第32章:公安刑事・桂健一の潜入
雷鳴村の夜は、都会のそれとは比較にならないほど深い。街灯ひとつない村道は、時折走る不気味な稲光によって、一瞬だけ青白く浮かび上がる。
奈美子と志村が案内されたのは、村のはずれにポツンと建つ「雷鳴旅館」という、今にも**風圧(ふうあつ:移動する空気が物体に及ぼす圧力)**で倒壊しそうなボロ宿だった。
「ひどい部屋ね……。畳からキノコが生えてるわよ」
「山田君、失礼なことを言うな。これは、湿度の高い環境下における**菌類(きんるい:カビやキノコなど、光合成を行わず外部から有機物を取り込んで生活する生物)**の生命力の結晶だ。日科大の私の研究室に比べれば、少しばかり酸素が濃い程度じゃないか」
志村はそう言いながら、自分の寝床となる場所をハンカチで念入りに拭き、腰を抜かした時に備えて湿布を並べていた。
その時、ガリガリと窓を叩く音がした。
「ヒィィィッ! 出た! 天罰だ!」
志村が奈美子の背後にマッハの速度で隠れる。だが、窓の外にいたのは、黒いジャージに身を包み、頭に大量の草花を突き刺した不審な男――桂健一刑事だった。
「しーっ! 静かにせんか。わしは今、隠密捜査の真っ最中なんじゃ」
「桂さん、その格好……。**迷彩(めいさい:周囲の風景に溶け込み、敵の目を欺くための色や模様)**のつもり? 逆に目立ってるわよ」
奈美子が呆れて窓を開けると、桂は「わしの特殊捜査官としてのステルス機能を疑うな」と呟きながら、強引に部屋へ這い入ってきた。後ろからは、同じく草まみれの猿渡が続く。
「アニキ、この村、マジでヤバいっすよ。さっき村の裏にある変電所みたいな場所を見に行ったんですけど、そこら中に変な導線が張り巡らされてて……」
「変電所? こんな山奥に?」
志村が身を乗り出す。
「そうじゃ。わしは、雷光があの壺を使って電力を生み出しているのではなく、どこかから電力を『盗んでいる』と睨んでおる。この村の地下には、膨大な**電気回路(でんきかいろ:電流が流れるように構成された、電源や導線、負荷などがつながった一回りの道)**が隠されているに違いないんじゃ」
桂は、持参した安物の検電ドライバーを誇らしげに掲げた。
「これを見ろ。村の地面にこれを刺すと、微かに反応がある。つまり、この村の土壌そのものが、巨大な**導体(どうたい:電気をよく通す物質。金属などが代表的)**と化している可能性があるんじゃ」
「ふむ……。単なる土壌が導体になるとは考えにくい。だが、もし土の中に高濃度の**電解質溶液(でんかいしつようえき:電解質が水などの溶媒に溶け、イオン化して電気を流しやすくなった液体)**が散布されているとしたら……」
志村が顎に手を当てて考え込む。
「雷光が使っていたあの壺、バグダッド電池も、中身は単なる酢だと言っていたわね」
奈美子が思い出す。
> 科学的解説:
> ボルタ電池の原理: バグダッド電池は、2種類の異なる金属(鉄と銅)を、酸性の液体(酢など)に浸すことで機能する。このとき、金属の**イオン化傾向(いおんかけいこう:金属が水に溶けて陽イオンになろうとする性質)**の差によって、電子が移動し、電流が発生する。
>
「しかし、さっきも言ったが、あの壺単体では人を感電させるような威力はない。桂刑事、あんたがさっき食らったのは、本物の『雷』だったのか?」
志村の問いに、桂は一瞬言葉を詰まらせ、不自然に頭を押さえた。
「……むう。あれは、わしの**痛覚閾値(つうかくいきち:痛みを感じる最低限の刺激量)を遥かに超える衝撃じゃった。だが、わしの毛根が死滅しなかったのは、わしの精神力が強かったからに他ならん!」
「アニキ、あの時、頭からパチパチって青い火花が出てましたよ! まるでテスラコイル(Tesla coil:高周波・高電圧を発生させる共振変圧器)**みたいに!」
その時、奈美子の懐でカサリと音がした。母・里見から届いたばかりの怪しい手紙だ。
「あ、お母さんからの手紙……『奈美子、電気代は踏み倒せても、神の雷からは逃げられません。筆の力で導きを授けます。追伸、家賃代は私が回収しておきました』……って、これ私のギャラを勝手に使うって意味じゃない!」
手紙には、独特の書体で『導電』という文字が大きく書かれていた。そして、その文字の一部が、なぜか部屋の隅にある古い金庫の方向を指しているように見えた。
「……何かしら、これ。お母さん、何か知ってるの?」
奈美子が金庫に近づこうとしたその時、部屋の電灯が激しく明滅し始めた。
「ゴロゴロ……」という雷鳴が、建物を揺らす。
「始まったか……雷光の儀式が」
桂が緊張した面持ちで窓の外を見る。
広場の方から、村人たちの不気味な合唱が聞こえてくる。
「雷よ、降れ。天罰よ、下れ。汚れし魂を、光の網で焼き尽くせ……」
「志村さん、見て! あの案山子たちが!」
奈美子が指差した先では、村の道沿いに並んでいた案山子たちの頭部にある鉄棒が、一斉に青白く発光していた。
「あれは、**尖端放電(せんたんほうでん:物体の尖った部分に電荷が集中し、そこから空気中に電気が流れ出す現象)**だ! だが、雷が落ちる前触れにしては、発光が安定しすぎている……!」
志村は恐怖で膝をガクガクさせながらも、物理学者としての本能に火がついたのか、カバンから年代物の**テスター(回路の電圧や電流、抵抗を測定するための多機能計測器)を取り出した。
「山田君、行くぞ。この村全体が、ひとつの巨大な『装置』になっている。雷光が何をしようとしているのか、その正体を暴かない限り、明日私たちは、あの桂刑事のように……いや、もっと悲惨な形で生体電気(せいたいでんき:生物の体内で発生する微弱な電気)**を乱されることになる!」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ!」
「わしも行くぞ! 公安の威信にかけて、あの壺の中身を暴いてくれるわい! 猿渡、バックアップじゃ!」
「了解っす、アニキ! バックアップ(backup:予備の支援体制。ここでは猿渡が桂の頭髪を物理的に支える準備も含む)、完璧っす!」
四人は、雷鳴と青白い光に包まれた村へと、それぞれの思惑を胸に潜入を開始した。
だが、彼らはまだ知らなかった。雷光の背後に、さらなる科学の「闇」が潜んでいることを――。




