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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン26

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第119章 第六章:組織の腐敗(清沢の隠蔽)


冬の湿った冷気が、私立S中学校の校長室を支配していた。重厚な革張りのソファに深く腰を下ろしているのは、校長の清沢輝次である。彼は、呉勝浩の描く『爆弾』における組織の論理を体現する、狡猾で形式主義的な男だった。

「森口先生、君の言いたいことはわかった。だがね、物事には順序というものがある」

清沢は、デスクの上に置かれた愛美の事故記録を、まるで汚物でも見るかのように指先で弾いた。彼の前には、辞表を提出したばかりの森口悠子が、幽霊のように佇んでいる。

「事故死。警察がそう結論づけたんだ。それを今さら、生徒二人が殺しただの、血液を飲ませただの……。そんな荒唐無稽な話を公にしてみなさい。この学校の、延いては私立校としての我々のブランドはどうなる? 受験を控えた生徒たちの人生を、君一人の復讐心でぶち壊すつもりか?」

清沢の言葉は、正論の皮を被った「保身」そのものだった。彼にとって、生徒一人一人の命や正義など、学校経営という巨大な歯車を回すための潤滑油に過ぎない。もし不具合が起きれば、その油を入れ替えるか、不具合そのものを「なかったこと」にする。それが彼の定義する「教育的配慮」だった。

「清沢先生。私は事実を申し上げたまでです。彼らは、命の重さを知るべきなのです」

森口の声は、地を這うような低さで響いた。清沢はその冷徹さに一瞬、背筋が凍るような感覚を覚えたが、すぐに持ち前の尊大さでそれを塗りつぶした。

「命の重さ? 結構なことだ。だが、それは法と教育が教えるものであって、君のような私刑リンチが教えるものではない。いいかね、東堂功くんについては『登校拒否』、スズキタメゴロウくんについては『家庭の事情による長期欠席』として処理する。クラスの連中には、君の告白は『心神喪失状態による妄想』だったと説明する。これでこの件は終わりだ。君も、これ以上余計なことを喋らなければ、退職金は規定通り支払おう」

清沢は、自らの完璧な「火消し」に満足し、デスクの引き出しから高級な万年筆を取り出した。彼にとって、この隠蔽工作は一種のクリエイティブな作業ですらあった。

しかし、清沢がどれほど緻密に「壁」を築こうとも、その壁の内側では、すでに「爆弾」がその導火線に火を灯していた。

清沢が隔離した東堂功の自宅には、すでに別の「組織の論理」が介入していた。東堂の父、東堂正志は所轄の刑事だった。彼は清沢から「息子さんはショックで静養が必要だ」という連絡を受け、仕事も手につかずに自宅へ戻っていた。

「功、開けろ。父さんだ」

正志は、刑事としての勘で察していた。自分の息子が、何か取り返しのつかない「一線」を越えてしまったのではないかという予感を。だが、彼の中の「父親としての情愛」が、その勘を必死に否定しようとしていた。

「お父さん、来ちゃダメ……! 汚れる、全部汚れちゃう!」

ドアの向こうから聞こえる功の叫び声は、もはや人間のそれとは思えなかった。正志は、取調室で数々の「無敵の人」を見てきた。社会に絶望し、自暴自棄になった連中の目は、常に虚無を宿している。今の功の声には、それと同じ、あるいはそれ以上の深い絶望が混じっていた。

その頃、教室では未来みらいたちが、清沢の目論見通り「沈黙」を強いられていた。清沢は学年集会を開き、森口の告白を「過労による精神疾患ゆえの虚言」として断定した。生徒たちは、恐怖から逃れたい一心で、その嘘を貪るように信じ込んだ。

だが、類輝るいけだけは違った。彼は、校長室から出てくる森口の、一瞬だけ見せた「満足げな笑み」を見逃さなかった。

『観測記録:清沢によるシステムの隠蔽。しかし、情報の非対称性は、爆発の威力を増幅させる触媒に過ぎない』

類輝は手帳に記した。

清沢が真実を隠せば隠すほど、スズキタメゴロウという「怪物」に与えられる自由度は増していく。スズキは、学校という組織が自分の存在を無視し、事件を闇に葬ろうとすることを、最高の「舞台装置」として利用するだろう。

実際、スズキは清沢の「隠蔽」を嘲笑っていた。

彼は、学校のサーバーにハッキングし、清沢が保護者向けに送った「説明文書」の草案を眺めていた。

「へえ、僕の存在を『なかったこと』にするわけか。校長先生、あんたは僕を『透明人間』に戻してくれた。ありがとう。おかげで、誰にも邪魔されずに準備ができる」

スズキの手元には、液体窒素とガソリン、そして大量の釘を詰め込んだ、殺傷能力を極限まで高めた爆弾が完成しつつあった。

「クイズ:校長先生が守りたかった『学校の評判』と、一千人の生徒の命。天秤にかけるまでもないよね?」

スズキは、生理的な嫌悪感を誘うような不快な鼻歌を歌いながら、起爆スイッチの回路を繋いだ。

清沢が守ろうとした「組織の安泰」という砂の城は、スズキの悪意という荒波の前に、あまりに無防備だった。

一方、東堂の自宅では、ついに正志がドアを蹴り破った。

そこで彼が見たのは、部屋中の壁に自分の血で「特別」と書き殴り、カッターナイフを喉元に当てて震えている息子の姿だった。

「父さん……僕、特別になったんだ。森口先生が言ったんだ。僕は、死ぬ権利を得たんだ」

正志は絶句した。刑事として培ってきた正義感も、組織への忠誠も、目の前の凄惨な光景の前では何の意味もなさなかった。

「功、やめろ……。それは、先生の嘘だ。お前は何も悪くない……」

正志の口から出たのは、清沢と同じ「嘘」だった。そして、この「大人の嘘」こそが、東堂功という壊れかけた少年に、最後の、決定的な引導を渡すことになる。

清沢の隠蔽。

正志の偽善。

スズキの狂気。

それらが複雑に絡み合い、もはや誰にも止められない連鎖が始まった。

森口悠子は、校門を出る際に一度だけ、校舎を振り返った。

彼女の耳には、まだ誰も気づいていない「爆発の予音」が聞こえていた。

「清沢先生。あなたが守ろうとしたのは、学校ではなく、あなたの椅子だけでしたね。その椅子が、どれだけ高く飛ぶか、楽しみにしています」

彼女は、自らの手で仕掛けた「組織という名の爆弾」が、内側から腐敗し、崩壊していく様子を、確信を持って見つめていた。

聖職者の辞世から始まった物語は、組織の腐敗というスパイスを加え、より生々しく、より救いのない「全滅」へと向かって加速していく。


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