第36章 カツラ舞い、家賃は消える
雷鳴村に、数十年ぶりと言われる抜けるような青空が広がった。昨日までの重苦しい暗雲は、まるであのインチキな儀式と共に**昇華(しょうか:固体が液体を経ずに直接気体になる現象。ここでは、不浄な空気が一気に消え去った例え)**してしまったかのようだった。
村の広場では、公安の桂健一刑事が、部下の猿渡を引き連れて、うなだれる雷光に手錠をかけていた。
「雷光、お前さんの罪状は詐欺、横領、そして……わしの頭髪に対する著しい**公務執行妨害(こうむしっこうぼうがい:公務員が職務を執行する際、暴行や脅迫を加えて妨害する罪)**じゃ。覚悟するんじゃな」
「……ふん。私はただ、過疎化で消えゆくこの村に、新たな『光』を与えたかっただけだ。古代の知恵という名の、偽りの光をな……」
雷光が寂しげに呟く。彼はかつて電気工学を専攻していた崩れ学生だったが、故郷の雷鳴村を救うために、伝承にあった「バグダッド電池」を最新技術で再現し、カルト的な村興しを画策したのだという。
「動機はどうあれ、お前さんのやったことは科学への冒涜だ」
志村次郎が、次郎号のドア(昨夜の爆発の余波で、今度はガムテープではなくヒモで結ばれている)にもたれかかりながら、もっともらしく言い放った。
「山田君、見たまえ。この美しい空を。これこそが、偽りの**イオン化傾向(いおんかけいこう:金属が溶液中で陽イオンになろうとする性質の順列。これが電池の電圧を決定する)から解放された、真実の風景だ」
「志村さん、かっこいいこと言ってるけど、あなたのそのジャケット、裾が焦げてて炭化(たんか:有機物が熱分解されて炭素に変わる現象)**してるわよ」
奈美子は冷ややかに突っ込みながら、手元の空っぽの財布を見つめた。
「……で、結局、私の取り分はどうなったの? 命がけでファラデーケージの役を演じたんだから、それなりの**対価(たいか:自己の財産的損失に対する、相手方からの報酬)**はもらわないと困るわ」
「ああ、それなら心配いらん。今回の事件解決の報奨金は、すでに君の母親である里子さんの口座に……」
「だから、なんでお母さんなのよ!」
「いや、里子さんから『娘は金を持つとろくな手品を使わなくなるので、私が**資産管理(しさんかんり:財産を適切に運用・保存すること)**します』という、非常に説得力のある……というより、威圧感の塊のようなFAXが日科大に届いてな」
奈美子は膝から崩れ落ちた。彼女の脳裏に、長野の実家で高笑いしながら、新しい高級筆を買い漁る里子の姿が浮かんだ。
その時、桂刑事が押収した「バグダッド電池」の壺を抱えて、二人の前を通り過ぎようとした。
「よし、このオーパーツは証拠品として警視庁に持ち帰る。わしの輝かしい手柄の**マイルストーン(milestone:物事の進捗における重要な節目。ここでは出世の足がかりの意)**になるわい」
だが、その瞬間だった。
「ジジ……ジジジッ!」
壺の中から、昨夜の過負荷による**残留電荷(ざんゆうでんか:電源を切った後も、コンデンサや絶縁体の中に残っている電気エネルギー)**が、最後の抵抗を見せた。
「あ、アニキ! その壺、まだ放電してるっす!」
「ぬおっ!? な、何じゃ、この**静電誘導(せいでんゆうどう:帯電した物体を近づけることで、導体内部の電荷が移動する現象)**は!」
バチッ! という音と共に、桂の頭から強烈な火花が散った。
「あ、あ、あ、あ、あ……っ!」
桂の体が激しく痙攣し、次の瞬間、彼の頭にピタリと吸い着いていた「頭髪の秘密」が、**斥力(せきりょく:二つの物体の間に働く、互いに遠ざけようとする力。ここでは同じ極に帯電したことによる反発)**によって、文字通り空高く舞い上がった。
「わ、わしの誇りがぁぁぁ! 重力に逆らって**等速直線運動(とうそくちょくせんうんどう:物体に力が働かないか、力がつり合っている時に、一定の速さで直線的に進む運動)**をしよるわい!」
カツラは悠然と、雷鳴村の美しい青空へと吸い込まれていった。
「アニキー! 待ってくださーい! あれがないと、アニキのアイデンティティが**拡散(かくさん:物質が濃度勾配に従って広がっていく現象。ここではカツラの不在が周囲に知れ渡る意)**しちゃうっす!」
猿渡はカツラを追いかけて、山の向こうへと消えていった。
「……まあ、ある意味、科学的な幕切れね」
奈美子は力なく笑った。
数日後。
東京、池の端荘の一室。
「山田さーん! 家賃! 今日こそ、一円たりとも負けないわよ!」
大家の銭村カネの怒声が響く中、奈美子は部屋の隅で、志村からもらった「お礼」という名の、一袋の干し柿を齧っていた。
「……甘いわね。志村さんの**ビッグ・マグナム級(びっぐ・まぐなむきゅう:上田次郎、もとい志村次郎のサイズに関する、物理学的根拠のない自称呼称)**の嘘よりは、ずっとマシな味だわ」
奈美子がふと窓の外を見ると、そこにはまたしてもボロボロの次郎号を乗り回し、新しい「超常現象」のチラシを手にした志村の姿があった。
「山田君! 朗報だ! 今度は鳥取の砂丘で、触れると英語がペラペラになるという『呪いのラジオカセッタン』が見つかったらしい! 私の知性が、またしても世界に求められているのだ!」
「……家賃、前払いでお願いね。今度は一セントたりとも、お母さんに渡さないんだから!」
奈美子はトランプを一枚、鮮やかに宙に舞わせた。
彼女たちの、非科学的で、それでいてあまりに人間臭い戦いは、これからも**周期運動(しゅうきうんどう:一定の時間ごとに同じ状態を繰り返す運動)**のように続いていくのであった。
「お前のやったことは、全部まるっとお見通しだ!」
――(完)




