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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン25

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第22章 :最後の晩餐と沈黙のトンボ


(真っ暗な背景の中、スポットライトを浴びた古川新三郎が立っている。彼は手に、一匹の小さな、現代のトンボの標本を持っている。それを愛おしそうに見つめ、やがて静かに語りかける)

「えー……物語には必ず終わりがあります。

 三億年前の栄華も、一人の男の野望も。

 巨大な羽を広げ、空の王者として君臨した彼らが、

 なぜ静かに歴史の舞台から降りていったのか。

 それは、世界が変わることを拒んだからかもしれません。

 あるいは、変わっていく世界に、

 自分たちを合わせることができなかったからか……。

 ……人間も、同じです。

 引き際を誤ると、守りたかったはずの夢が、

 自分を絞め殺す縄に変わってしまう。

 ……さて、泉くんがパフェを三つも食べてお腹を壊したところで、

 この事件も終わりにしましょうか。

 古川新三郎でした」



深夜二時。国立古生物復元研究所の「炭素のカーボン・ケージ」は、月明かりと非常用照明の青白い光に照らされ、まるで異世界の神殿のような静謐さに包まれていた。

古川新三郎は、シミュレーターの分厚い強化ガラスの前に一人、立っていた。

「……遅いですよ、羽賀さん。待ちくたびれて、少し眠ってしまいました」

暗闇から、ゆっくりと白衣の男が歩み寄ってきた。羽賀准教授である。その顔には、隠しきれない疲労と、何かに取り憑かれたような狂気が宿っていた。

「古川さん。こんな時間に呼び出して、何の真似です。私は明日のフェノタイプ、すなわち表現型(遺伝子と環境の相互作用によって、生物の体格や性質として実際に現れた特徴のこと)の最終確認で忙しいんだ」

「確認……。それは、誰のための確認ですか?」

古川はゆっくりと振り返った。その手には、西園寺が分析を終えた一枚のレポートがあった。

「羽賀さん。巨摩教授は亡くなる直前、ある重大な決断を下していました。この『巨大昆虫復元プロジェクト』の中止です。……違いますか?」

羽賀の眉が跳ね上がった。


「中止だと? 馬鹿なことを。私たちは歴史を塗り替える一歩手前まで来ているんだ」

「いいえ。教授は悟ったんですよ。……いくら酸素濃度を上げ、石炭紀の環境を再現したところで、現代の地球で彼らが生き残ることは不可能だと。……それは、バイオメカニクス、すなわち生体力学(生物の構造や運動を、力学的な法則に基づいて解析する学問)が導き出した、残酷な結論でした」

古川は一歩、羽賀に近づいた。

「教授の遺した未発表の論文を読みましたよ。そこには、巨大昆虫のターミナル・ベロシティ、すなわち終末速度(物体が落下する際、空気抵抗と重力が釣り合って、それ以上加速しなくなる一定の速度のこと)の問題が記されていました。……体が大きくなればなるほど、不慮の落下や脱皮の際の衝撃が、外骨格を容易に破壊してしまう。今の重力と大気密度では、彼らは自分自身の重さに耐えきれず、自壊する運命にある……。教授は、このプロジェクトを『生命への冒涜』だと呼び、全データを破棄しようとした。……あなたは、それが許せなかった」

「……教授は臆病になったんだ!」

羽賀が叫んだ。

「彼は、自分の築き上げた理論が、物理法則という壁にぶつかった途端、逃げ出したんだ! 私は、彼らが再び空を舞う姿を、世界に見せつけたかった!」

「そのために、教授を消した……。あなたが仕掛けたのは、単なる殺人ではありません。……アポトーシス、すなわちプログラミングされた細胞死(個体をより良い状態に保つために、特定の細胞が自ら死を選ぶように仕組まれた現象)のように、教授をシステムの一部として、静かに排除した。……高酸素の波を使ってね」

羽賀は冷笑を浮かべた。


「証拠は? 昨夜言った通り、空気の証拠なんてどこにもない」

「ええ、空気の証拠はありません。……ですが、あなたの『体』の中に残っていました」

古川は、ポケットから小さな、飲みかけの薬の瓶を取り出した。

「これは、花田さんが給湯室のゴミ箱から見つけてくれたものです。……エダラボンを主成分とする、強力なラジカルスカベンジャー、すなわちフリーラジカル除去剤(活性酸素などの反応性の高い分子を捉え、無害化することで細胞の損傷を防ぐ薬剤)ですね」

羽賀の顔から血の気が引いた。

「あなたは、教授を高酸素の毒で殺すために、自分自身もその毒にさらされる必要があった。……装置の調整や、死体の確認のために、あなたもあの35%の酸素の中に、長時間留まらなければならなかった。……普通の人間なら、オキシゲン・トキシシティ、すなわち酸素中毒(高濃度の酸素を吸入することで、肺や中枢神経系に障害が起きる状態)で倒れてしまう。……でも、あなただけは平気だった。……この薬を、過剰なまでに服用していたからです」

「それは……私の持病の……」

「言い訳は無用です。この瓶から、あなたの指紋と、そして巨摩教授が使っていた吸入器の成分と同じ、微量の化学物質が検出されました。……あなたが吸入器に細工をした際、手に付着したものが瓶に移った。……皮肉なものですねぇ。自分を救うための薬が、あなたを追い詰める最後の手がかりになるとは」

静寂が二人を包み込んだ。

ガラスの向こうでは、一匹の巨大なメガネウラが、羽ばたきを止め、シダの葉の上で動かなくなっていた。

「……見てください、羽賀さん。彼もまた、終わりを悟ったようです」

羽賀は力なく、ガラスに額を押し当てた。


「……私はただ、美しすぎる夢を、現実に留めておきたかっただけなんだ。……三億年前の、あの完璧な空を……」

「……その夢は、あまりにも重すぎたんですよ。……人間一人の肩に載せるには」

廊下から、泉進次郎と西園寺守、そして向島巡査が足音を立ててやってきた。

「古川さん、確保しました」

西園寺が静かに告げる。

「羽賀先生……残念です。あんなに優しかった先生が……」

向島が悲しげに目を伏せた。

泉は、そんな重苦しい空気を察してか、珍しく神妙な面持ちで羽賀の横に立った。

「……先生。僕、虫は嫌いですけど、あなたの熱意は、嫌いじゃなかったですよ。……ただ、やり方が、ちょっと……空気が読めなさすぎましたね」

古川は泉のおでこを、今日一番優しく、そっと叩いた。

「……行きましょうか」

羽賀は抵抗することなく、連行されていった。

独り残された古川は、シミュレーターのスイッチを切った。

照明が消え、35%の酸素供給が止まる。

三億年前の幻が、ゆっくりと、現代の闇の中に溶けて消えていった。


研究所の外に出ると、東の空がわずかに白み始めていた。

古川は、愛車のセリーヌに跨り、大きく伸びをした。

「古川さーん! 置いてかないでくださいよ!」

後ろから泉が走ってくる。

「泉くん。今回の事件で、何か学んだことはありますか?」

「えーと……そうですね。酸素は吸いすぎちゃいけない、ってことですかね。あと、リンゴは新鮮なうちに食べる!」

「……西園寺くん。彼に、もう少しマシな教育をお願いします」

「努力します、古川さん」

三人は、朝日が差し込み始めた坂道を、ゆっくりと下っていった。

巨大昆虫がなぜ消えたのか。

それは、自然という名の、あまりに公平で、あまりに冷酷な裁判官が下した判決だったのかもしれない。

「……さて、朝ごはんに行きましょうか。……西園寺くん、美味しいトーストが食べられる店、知ってますか?」

「はい。研究所の近くに、オーガニック(化学肥料や農薬に頼らず、自然の恵みを活かした農法や製品のこと)なパン屋があります」

「……んー、いいですねぇ。……自然が一番です。……古川新三郎でした」

(第七章・完)


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