第37章 第一章:サッカラの怪――5000年前の「場違いな遺物」
【新寺子屋・大講義室】
「はい、こんにちは。新寺子屋の講師、南條です」
教壇に立つ南條は、ホワイトボードに勢いよく『サブルの円盤(Sabu's Disc)』と書きなぐった。その動作には一点の迷いもなく、彼のトレードマークである高い知性と、どこか親しみやすい「予備校講師」のような熱量が溢れている。
「今日は皆さんを、今から約5000年前のエジプトへと連れて行きます。いいですか、『今夜は寝かさない』ですよ。大学レベルの考古学と、最新の流体工学が交差する、知的好奇心の極致を味わってもらいます」
講義室の最前列には、いつものメンバーが揃っていた。
地味な大学生活を送る女子大生、野本は、独特の感性でノートを広げている。 その隣には、野本の所属する『暇つぶしサークル』の面々――小宮部長、橋本副部長、重子、山田――が、心底暇そうに、しかしどこか期待を込めて座っている。
さらに教室の隅には、鋭い眼光を放つ一人の男がいた。警視庁の特殊捜査班「ABIS」の捜査官、伊達だ。 彼の左目には、自律制御型AI「AIボール」が搭載された義眼が光っている。
「南條さん、前置きが長いわ。早くその『証拠品』とやらを見せなさいよ」
伊達の左目から、半透明の小さなマスコットのような姿をしたAIボールがプロジェクション(投影)されて飛び出した。
「せっかちですねぇ、AIボール。でも、その姿勢、嫌いじゃないですよ。では、捜査官の伊達さん、資料の提示をお願いできますか?」
伊達は無言で端末を操作し、背後の巨大スクリーンに一枚の写真を映し出した。そこには、赤茶けた石でできた、奇妙な三つの「羽根」を持つ円盤が写っていた。
「これが今回のターゲットだ」と伊達が低く、冷静な声で言った。
「1936年、イギリスの考古学者ウォルター・ブライアン・エメリーが発見した。場所はサッカラ。エジプト第1王朝の王子サブルの墳墓、マスタバ3111から出土したものだ」
野本がぽつりと呟いた。
「……なんだか、巨大な灰皿みたいですね」
「野本さん、相変わらず独特な視点ですね!」南條がホワイトボードを叩く。
「でも、これは単なる灰皿ではありません。これは**オーパーツ(Out-Of-Place Artifacts)**と呼ばれ、しばしば『場違いな工芸品』として世界中の好事家を熱狂させてきた遺物なんです」
> 【用語解説:オーパーツ】
> その遺物が発見された場所や時代の文明水準からは、製造することが不可能、あるいは不自然だと思われる工芸品のこと。「場違いな遺物」とも訳される。
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「オーパーツ……」と、暇つぶしサークルの小宮部長が身を乗り出した。
「美大を目指していた私から見ても、この曲線の造形は尋常じゃないわ。5000年前にこんな左右対称なデザインができるものなの?」
「そこがポイントです」南條がチョークを走らせる。
「発見されたのは、紀元前3000年から2800年頃。今から約5000年も前です。ピラミッド建設が始まる数世紀も前、エジプト文明の黎明期ですよ」
> 【用語解説:黎明期】
> 新しい事柄や時代が始まろうとする時期。エジプトにおいては、王朝が統一され、国家としての形が整い始めたばかりの時期を指す。
>
「いいか、野郎ども」伊達が教室を見渡した。
「この遺物が見つかったのは**マスタバ(Mastaba)**だ。これはピラミッドの前身とも言える、初期のエジプト王族が使っていた墳墓の形式だ」
> 【用語解説:マスタバ】
> 古代エジプトで見られる、長方形の平らな頂面を持つ墳墓のこと。アラビア語で「ベンチ」を意味する言葉に由来する。後にこれらが積み重なり、階段ピラミッドへと進化していった。
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「サッカラというのは、カイロ近郊にある広大な古墓地です」とAIボールが補足した。
「王子サブルの墓からは、数多くの石製容器が見つかっていますが、この『円盤』だけは、その形状があまりに異常だった。通常の器や皿のカテゴリーには到底収まらない、工学的な意図を感じさせる設計なんです」
「工学的な意図……?」
重子が首を傾げた。
「でも先生、これってただの石ですよね? 片岩とかいう……」
「おっ、詳しいですね重子さん! 正確には**メタ・シルト岩(Meta-siltstone)**です」
南條はホワイトボードに、岩石の組成図をさらさらと描き出した。
> 【用語解説:メタ・シルト岩】
> 非常に粒子が細かく、層状に剥離しやすいシルト岩(泥岩の一種)が、地殻変動などの熱や圧力によってわずかに変質したもの。加工はしやすいが、非常に脆く割れやすい性質を持つ。
>
「この素材の特性を理解することが、この謎を解く第一歩になります」南條の声に熱がこもる。
「皆さん、想像してみてください。この円盤の外径は約61センチ。中央には直径8センチの円筒状のハブ(穴)があります。そしてそこから外周に向かって、3つの羽根が内側に折り込まれるように伸びている……。この複雑な三次元曲面を、これほど脆い石を削り出して作ったという事実に、当時の石工の変態的な……失礼、圧倒的な執念を感じませんか?」
「変態的……南條さん、言葉に気をつけてください。私の開発者であるペーターが聞いたら喜びそうですけど」とAIボールが皮肉を言った。
「ははは! ですが、これは冗談ではありません」
南條は眼鏡を押し上げた。
「当時のエジプトにはまだ、鉄器はおろか、車輪さえ普及していなかったというのが考古学の通説です。車輪がエジプトに持ち込まれるのは、ここから1000年以上も後のヒクソス襲来まで待たねばなりません」
> 【用語解説:ヒクソス】
> 紀元前17世紀頃からエジプトに侵入・定住した、シリア・パレスチナ系の遊牧民族。彼らがもたらした馬と戦車(車輪)は、エジプトの軍事技術を大きく変えたとされる。
>
「車輪もない時代に、回転体のハブを持つ遺物が見つかった……。これ、警察的に言えば『現場の状況と物証が矛盾している』ってことだろ?」
伊達が腕を組み、鋭い視線をスクリーンに向けた。
「その通りです、伊達さん! まさにこの矛盾こそが、サブルの円盤をオーパーツ界のスターに押し上げた要因なんです。一部の都市伝説好きは、『これは失われた高度文明のプロペラだ』とか『古代のミキサーだ』と騒ぎ立てました」
「ミキサー……」
野本が想像を巡らせる。
「エジプトの人たちが、これでバナナジュースとか作ってたんでしょうか。……でも、電気はないですよね」
「いい着眼点ですね、野本さん! 実は、その『ミキサー説』は単なる妄想ではないかもしれません。後の章で詳しく解説しますが、現代の流体工学でシミュレーションすると、この円盤は非常に優れた攪拌能力を示すことがわかっているんです」
> 【用語解説:攪拌】
> 液体や粉体などをかき混ぜて、均一な状態にすること。
>
「ええっ、マジですか!?」
山田がスマホをいじりながら驚きの声を上げた。
「じゃあ、やっぱりオーパーツ確定じゃないっすか。古代核戦争とか、宇宙人が教えたとか、そういうやつですよ!」
「落ち着いてください、山田さん。科学というものは、直感と事実の間のギャップを埋める作業です」
南條は優しく、しかし毅然とした態度で諭した。
「我々が今日この講義で行うのは、オカルトに逃げることではなく、当時の技術水準を正しく評価し、なぜこのような『奇跡』が起きたのかを、論理的に解明していくことです。いいですか、直感的な理解と、徹底した論理構成。これが学びの醍醐味です」
「ふん……。論理的、ね。期待してるわよ、南條講師」
AIボールが目を細めた。
「では、第一章の締めくくりとして、当時の時代背景を整理しておきましょう」
南條はホワイトボードを一面使い切り、新しい面に移った。
「紀元前3000年。日本では縄文時代の中期です。世界的には青銅器時代に入りつつありましたが、エジプトではまだ金属器、特に銅を使い始めたばかりの段階でした。そんな時代に、なぜサブルの円盤のような精密な幾何学的造形が可能だったのか。その鍵を握るのは、当時の職人たちが極めた『研削技術』、そしてエジプト特有の『石に対する執着』にあります」
南條は一度言葉を切り、学生たち一人ひとりの顔を見た。
「この円盤は、古代の失われたオーバーテクノロジーの証拠なのか。それとも、石器時代の職人が到達した芸術的な極致なのか。捜査官の伊達さん、そして相棒のAIボールと共に、我々は今からその深淵に潜っていきます」
「……面白そうじゃない。暇つぶしには最高ね」
野本が少しだけ口角を上げた。
「よし、今夜は寝かさないと言いましたよね? 次の章では、この脆い石をどうやって削り出したのか、その驚愕の技術について深掘りしていきましょう!」
南條の宣言と共に、第一章の幕は閉じた。講義室の熱気は、既に5000年前のサッカラの砂漠に負けないほど高まっていた。




