第146章 第5章:総力戦の果てに 〜平和という名の現状維持〜
野本ともうします。
「戦争論」を著したクラウゼヴィッツは言いました。「戦争は、他の手段をもってする政治の継続である」と。
しかし、私たちにとっての「忘年会」は、政治の継続などという生易しいものではありません。
それは、一年間の鬱憤を晴らし、来たるべき新年への兵站を確保するための、まさに「総力戦」なのです。
12月28日、午後7時。
寒風吹きすさぶ駅前の繁華街に、私たち「暇つぶしサークル」と、バイト先「ジョリーズ」の有志連合、計7名が呆然と立ち尽くしていました。
「……予約が、入っていない?」
小宮部長の声が震えています。
目の前の居酒屋「魚民(仮)」の店員さんは、申し訳なさそうに、しかし無慈悲に首を振りました。
「はい……。本日、小宮様のお名前でのご予約は承っておりません」
「そんな! ネットで予約したはずよ! 確認メールも……ああっ!?」
部長がスマホを見て絶叫しました。
「日付が……来月になってる……」
「バカヤロウ!」
橋本副部長が叫びました。
「来年の1月に忘年会やってどうすんだよ! 脳内カレンダーどうなってんだ!」
「うるさいわね! アンタが『適当にやっといて』って言ったんでしょ!」
最悪の事態です。
年末の金曜日。街は忘年会客で溢れかえり、どこの店も満席。
気温は2度。
私たちは、路頭に迷った「忘年会難民」となってしまいました。
「寒い……もう帰ろうぜ……」
山田くんがポケットに手を突っ込んで呟きます。
「俺、家でYouTube見てる方がマシだわ」
重子さんも、「私もパス。寒すぎて無理」と踵を返そうとしました。
部隊が崩壊しかけています。
士気はゼロ。このまま解散すれば、部長の求心力は失墜し、サークルとバイト先の関係も冷え切ったまま終わるでしょう。
「待ってください」
私はマフラーを巻き直し、全員の前に進み出ました。
「まだ、負けたわけではありません」
「野本……」
亀山さんが白い息を吐きながら私を見ました。
「でも、この状況じゃ無理だよ。どこも満席だ」
「いいえ。個別の戦力では無理でも、ここにいる全員の能力を統合すれば、突破口は開けます」
私は眼鏡を光らせ、宣言しました。
「これより、サークルとバイトの枠を超えた**『統合任務部隊(JTF: Joint Task Force)』**を編成します」
「ジェイ……何?」
「JTF。異なる軍種(陸海空)や組織を、一つの特定の任務のために統合した部隊です。東日本大震災の際、陸海空自衛隊が初めて本格的に編成した『JTF-東北』が有名です」
私は全員を見回しました。
「目的は一つ。『今から入れる店を確保し、暖とアルコールを摂取すること』。この一点突破のために、総力を結集します」
私は矢継ぎ早に指示を飛ばしました。
「まず、**情報戦**です。橋本副部長!」
「へ、俺?」
「あなたは中国軍モデルの『情報支援部隊』司令官です。そのスマホ検索能力をフル稼働させ、半径500メートル以内の居酒屋の空席情報、Twitter(X)のリアルタイム検索、キャンセル情報を徹底的に収集してください。『空いてた』という呟き一つも見逃さないで!」
「お、おう。エゴサよりは役に立ちそうだな。了解!」
橋本さんがスマホを猛烈な勢いで操作し始めました。
「次に、**機動偵察**です。重子さん、山田くん!」
「あ?」
「あなた方は米軍モデルの『ストライカー旅団』です。足を使って、路地裏の個人経営店や、ネットに載っていない穴場を直接視察(目視確認)してください。ダッシュで!」
「えー、走るの?」
「文句を言わない! 肉が食いたくないんですか!」
「……食いたい! 行くぞ重子!」
「チッ、しょうがないわね!」
二人が繁華街の人混みへと消えていきました。
「そして、**政治・資金**です。小宮総理!」
「は、はい!」
「予算の上限を撤廃してください。多少高くても『飲み放題なし』でも構わないという政治決断をお願いします。金で解決できる問題は金で解決します」
「わ、分かったわ! お年玉の前借りでなんとかする!」
「最後に……」
私はベテランパートの亀山さんに向き直りました。
「亀山元帥」
「おや、私の出番かい?」
「はい。あなたには、**『外交』と『威圧』**をお願いします」
私は、少し離れた場所にある大手チェーン居酒屋の看板を指しました。
「あそこの店長、亀山さんの昔の同僚でしたよね?」
「ああ、鈴木さんね。腐れ縁だよ」
「橋本部隊の情報収集や、偵察部隊の発見が遅れた場合、最後の手段として、そのコネクション(ホットライン)を使用してください。元帥の威光で、『予備席』をこじ開けるのです」
亀山さんはニヤリと笑い、スマホを取り出しました。
「人使いが荒いねぇ、1等陸佐。……いいよ、貸しを作っとくのも悪くない」
「私は全体の指揮(C4I)を執ります。作戦開始!」
寒風の中、私のスマホに次々と情報が集まり始めました。
『こちら情報支援部隊(橋本)。駅裏の「千年の宴」、3分前に「キャンセル出た」との書き込みあり!』
「了解。偵察部隊(重子・山田)、急行せよ!」
『こちらストライカー旅団(山田)。「千年の宴」現着。……ダメだ、タッチの差で埋まった!』
「クソッ、敵(他の忘年会客)も早いですね……」
『こちら情報支援部隊。西口の「庄や」、電話繋がらないけど狙い目かも』
『こちらストライカー旅団(重子)。「庄や」目視確認。入り口に行列あり。待ち時間40分。凍死するわ』
状況は芳しくありません。
寒さが体力を奪い、小宮総理の顔色が悪くなっています。
「野本ぉ……もうコンビニでお酒買って公園で飲もうよぉ……」
「ダメです! それは敗北主義です!」
その時、静かに戦況を見守っていた亀山元帥が動きました。
「……野本さん」
亀山さんはスマホを耳から離しました。
「鈴木(あの店の店長)と繋がったよ。『個室は無理だが、倉庫代わりにしてる奥の座敷なら、片付ければなんとか6人入れる』ってさ」
「!!」
私は叫びました。
「全軍、転進! 目標、東口『魚民(仮)』の鈴木店長のもとへ!」
15分後。
私たちは、段ボール箱が積み上げられた狭い、しかし暖かい座敷の一角に座っていました。
お世辞にも良い席とは言えませんが、私たちにとっては天国です。
「……乾杯!」
ジョッキがぶつかり合う音が、勝利のファンファーレのように響きました。
生ビールの冷たさが、逆に体を熱くしていきます。
「いやー、なんとかなるもんだねぇ」
橋本副部長が枝豆を頬張りました。
「俺の検索能力と、山田たちの足と、亀山さんのコネ。全部ハマった感じ?」
「まさに**『ハイブリッド戦』**の勝利です」
私はウーロン茶を飲みながら解説しました。
「現代の戦争は、物理的な攻撃(足での偵察)だけでなく、サイバー空間(ネット検索)や、認知領域(コネと交渉)を組み合わせた戦いです。どれか一つが欠けても、このビールにはありつけませんでした」
「難しいことはいいけどさ」
山田くんが唐揚げにかぶりつきました。
「やっぱ、みんなで食う飯はうめーな」
「あんた、さっきまで『帰る』って言ってたじゃない」と重子さんが笑います。
富山さんがサラダを取り分けながら言いました。
「でも、野本さん。軍隊とか組織って、戦争するためにあるんだよね? こんな平和な飲み会のために必死になって、なんか変じゃない?」
私は箸を止め、全員を見回しました。
小宮部長が幸せそうに焼き鳥を食べ、亀山さんがビールをお代わりし、橋本さんが山田くんにゲームの話をしている。
この騒がしくも温かい光景。
「……富山さん。軍事組織の究極の目的は、戦争に勝つことではありません」
「え? じゃあ何?」
「**『戦わないこと』**です」
私は言いました。
「強力な軍備、効率的な組織、即応体制。これらはすべて、敵に『手出しをしたら痛い目に遭う』と思わせ、平和を維持するための**『抑止力(Deterrence)』**として存在します」
「抑止力……」
「はい。私たちも同じです。こうして組織を作り、階級を定め、役割分担をして結束することで、『世知辛い世の中』や『孤独』といった外敵から、このささやかな**『現状維持(平和)』**を守っているのです」
「野本……」
小宮部長が感動した面持ちで私を見ました。
「あんた、いいこと言うじゃない。そうよ、私たちは平和を守るために飲んでるのよ!」
「単に飲みたいだけでしょ」と亀山さんがツッコむ。
店内には笑い声が溢れています。
アメリカ式でも、中国式でも、ロシア式でもない。
ここは、寄せ集めの「暇つぶし式」統合任務部隊。
世界で一番弱く、けれど世界で一番平和な軍隊です。
「さて、作戦は第2フェーズ(二次会)へ移行しますか?」
橋本副部長が調子に乗って提案しました。
「却下」
亀山元帥が即答しました。
「明日は早朝シフトだよ。総員、終電までに撤収!」
「イエッ・マム!」
店の外に出ると、雪がちらついていました。
酔っ払った小宮部長を重子さんと山田くんが支え、橋本さんと富山さんが前を歩いています。
亀山さんと私は、しんがり(殿)を歩きます。
「野本さん」
「はい」
「あんたの知識、役に立ったね」
「恐縮です。ただの暇つぶしですから」
私は夜空を見上げました。
星は見えませんが、街の灯りが星のように輝いています。
軍隊の構造も、階級も、兵器も、本来はこんなふうに、誰かの日常を守るためにあるのかもしれません。
「野本ー! 早くー! 置いてくぞー!」
前を行く仲間たちが手を振っています。
「了解。全速前進で合流します」
私はマフラーを直し、駆け出しました。
野本ともうします。
私の、そして私たちの「暇つぶし戦略研究所」は、本日も異常なし。
これにて、全作戦行動を終了します。
(完)




