第144章 第3章:BBQのロジスティクス 〜師団か旅団か〜
野本ともうします。
秋といえば、読書の秋、食欲の秋、そして「観閲式」の秋です。
整然と並ぶ戦車や装甲車を見ると、心が洗われるような気がします。
しかし、一般の大学生にとっての秋の行軍といえば、河川敷でのバーベキュー(BBQ)が相場と決まっています。
大学の中庭にあるベンチで、私はクラスメイトの重子さんと山田くんと向き合っていました。
議題は「ロシア語科・秋の親睦BBQ大会」の作戦計画について。
しかし、会議は冒頭から暗礁に乗り上げていました。
「だからさ、俺んちにあるダッチオーブンと、4人用のテントと、あと親父が持ってる業務用発電機も持っていこうぜ。音楽とか流したいし」
山田くんは、典型的な「形から入るタイプ」の男子学生です。
彼が広げたノートには、持ち物リストがびっしりと書き込まれていました。
クーラーボックス(大)×2、折りたたみ椅子×10、タープ、焚き火台、DJブース、etc...。
重子さんが呆れたように言います。
「山田、あんた馬鹿なの? 誰がそんな荷物運ぶのよ。現地集合よ? 電車とバスよ?」
「えー、でもBBQって言ったらこのくらいの装備がないと盛り上がんないじゃん」
「重いし邪魔! 手ぶらで行って、現地で全部レンタルすればいいのよ。食材も現地のスーパーで買えばいいし」
二人の睨み合いを見ながら、私は眼鏡の位置を直し、静かに口を開きました。
「……お二人の議論は、まさに現代陸軍が抱えるジレンマそのものです」
二人が一斉に私を見ました。
「また始まった」と重子さんが呟く。
「山田くんの提案するプランは、冷戦時代の**『師団(Division)』**モデルです」
私は山田くんのノートのリストを指差しました。
「師団とは、1万人から2万人規模の兵士に加え、戦車、砲兵、工兵、そして強大な兵站(補給)部隊を抱え込んだ、自己完結型の巨大組織です。一つの街が移動するようなもので、破壊力も持久力も最強です」
「おお、最強か。いいじゃん」山田くんが鼻を鳴らす。
「しかし!」私は声を強めました。
「その欠点は、**『重厚長大すぎて動けない』**ことです。これだけの装備を展開するには、鉄道や大型トレーラーによる輸送が不可欠。バスと徒歩で移動する我々歩兵部隊にとって、発電機などという重量物は、行軍の足を止める『鉄の棺桶』になりかねません」
「鉄の棺桶……」山田くんが少し怯む。
「対して、重子さんが求めているのは、冷戦後のアメリカ軍が推進してきた**『旅団(Brigade)』モデル、あるいは『モジュラー部隊』**の考え方です」
私は自分の手帳に四角い箱の絵を描きました。
「旅団は、師団をコンパクトに分割し、必要な機能だけをパッケージ化したものです。3,000人から5,000人規模。装備は軽量化され、輸送機(C-17)で世界中どこへでも即座に展開できます」
私は重子さんを見ました。
「つまり、機材は現地レンタル(現地調達)。食材も河川敷のそばのスーパーで調達。我々は身一つで現地へ急行する。これが現代のトレンドです」
「そうそう! 野本さん分かってる!」重子さんが手を叩く。「スマートにいこうよ、スマートに」
しかし、私はそこで腕を組み、難しい顔をしました。
「ですが重子さん。旅団化にも重大なリスクがあります」
「え、何?」
「**『消耗戦への弱さ』**です。ウクライナ戦争の教訓を思い出してください」
「思い出すも何も、知らないけど……」
「ロシア軍は当初、旅団よりもさらに小さい『大隊戦術群(BTG)』という単位で侵攻しましたが、補給や予備兵力が不足し、激しい消耗戦に耐えられずに壊滅する部隊が相次ぎました。もし、現地のスーパーで肉が売り切れていたら? レンタル機材が全て貸し出されていたら? その時点で我々の作戦は失敗(Fails)します」
「うっ……それは困る」重子さんが唸る。「肉がないBBQなんて、ただの野焼きだもんね」
「そう。大規模な戦闘(大食いの男子学生)を支えるには、やはり山田くんの言うような『師団』レベルの分厚い兵站が必要であるという、**『師団回帰』**の動きも世界的なトレンドなのです」
山田くんが勝ち誇った顔をする。
「ほら見ろ! やっぱり発電機は必要なんだよ!」
「発電機で肉は焼けませんけどね」と私。
三人は沈黙しました。
重すぎて動けない「師団(山田案)」か。
軽すぎて飢えるリスクのある「旅団(重子案)」か。
ロシア語科の命運は、この兵站戦略にかかっていました。
「……あ、そうだ」
私は一つの折衷案を思いつきました。
「我が国の自衛隊が採用した、新しいコンセプトを導入しましょう」
「自衛隊?」
「**『即応機動連隊(Rapid Deployment Regiment)』**です」
私はノートの新しいページに書き込みました。
「これは、従来の連隊に、戦車に匹敵する攻撃力を持つ『16式機動戦闘車(MCV)』を配備し、タイヤで高速道路を自走して現場に駆けつける、ハイブリッドな部隊です。火力と機動力を両立させた、島国防衛の切り札です」
「よく分かんないけど、どうすんの?」
「つまり、基本は現地調達の『旅団』スタイルを取りつつ、最も重要かつ重量のある『高級肉とビール(火力)』だけは、事前に確保して高速輸送手段で搬入するのです」
「なるほど! 重い機材は捨てて、肉だけは確実に持っていくわけね」
重子さんが乗り気になった。
「それならバランスがいいわ。で、その『高速輸送手段』って何?」
私は眼鏡をキラリと光らせた。
「即応機動連隊の要は、タイヤで走る装甲車です。つまり、**『車』**です」
二人が私を見た。
「野本さん、車持ってるの?」
「免許はあります(AT限定)。しかし、車両は保有していません」
二人がズッコケた。
「ダメじゃん!」
「山田、あんたは?」
「俺、原付しかねーよ」
「重子は?」
「免許合宿で教官に『君はハンドルを握らないでくれ』って言われて帰されたわよ」
再び沈黙が訪れました。
どれだけ優れたドクトリン(教義)があっても、それを実行するプラットフォーム(車)がなければ絵に描いた餅です。
「……野本さん」
山田くんが力なく言いました。
「結局、どうする?」
私は空を見上げました。秋の空は高く、トンビが輪を描いています。
「……伝統的な歩兵戦術に戻りましょう」
「歩兵戦術?」
「**『背嚢』**による徒徒歩行軍です。各自、肉とビールを均等に分担し、バス停から河川敷までの2キロを歩いて輸送します」
「えー! 重いよー!」重子さんが悲鳴を上げる。
「文句を言わない。歩兵の本分は歩くことです。米軍のレンジャー部隊だと思って耐えてください」
週末。
私たちはパンパンに膨らんだリュックを背負い、河川敷の砂利道を歩いていました。
重子さんは「肩が千切れる」と文句を言い、山田くんは「発電機持ってこなくてよかった」と呟いています。
私の背中には、4リットルの焼酎ボトル(燃料)が重くのしかかっていました。
川原に着くと、そこには他のサークルや家族連れが、車で横付けして優雅にBBQを楽しんでいました。
彼らはまさに機械化部隊。
対して我々は、前時代的な軽歩兵。
「……野本さん」
重子さんが汗を拭いながら言いました。
「次やる時はさ、せめて『レンタカー部隊』を編成しようよ」
「賛成です。輸送力なき部隊に勝利はありません」
炭火を起こしながら、私は誓いました。
いつか必ず、マイカーという名の「装甲車」を手に入れ、この河川敷を制圧してみせると。
焼けた肉の匂いと共に、私たちのささやかな「演習」が幕を開けました。
野本ともうします。
焼き肉のタレを忘れたことに気づきましたが、これは「補給線の途絶」として、塩のみで戦い抜くことを決意しました。
(第4章へ続く)




