第31章 呪われた雷鳴村の奇習
志村次郎の愛車「次郎号」は、長野県の険しい山道を、悲鳴のようなエンジン音を上げながら登っていた。
「志村さん、さっきからエンジンから『助けて』って声が聞こえるんだけど」
「馬鹿を言いたまえ、山田君。それは**ドップラー効果(Doppler effect:音源が観測者に近づいたり遠ざかったりすることで、音の周波数が変化して聞こえる現象)**によって、エンジンの回転数が情緒不安定に聞こえているだけだ。私の計算によれば、この車はあと200キロは走れる……はずだ」
志村が言い終わるか終わらないかのうちに、車は激しくガタつき、道の脇にある不気味な看板の前で止まった。
看板には、筆致の鋭い文字でこう書かれていた。
『これより先、雷鳴村。不信心者に天罰の雷下る』
「……不気味ね。里子さんの書く『家賃払え』って文字と同じくらい威圧感があるわ」
奈美子が車から降りると、そこには異様な光景が広がっていた。村の入り口から集落にかけて、道沿いに無数の案山子が並んでいるのだが、そのどれもが頭に「避雷針」のような鉄棒を突き立て、全身に複雑な文様が描かれた布を纏っていた。
「志村さん、あの案山子、何? みんな同じ方向を向いてるけど」
「ふむ。あれは恐らく、この村特有の**等電位面(とうでんいめん:電界の中で、電位が等しい点を結んでできる面)**を意識した呪術的配置……ではなく、単なる村人の悪趣味だろう。だが、空気が妙に重いな」
実際、村の上空には巨大な積乱雲が居座り、時折「ゴロゴロ」と腹の底に響くような音が鳴り響いている。
「この村は、地形的に**上昇気流(じょうしょうきりゅう:暖められた空気が軽くなって上昇する流れ。これが強いと積乱雲が発達し、雷が発生しやすくなる)**が発生しやすい構造になっている。雷が多いのは科学的に説明がつくが……」
志村は言いながらも、自分のネクタイをぎゅっと締め直し、奈美子の後ろに隠れるように歩き出した。
村の中央広場に辿り着くと、そこには村人たちが跪き、高台にある祭壇に向かって祈りを捧げていた。祭壇の上には、古びた、しかしどこか黄金色に輝く奇妙な壺が鎮座している。
「あれが、志村さんの言ってた『バグダッド電池』?」
「ああ。紀元前の土器でありながら、内部に鉄棒と銅のシリンダーを持つ、オーパーツの代表格だ。本来なら博物館に収められるべき貴重な資料だが……」
その時、祭壇の奥から、真っ白な装束に身を包み、背中に大きな太鼓を背負った男が現れた。彼こそが、この村を統べる導師・**雷光**である。
「静まれ……。今、神の壺が目覚めようとしている」
雷光の声は低く、まるでお経のように村人たちの間に染み渡っていく。
「導師様! 隣村から来た商人が、壺の黄金を盗もうと企んでおります!」
一人の村人が、縄で縛られた男を突き出した。商人は必死に命乞いをする。
「違います! 私はただ、この壺が本当に電気を通すのか確認しようとしただけで……!」
「神の聖域を汚す者には、天罰を下さねばならぬ。壺よ、不信心者に裁きの雷を!」
雷光が壺に両手をかざすと、不思議なことが起きた。
壺の中から「ジジジ……」という微かな音が漏れ出し、周囲の空気が一変したのだ。奈美子の長い黒髪が、まるで見えない手に引かれるようにフワリと浮き上がり、志村の腕の産毛が逆立った。
「これは……**静電誘導(せいでんゆうどう:帯電した物体を導体に近づけると、物体に近い側に逆の電荷、遠い側に同種の電荷が引き寄せられる現象)**か?」
志村が呟いた瞬間、雷光が商人の胸元を指差した。
「食らえ! 神の雷!」
バチッ!という激しい衝撃音とともに、商人の体から火花が飛び、彼は悲鳴を上げてその場に倒れ伏した。商人の服の胸元には、焦げたような跡が残っている。
「ひいっ! 本当に雷が出たわ!」
奈美子が身をすくめると、志村は真っ青な顔でガタガタと震え出した。
「や、山田君、今のを見たかね。あれは明らかに……明らかに科学的な……ええい、日科大の私の計算では、あの距離で放電が起きるには数万ボルトの**絶縁破壊(ぜんえんはかい:通常は電気を通さない空気が、強い電圧によって導電性を持ち、電流が流れてしまう現象)**が必要なはずだ!」
雷光はゆっくりと志村と奈美子の方へ向き直った。
「ほう、見慣れぬ顔がいるな。お前たちも、神の力を疑う愚か者か?」
「い、いや、私は日本科学技術大学の……その、通りすがりの物理学者でして。今の現象には非常に興味深い**誘電分極(ゆうでんぶんきょく:絶縁体に電界をかけると、分子内の電荷が偏る現象)**の兆候が見られまして……」
志村は必死に専門用語を並べ立てて虚勢を張るが、足の震えは止まらない。
そこへ、騒ぎを聞きつけたのか、一組の男たちが割り込んできた。
「そこまでじゃ! 神の雷だか何だか知らんが、傷害罪の現行犯で逮捕……は、まだ早いかのう」
広島弁(のような何か)を話す男、桂健一刑事である。その後ろには、金髪の猿渡辰がピタリとついている。
「アニキ! 今の火花、マジでヤバかったっすよ! 俺の心臓のペースメーカー(pacemaker:心臓の拍動リズムを電気刺激で整える医療機器)……は持ってないっすけど、止まりそうでした!」
「黙れ猿渡。わしの鋭い刑事の勘によれば、今の火花はただの演出じゃ。……しかし、今の風、いかん。風がいかんぞ!」
桂は必死に頭髪を押さえながら、雷光を睨みつけた。
「お前さんが雷光か。わしは警視庁の桂じゃ。この村で起きている資産家の怪死事件、お前さんの仕業じゃないかと思ってな」
「刑事か。神の裁きは法律を超越する。疑うのなら、お前もこの壺に触れてみるがいい」
雷光が不敵に笑い、壺の蓋を開けた。中からは、ツンとした酸っぱい臭いが漂ってくる。
「……この臭い。志村さん、これってお酢じゃない?」
「ふむ、**酢酸(さくさん:食酢の主成分である有機化合物。弱酸性を示し、電解液として利用できる)**の臭いだな。バグダッド電池の理論通り、電解液として酸を使っているのか」
桂は「ほう、ただの酢か。それなら怖くはないわい!」と、威勢よく壺に手を伸ばそうとした。
その時、再び上空で激しい雷鳴が轟いた。
「来るぞ……天罰が!」
雷光が叫ぶと同時に、桂の指先が壺に触れる直前、壺の周囲に青白い光が走り、バチバチという音と共に、桂の体が激しく痙攣した。
「あ、あ、あ、あ、あ……っ!」
桂は白目を剥き、その衝撃で被っていた帽子が、いや、帽子らしきものが上空へと舞い上がった。
「アニキの頭が! アニキのアイデンティティが**放電(ほうでん:溜まっていた電気が外に流れ出す現象)**と共に空へ!」
桂は必死に空飛ぶ「何か」を追いかけ、「今の現象は、わしの特殊捜査官としての直感で見逃してやったわ!」と捨て台詞を吐きながら、猿渡と共に村の奥へと走り去っていった。
取り残された奈美子と志村に、雷光が冷たい視線を送る。
「物理学者と言ったな。明日、この壺の真実を村人たちの前で証明してみせよ。できねば……お前たちにも、同じ雷を落としてやろう」
雷光が去った後、静まり返った広場で奈美子はポツリと言った。
「志村さん。今の、ただの電池の仕業じゃないわよね?」
「……ああ。バグダッド電池単体で作れる電圧は、せいぜい0.5ボルトから1ボルト程度だ。**直列接続(ちょくれつせつぞく:電池などの電源を縦につなぐことで、全体の電圧を上げるつなぎ方)**を何百個も繰り返さない限り、人を感電させるような電圧にはならない」
志村は珍しく真面目な顔で、しかし震える手で自分の「どんと来い、超常現象」のノートにメモを書き込んだ。
「あの壺の中には、科学では説明できない……いや、科学を悪用した巧妙な**昇圧回路(しょうあつかいろ:低い電圧を高い電圧に変換する電気回路)**が隠されているはずだ。山田君、今夜は眠れそうにないな」
「私はお腹が空きすぎて、別の意味で眠れないわよ」
二人は村の外れにあるボロボロの宿へと向かった。村の空には、不気味な稲光が走り続けていた。




