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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第124章 第1章 汝星の如く

「……さあ、始めようか。等々力警部、それからそこのお嬢ちゃん。名前は、倖田沙良さんだったかな」

野方署の取調室。スズキタゴサクは、脂ぎった顔を歪め、まるで親しい友人を見つけた子供のような薄気味悪い笑みを浮かべた。机の上には、警察から押収された私物ではなく、彼がどこからか持ち込んだ一冊の文庫本が置かれている。凪良ゆう『汝、星のごとく』。瀬戸内の美しい風景を想起させる爽やかな装丁が、この灰色の密室ではひどく不釣り合いで、グロテスクにすら見えた。

「スズキ、ふざけるな。爆弾の在り処を言えと言っているんだ。本の話をしに来たんじゃない」

等々力は、連日の不眠で充血した目を剥き、机を叩いた。だが、スズキは動じない。むしろその苛立ちを吸い込んで、ますます艶を増していく。

「おやおや、怖い顔をして。警部さん、あんたの心臓は今、時限爆弾みたいにせっかちな音を立てているよ。でもね、焦っちゃいけない。爆弾っていうのは、物理的な熱量だけで人を殺すんじゃない。言葉、思想、そして『物語』……これらも立派な爆薬になる。この本を見てごらん。美しいだろう? でも、この中にはあんたたちが守ろうとしているこの『日本社会』を根底から腐らせる、猛毒が詰まっているんだ」

スズキは短く汚れた指で表紙をなぞった。

「第1章。まずは『場所』の話から始めよう。舞台は瀬戸内の島だ。風光明媚、美しい海、豊かな自然……。反吐が出る。お嬢ちゃん、あんたみたいな都会育ちには分からないだろうな。地方の『美しさ』っていうのは、そのまま『監視の目』の別名なんだよ」

スズキの視線が、端に控えていた倖田沙良に突き刺さる。彼女は思わず身を固くした。

「この物語の主人公、暁海。彼女は島に縛られている。浮気をした親父、狂った母親。それを世間様に見られないように、一生懸命に隠しながら生きている。これ、今の日本の縮図だと思わないかい? 『まとも』であれ、『普通』であれ、という無言の圧力。島っていうのは物理的な地形じゃない、日本人の精神構造そのものなんだよ」

「……それが爆弾と何の関係がある」

沙良が震える声を絞り出す。スズキは満足そうに目を細めた。

「関係大ありだよ、倖田さん。いいかい、この島、つまり日本社会はね、『犠牲者』を飼うことで成り立っているんだ。誰かが親の面倒を見て、誰かが家の体面を守り、誰かが自分の夢を殺す。それを周囲は『感心だね』『偉いね』と褒めそやす。本質は搾取なのに、道徳というオブラートで包んで飲み込ませる。暁海はまさにその犠牲者だ。彼女が抱えているのは、親という名の時限爆弾だよ。爆発すれば自分の人生が木っ端微塵になる。でも、彼女はそれを抱きしめて離せない。なぜか? 離した瞬間に、島中の人間から『薄情な娘』というレッテルを貼られて、社会的に死ぬからだ」

スズキは椅子をギィと鳴らし、身を乗り出した。

「警部さん、あんたも知ってるだろう。この国には『ヤングケアラー』なんて横文字で誤魔化されている子供たちがごまんといる。彼らは爆弾を抱えたまま、誰にも気づかれずに心の導火線を焼き切っているんだ。行政? 警察? 誰も助けやしない。だって、家族の問題は家族で解決するのが『日本の美徳』なんだろう?」

スズキの言葉は、鋭い針のように等々力の胸を刺した。等々力自身、故郷に残した老いた母の顔が脳裏をよぎる。仕事にかこつけて、自分もまた「誰か」にその重荷を押し付けているのではないか。

「そしてもう一人。櫂だ。彼は自由奔放な母親に振り回されている。島の人々は彼を蔑む。『あそこの家の息子は……』ってね。場所が変われば、それは『非正規雇用のクズ』や『ホームレス』への視線と同じになる。彼らは最初から、この社会の『風景』にすら入れてもらえない透明人間なんだ。俺みたいにね」

スズキは自分の胸を叩き、下卑た笑い声を上げた。取調室の空気は、物理的な温度以上に冷え切っていく。

「暁海と櫂。この二人が出会ったのは、愛のためじゃない。絶望の質が同じだったからだ。二人はお互いを『避難所』にした。でもね、避難所っていうのは長く住む場所じゃない。嵐が過ぎれば出なきゃいけないのに、彼らはそこを終の棲家だと思い込もうとした。それが悲劇の始まりだ」

スズキは不意に真顔になり、静かに言った。

「この物語の第1章は、希望じゃない。静かな『宣戦布告』なんだ。家族という呪縛、地方という牢獄、そして『まともな人間』という幻想。それらすべてを焼き払いたいと願う、若者たちの暗い情熱。……ねえ警部さん、俺が仕掛けた爆弾もね、実は同じ原理で動いているんだよ。社会の隅っこで、静かに、でも確実に熱を帯びていく。あんたたちが『美しい日本』なんて寝言を言っている間に、導火線はもう、すぐそこまで来ている」

スズキは再び本を手に取り、パラパラとページをめくった。

「さあ、お嬢ちゃん。次のページをめくる勇気はあるかい? 暁海がその手で、いかにして『家族』という安全装置を外していくのか。あるいは、社会が彼女たちをどうやって追い詰めていくのか。……面白いよ。現実の爆破事件より、ずっと残酷で、ずっとリアルだ」

等々力はスズキを睨みつけたまま、何も言い返せなかった。スズキの語る『汝、星のごとく』の分析は、まるで鏡のように、自分たちが目を逸らし続けてきた現代日本の歪みを、醜悪なまでに鮮明に映し出していたからだ。

「……第1章、終了だ。次は、暁海の心がどうやって『爆発』の準備を整えたか……ヤングケアラーという地獄の話をしようか。コーヒーでも淹れてきてよ、警部さん。喉が渇いちゃったよ」

スズキタゴサクの笑い声が、狭い取調室に反響し続けた。それは、これから始まる長い「解剖」の、不吉な序曲に過ぎなかった。


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