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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第199章 第3章 「戦艦大和のL/B比(長さ/幅比)6.76の特異性」


場所は国立N大学工学部、雑賀研究室。

煙草の煙とコーヒーの香りが漂う、いつもと変わらない昼下がりの風景。


東野園 萌乃

「先生、計算が合いませんわ。どう考えても非効率です」

研究室のドアをノックもせずに開け放ち、萌乃が飛び込んでくる。その手には分厚い青焼きの図面のコピーが握られていた。


雑賀 壮平

「……東野園君。ドアというものの定義を知っているかな? それは、空間を遮断するために存在するデバイスだ。開放するためのものじゃない」

雑賀は椅子に深く沈み込んだまま、ハイライトの煙を天井に吐き出した。デスクの上には飲みかけの缶コーヒー。彼の関心は、萌乃が持ち込んだ問題よりも、窓の外の曇り空にあるようだった。


東野園 萌乃

「そんなことより、大和です! この船、L/B比(Length-to-Beam ratio)が6.76しかないんですよ? 当時の高速戦艦なら、アイオワ級が8.2、ビスマルク級でも6.9です。6.76なんて、ほとんど『正方形』に近づこうとしているようなものですわ」

萌乃は驚異的な計算能力で、頭の中の数値を弾き出した。


浜田 深尾

「え? LとB? ……ああ、長さと幅の比率っすか。つまり、大和は『デブ』ってことですね? 分かります。僕も最近、腹回りのL/B比が……」


国沢 春子

「浜田君。君の腹囲と流体力学を同列に語らないで。……邪魔」

研究室の隅でキーボードを叩いていた国沢が、氷のような視線を浜田に投げつける。浜田は「ヒッ」と短く悲鳴を上げ、自分のデスクに縮こまった。


雑賀 壮平

「……『デブ』という表現は科学的ではないが、当たらずとも遠からずだね。L/B比が小さいということは、船体が太くて短いということだ。東野園君、それが何を意味するか分かるかい?」


東野園 萌乃

「『造波抵抗(Wave-making resistance)』の増大です。船が太ければ、それだけ多くの水を押し退けなければなりません。当然、前に進むためのエネルギーロスは大きくなります。27ノットも出す船型じゃありません」


雑賀 壮平

「その通り。直進しようとする意志に対して、水は『通さない』と拒絶する。物理的な抵抗だ。……だが、物事には裏面がある。抵抗が大きい形状は、別の自由を獲得する」

雑賀は新しい煙草に火をつけ、空中に円を描いた。


北 南都

「やあ、相変わらず難しい話をしてるねえ、雑賀」

タイミングよく、隣の土木工学科から北が入ってきた。片手に缶ビールを持っている。


北 南都

「太いということは、グラマラスということじゃないか。曲線美だよ。直線の美しさもいいが、曲線の豊かさには包容力がある」


雑賀 壮平

「……北、君のロマンチシズムは、時々真理を突くから厄介だ。そう、**『旋回性能』**だ」

雑賀はモニターに向き直り、簡単なベクトル図を表示させた。


雑賀 壮平

「細長い船は、直進安定性が高い。つまり、真っ直ぐ走るのは得意だが、曲がろうとしても水が側面全体で抵抗して、なかなか回頭しない。……融通の利かない優等生みたいなものだ」


東野園 萌乃

「……先生、その優等生って、私のことじゃありませんよね?」


雑賀 壮平

「誰もそんなことは言っていない。……一方で、L/B比が小さい肥大船型は、縦方向の慣性モーメントが相対的に小さい。舵を切れば、驚くほどくるりと回る。大和の旋回直径は、全長263mの巨体でありながら、わずか640m。これは小型の駆逐艦並みの数値だ」


浜田 深尾

「えっ! あの巨体で、ドリフト駐車できるってことっすか!?」


国沢 春子

「……大袈裟。でも、戦術的には有用だわ。魚雷を回避するには、直進スピードより、瞬発的な回頭性能が生死を分ける」

国沢が冷淡に補足する。


東野園 萌乃

「なるほど……。直進するための『抵抗』が、旋回する時には『支点』になる……。直進性能と旋回性能は、トレードオフの関係にあるというわけですね」


雑賀 壮平

「そうだ。大和は、46cm砲を積むために幅を広げざるを得なかった。その結果、直進するには莫大なエネルギー(15万馬力とバルバス・バウ)が必要になったが、副産物として、恐るべき身軽さを手に入れた。……**『相克』**だね。前に進みたいという意志と、自由に動きたいという意志の」


その時、萌乃の持っていたモバイル端末が、着信音もなしに突然起動した。

画面に、無機質なテキストが表示される。

『——全ては、エネルギーの等価交換よ』


東野園 萌乃

「えっ!? ……こ、これ、真方博士!?」


画面の向こうから、真方 卑弥呼の言葉が、直接脳内に響くように流れる。

『真っ直ぐに進むことは、退屈なこと。それはレールの上を走る列車と同じ。

でも、曲がるためには、流れに逆らう必要がある。

抵抗とは、世界が貴方に干渉している証拠。

貴方は、抵抗のない世界で永遠に直進したい?

それとも、莫大なエネルギーを消費しても、自分の意志で曲がりたい?

大和というハードウェアは、その矛盾パラドックスを内包していた。

だから美しいの。

……7は孤独な数字だけれど、6.76も、なかなか割り切れない素敵な数字だと思わない?』


雑賀 壮平

「……また彼女か。相変わらず、神出鬼没だな」

雑賀は少しだけ口元を緩め、煙草を揉み消した。


東野園 萌乃

「ちょ、ちょっと待ってください! 今のハッキングですよね!? どこからアクセスして……」


雑賀 壮平

「考えるだけ無駄だ、東野園君。彼女は最初からそこにいて、どこにもいない。……さて、今日はもう帰ろうか。北、ビールはまだあるかい?」


北 南都

「ああ、あるとも! さあ行こう、今日は僕が奢るよ!」


浜田 深尾

「やった! 僕も行きます! ついでに西之園さん、僕の車で……」


国沢 春子

「浜田君。君はデータの整理が終わってない。残業」


浜田 深尾

「ええーっ!!」

騒がしくなる研究室の中で、萌乃だけがまだ、端末の画面(真方卑弥呼の残像)を見つめていた。


東野園 萌乃

「……直進抵抗と、旋回の自由。……矛盾を抱えることが、美しさ……?」


雑賀 壮平

「萌乃君。……思考するのはいいが、置いていくよ」


東野園 萌乃

「あ、待ってください先生! 今日の夕食は、先生の嫌いなスイカのフルコースですからね!」


雑賀 壮平

「……それは、勘弁してほしいな」

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