウ。またお前か」
東堂は、ヨレヨレのネクタイを緩めながら、スズキを冷ややかに見下ろした。
「東堂さん、こいつ、十五年前の『流浪の月事件』のことを……」
未來が言いかけるのを、東堂は手で制した。
「知っている。俺はこの男の『クイズ』には耳を貸さないと決めているんだ」
「おや、東堂さん。冷たいなあ。あんたとは古い仲じゃないか。あの事件の時、あんたも現場を走ってた一人だろ? 更紗ちゃんを文の部屋から引きずり出した時、あんた、彼女の目を見たかい?」
スズキが、獲物を見つけた爬虫類のような目で東堂を凝視した。
「黙れ、スズキ。あれは法に則った正当な保護だ」
「保護、ねえ。あの子は叫んでたよ。『文のところにいたい』って。それをあんたたちは『洗脳』の一言で片付けた。子供には自分の意志なんてない、大人が決めた枠組みが唯一の正解だ――それがあんたたちの正義だろ?」
スズキの言葉は、東堂が長年胸の奥に押し込めていた罪悪感の蓋を、無理やり抉り開けるような鋭さを持っていた。東堂は表情を強張らせ、言葉を失う。
そこへ、類輝の冷徹な声が割って入った。
「感情論は無意味だ。スズキ、君の目的は東堂さんの過去を論難することではないはずだ。君が言う『爆弾』――つまり、今夜起きるという『事象』について話せ。君はなぜ、家内更紗と佐伯文が今夜再会することを知っている?」
スズキはケタケタと笑い、椅子の上で落ち着きなく体を揺らした。
「類輝さんは相変わらず合理的だねえ。大好きだよ、あんたみたいな『人間味のない怪物』は。いいかい、更紗ちゃんはね、ずっと擬態して生きてきたんだ。世間が望む『かわいそうな被害者』という仮面を被って、亮という名の『正義の味方』の隣でね。でも、その仮面の下では、ずっと渇いてた。自分をありのままに見てくれた、あの唯一の『誘拐犯』を求めてね」
「亮……彼女の婚約者か」
類輝が淡々と事実を確認する。
「そう。中瀬亮。彼はね、更紗ちゃんを愛しているつもりなんだ。でも、彼が愛しているのは『自分が救ってあげた可哀想な女』であって、更紗ちゃん本人じゃない。彼は更紗ちゃんに『普通』を強要する。過去を消し去り、自分の理想の家庭に彼女を閉じ込めようとする暴力的な善意の塊だ」
スズキは、まるでその場にいたかのように克明に語り始めた。
「今夜、更紗ちゃんは偶然、文が営むカフェを見つけてしまった。再会は爆発を生む。更紗ちゃんの中に溜まっていた『誰も信じてくれない真実』が、文という火種に触れたんだ」
「それがどうして爆弾になる。二人が再会したところで、それは個人の自由だ」
未來が必死に食い下がるが、スズキは憐れむような目を彼女に向けた。
「お巡りさん、甘いよ。更紗ちゃんの背負わされた『デジタルタトゥー』を忘れたのかい? 世間は、かつての被害女児と誘拐犯が密会していると知ったら、どんな顔をする? 『また誘拐された』『洗脳が解けていない』。正義の味方たちが、一斉に石を投げ始める。亮だって黙っちゃいないだろうね。彼は自分を裏切った更紗を、力ずくで『教育』しようとするはずだ」
スズキは窓の外の雨を指差した。
「この雨が止む頃には、誰かが死んでいるかもしれない。あるいは、誰かの人生が二度と修復不可能なほどに破壊されている。それが俺の言う『爆弾』だ。場所は……そうだな。文がひっそりと営んでいるカフェの名前、知りたくないかい?」
類輝は東堂と視線を交わした。東堂の瞳には、かつての「情熱」ではなく、逃れられない「業」に対する諦念と、わずかな焦燥が混じっていた。
「類輝、こいつの言葉をすべて信じるわけにはいかない。だが……」
「分かっています、東堂さん。この男は我々を試している。自分たちが信じている『法』や『倫理』が、いかに無力であるかを証明するために」
類輝は再びスズキに向き直った。
「スズキ、君のクイズに乗ってやろう。だが覚えておけ。我々は君が期待するような『絶望に歪む顔』は見せない。我々が守るのは、君が壊そうとしている社会の建前だ」
「ひゅう、かっこいいねえ! でもね、類輝さん。あんたも気づいてるんだろ? あんた自身も、この社会というシステムの中では『異物』だってことに。俺とあんた、どっちが更紗ちゃんたちの気持ちを理解できるかな? ……さあ、次のヒントが欲しければ、まずは亮という男の『正義』が、どれほど醜いものか、一緒に覗いてみようじゃないか」
スズキの哄笑が、狭い取調室に反響する。
十五年前の事件という「亡霊」が、実体を持って警察官たちの前に立ちはだかろうとしていた。東堂は震える手で煙草を探したが、ここは禁煙だったことを思い出し、ただ苦く顔を歪めた。




