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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第131章 第7章

「……さあ、第7章だ。お嬢ちゃん、その震えるペンを置くんじゃないよ。ここからが、この国の本当の姿、吐き気がするほど美しい『故郷』の正体なんだから」

スズキタゴサクは、取調室のパイプ椅子をギィと鳴らし、前屈みになった。彼の瞳には、瀬戸内の穏やかな海ではなく、その底に溜まった泥のような悪意が宿っている。机の上の『汝、星のごとく』は、もはや単なる小説ではなく、この社会の急所を晒すカルテのように見えた。

「第7章のタイトルは『地方の闇と「まとも」の同調圧力――日本という名の巨大なムラ』。等々力警部、あんたの田舎もそうだろう? 道を歩けば誰彼構わず声をかけ、親の病状から昨日の晩飯の内容まで筒抜けだ。それをあんたたちは『絆』だの『温かい人間関係』だのといった、手垢のついた言葉で美化してきた。だが、暁海や櫂にとって、それは絆なんかじゃない。首を絞め続ける、見えない真綿の縄だったんだ」

スズキは下卑た笑いを浮かべ、自分の首を絞めるジェスチャーをしてみせた。

「この物語の舞台、瀬戸内の島。そこはね、お嬢ちゃん、一度でも『まとも』なレールから外れた人間に、死ぬまで石を投げ続ける残酷な劇場なんだよ。暁海の父親が不倫をして逃げた。母親が狂った。櫂の母親が男を次々と替える。……それがどうした? そんなの個人の勝手だろう? だが、島というムラ社会はそれを許さない。彼らには『罪人の子供』というラベルが貼られ、一挙手一投足が監視される。誰かが不幸になれば、それを酒の肴にして楽しみ、誰かが幸せになろうとすれば、『分をわきまえろ』と足を引っ張る。……これ、今の日本のSNSと何が違う? 匿名性が担保されているかどうかの違いだけで、本質は同じ、ただの『集団私刑リンチ』だよ」

「……スズキ、君の偏った被害妄想を物語に投影するな」

等々力が低い声で釘を刺すが、スズキはますます艶を増して語り続ける。

「被害妄想? 笑わせるな。警部さん、あんたたちの組織だって同じじゃないか。警察という巨大なムラ。そこで『まとも』じゃない行動をとった人間がどうなるか、あんたが一番よく知っているはずだ。暁海はね、そのムラ社会の胃袋の中で、じわじわと消化されていたんだよ。彼女が島に残ったのは、親への愛だけじゃない。島というシステムが、彼女から『外の世界を想像する力』を奪ったからだ。逃げようとしても、足元には『世間の目』という深い泥がまとわりついている。今の日本で若者が自殺に追い込まれるのはなぜだと思う? それはね、物理的に逃げ場がないからじゃない。精神的なムラ社会の壁が、どこまで逃げても追いかけてくるからだ」

スズキは不意に声を潜め、倖田沙良をじっと見つめた。

「お嬢ちゃん、あんた、自分が『正しい側』にいると思っているだろう? でも、あんたが守っている『秩序』の正体は、この島の人々と同じなんだよ。弱者を救うためじゃない、異分子を排除して、自分たちの『平穏な日常』を維持するためだ。櫂が東京で失敗して島に戻ってきた時、島の人々がどう思ったか。悲しんだと思うかい? 違うね。彼らは心の底で安堵したんだ。『やっぱりあそこの家の子はダメだった』『派手な真似をするからバチが当たったんだ』ってね。他人の不幸を確認して、自分たちの現状維持が正解だったと思い込みたい。その浅ましい安心感のために、若者たちの芽が摘まれていくんだよ」

スズキは椅子から立ち上がり、狭い取調室を大きな足音を立てて歩き回った。

「この物語の凄みは、その『まとも』の象徴として、北原先生の存在をぶつけたことにある。彼は島の人間でありながら、島の論理に一切屈しない。彼はね、ムラ社会という怪物の前で、平然と中指を立ててみせたんだ。暁海がどんなに汚れたレッテルを貼られても、彼はそれを『ただの紙屑』として扱った。……警部さん、今の日本に必要なのは、爆弾でも警察でもない。北原のように、世間の目という幻覚を無効化できる『圧倒的な個』なんだ。でも、そんな人間が現れると、あんたたちは『異常者』として排除しようとするだろう?」

スズキは再び椅子に座り、机の上の本を愛おしそうに撫でた。

「今の日本はね、限界集落化しているんだよ。物理的な意味だけじゃない。思考が、心が、限界まで内向きになっている。新しい価値観は潰され、古臭い道徳がゾンビのように蘇って若者を食い物にする。暁海と櫂は、そのゾンビたちの群れの中で、たった二人で手を繋いでいた。でも、その手は冷たかった。周囲の冷気が、彼らの熱を奪い去っていったからだ。……ねえ、お嬢ちゃん。あんたがこの取調室の外に出た時、街を行き交う人々を見てごらん。みんな、見えない島の住民に見えてこないかい? 誰かを監視し、誰かを裁き、自分が『まとも』であることを証明するために必死になっている、哀れな亡霊たちに」

スズキの言葉は、まるで冷たい雨のように、沙良の心に染み込んでいった。彼女が守ろうとしていた「社会」というものが、急に得体の知れない、醜悪な集合体に見え始める。

「第7章の結末……それは、暁海が『島という牢獄』の鍵を、自分の手で壊すことを決意する瞬間だ。彼女は気づいたんだ。島が自分を縛っているんじゃない。自分が『まともでありたい』と願う心が、自分を縛っていたんだと。……お嬢ちゃん、あんたにその鍵が壊せるかい? 組織のルールを、世間の常識を、全部クソ食らえと言って、自分の星を見つめる勇気があるかい?」

スズキタゴサクは、取調室の照明を反射させてギラリと目を光らせた。

「さあ、次は第8章だ。いよいよ、法律や道徳という名の『紙の壁』を、愛という名の『火薬』で爆破する話に移ろうか。不倫、裏切り、そして究極の愛……。お嬢ちゃんにはちょっと刺激が強すぎるかもしれないけど、我慢して聞きなよ。これが人間の本当の体温なんだから」

スズキの笑い声は、厚いコンクリートの壁を通り越して、夜の街にまで届きそうなほど不気味に響き渡った。第7章――それは、美しい故郷という皮を剥いだ後に残る、この国のグロテスクな真実の記録だった。


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