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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第120章 第七章:正義の汚染(未來の視点)


校長の清沢が仕掛けた「隠蔽」という名の霧は、一年B組の教室を完全に包み込んでいた。森口悠子の告白は「ノイローゼによる妄想」として処理され、生徒たちはその嘘を盾にして、自分たちが飲まされたかもしれない「毒」の記憶を強引に消去しようとしていた。

クラス委員の未來みらいは、その光景を吐き気とともに見つめていた。彼女は、呉勝浩の描く『爆弾』における倖田沙良のように、まだ警察官(あるいは学級のリーダー)としての自我を確立しきっていない若者だった。それゆえに、この「大人の嘘」に最も深く傷つき、同時にスズキタメゴロウという悪意に狙い撃ちにされることになる。

「ねえ、みんな。本当はわかってるんでしょ? 先生は嘘なんてついてない」

昼休みの喧騒の中、未來が絞り出すように放った言葉は、クラスメイトたちの「保身」という名の分厚い壁に跳ね返された。

「やめなよ、未來。校長先生が病気だって言ったんだから、そうなんだよ」

「そうそう。下手に騒いで、またあの血液の話が本当だってことになったら、俺たちどうなると思ってんの?」

生徒たちの視線は冷たかった。彼らにとって、真実を追求することは、自分たちが「死の病」に侵されている可能性を認めることと同義だった。未来の「正義」は、彼らにとっては自分たちの平穏を脅かす「加害」でしかなかったのだ。

未来は、孤立していた。その孤立を、暗闇からじっと観察している者がいた。

類輝るいけは、手帳を片手に未来の震える背中を視界に収めていた。

『観測記録:未來。正義という名の脆弱なOSが、集団の保身というウイルスによって汚染されつつある。彼女が限界点を超えた時、その正義はどのような「爆弾」に転換されるか』

類輝は、彼女に救いの手を差し伸べることはしない。彼にとって、未来の苦悩もまた、この壮大な実験における貴重なサンプルの一つに過ぎないからだ。

その日の夜、自宅で予習をしていた未来のスマートフォンが、不快な振動を立てた。

差出人は不明。本文にはURLが一つだけ記されていた。

未来が震える指でそれをクリックすると、画面には、森口愛美が亡くなったあの日のプールの、不鮮明な防犯カメラ映像が流れた。

そこには、スズキタメゴロウと東堂功が、動かなくなった幼い少女を囲んでいる姿が映っていた。そして、音声。

『おい、東堂。お前、これ以上やったら本当に死ぬぞ。……なーんてね。さっさと投げ込めよ。お前が「特別」になりたいならさ』

スズキの、あの生理的な嫌悪感を誘う、湿った笑い声がスピーカーから漏れ出す。

未来は、スマートフォンの画面を床に叩きつけた。

「……知ってた。やっぱり、本当だったんじゃない」

真実が証明されたことへの安堵よりも先に、猛烈な「汚染」の感覚が彼女を襲った。スズキは、この映像を彼女に送ることで、彼女を「共犯者」の座に引きずり下ろしたのだ。

『この映像を警察に持って行くかい? 未来さん。でも、そうすれば君のクラスメイト全員が「エイズの疑いがある生徒」として一生の烙印を押されることになる。君の正義は、友達全員を殺すことになるんだよ。クイズだ。君は誰を守る?』

スズキからの追撃のメールが届く。

未来の心の中で、大切に育ててきた「正義」が腐敗を始めた。

彼女は、学校という組織が自分たちを裏切ったことを知り、そして、自分が信じていた「正しい行動」が、実は最悪の結末を招くトリガーであることをスズキに突きつけられた。

「あいつ……。あいつさえ、いなければ」

未来の瞳から、光が消えた。

彼女の正義は、スズキの悪意によって「殺意」へと変換された。

スズキは、未来の「痛みを感じられる心」を利用して、彼女を自分と同じ「こちら側」へと誘い込んだのだ。

未来は、ゆっくりと立ち上がり、台所へ向かった。

包丁立てに並ぶ、銀色の刃。

彼女は、それをじっと見つめる。

「私が……私が、終わらせるしかないんだ」

彼女のこの決断は、勇気ではない。それは、怪物によって名指しされ、精神を破壊された末の、絶望的な「回答」だった。

類輝は、その夜、未来の自宅近くの電柱の影で、彼女の部屋の灯りが消えるのを待っていた。

『観測完了:正義の汚染、完了。パンドラの箱の底に残っていたのは、希望ではなく、最も純粋な悪意だった』

学校という取調室で、スズキが仕掛けた「心理的爆弾」は、ついに最初の犠牲者を――いや、最初の「実行犯」を生み出した。

未来の手は、冷たく、そして不思議なほど安定していた。

彼女はもはや、守られるだけの新人ではなかった。

彼女は、自分の手を汚してでも「正義」を完遂しようとする、森口悠子と同じ怪物へと歩みを進めていた。


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