第142章 第1章:組織のカタチ 〜サークルに「統合軍」は存在するか〜
野本ともうします。〜組織論という名の暇つぶし〜
野本ともうします。
群馬にある大学の文学部ロシア語科に通う、地味な女子大生です。
趣味は図書館の古新聞閲覧と、軍事組織図の模写。
最近は、世界各国の軍隊がどのように「命令」を伝達し、どのように「サボり」を防止しているのか、その構造美に心を奪われています。
これは、そんな私の、終わりなき組織改革の記録です。
冬の午後。
大学のサークル棟の端にある「暇つぶしサークル」の部室は、どんよりとした空気に包まれていました。
本来なら、コタツで蜜柑を食べながらワイドショーのゴシップについて語り合う「平和維持活動」が行われている時間帯です。
しかし今日は、小宮部長がホワイトボードの前で仁王立ちしていました。
「……おかしい」
小宮部長が、チョークをへし折りながら低い声で唸りました。
部長は美大志望だった過去を持つ文学部3年生。奇抜なベリーショートと、前衛的な古着(今日は「闘魂」と書かれたジャージ)がトレードマークです。
「何がですか、部長。世界情勢ですか?」
私が尋ねると、部長はバッと振り返りました。
「このサークルの『指揮系統』よ! さっきから私が『お茶買ってきて』って三回も言ってるのに、誰も動かないじゃない! どうなってるの!?」
コタツの中には、橋本副部長が首まで潜り込み、死んだ魚のような目でスマホゲームをしていました。
「えー、部長が行けばいいじゃん。俺、今『クエスト』中だし」
「副部長! あんた副部長でしょ! 部長の命令は絶対じゃないの!?」
「副部長って、部長が死んだ時に葬式仕切る係でしょ? 部長まだ生きてるし」
「くっ……!」
部長が地団駄を踏みました。
「これじゃ組織として機能してないわ! まるで烏合の衆よ!」
私は持っていた『ジェーン軍事年鑑』を静かに閉じ、眼鏡の位置を直しました。
「……部長。その嘆きは、かつて米軍が直面し、そして克服したジレンマそのものです」
二人の視線が私に集まりました。
「また始まった」と橋本副部長が呟きます。
「現在の当サークルの混乱は、**『軍政(Service)』と『軍令(Command)』**が分離されていないことに起因します」
「軍……なに?」
私は立ち上がり、ホワイトボードの「闘魂」の文字を消して、図を描き始めました。
「いいですか。現代の軍事組織、特に世界標準であるアメリカ軍のモデルから説明しましょう。彼らは『軍隊を作る組織』と『軍隊を使う組織』を完全に分けています」
【1. アメリカ合衆国モデル(統合運用)】
* 軍政(Service): 陸軍省、海軍省、空軍省など
* 役割:兵士を採用し、訓練し、装備を整える(=素材を用意する)。
* ※戦争の指揮権はない。
* 軍令(Command): 統合軍(Unified Combatant Commands)
* インド太平洋軍、欧州軍、サイバー軍など
* 役割:陸海空の戦力を束ねて、実際に戦争をする(=料理する)。
「つまり、陸軍参謀総長や海軍作戦部長といったトップたちは、実は部隊を動かす権限を持っていません。彼らは大統領のアドバイザーであり、『良い兵隊を育てました』と差し出す裏方なのです」
「えっ、一番偉い人が『突撃ー!』ってやるんじゃないの?」部長が驚きます。
「それは古い時代の話です。現代では、地域や機能ごとに設置された**『統合軍司令官』**が、陸海空をミックスして指揮を執ります。これを当サークルに当てはめると……」
私は橋本副部長を指差しました。
「橋本副部長は、肩書き上は偉いですが、実権のない『陸軍参謀総長』です。部員(自分)の体調管理をするだけで、お茶を買いに行く作戦権限はありません」
「お、ラッキー。権限ないならしょうがないな」橋本さんがニヤリとします。
「そして小宮部長、あなたは大統領(最高司令官)ですが、直接現場に口出しするのは非効率です。あなたは『お茶飲みたい』という政治的目標を示すだけでいいのです」
「じゃあ誰が買いに行くのよ!」
「それが不在なのです。当サークルには、実際に作戦を遂行する**『統合軍司令官』**が任命されていません」
「めんどくさいわねアメリカ式!」
部長が頭を抱えました。
「もっとこう、トップの一声で全員がビシッと動くような、強力なリーダーシップの形はないの!?」
「……なるほど。独裁的な権限をお望みですね」
私は黒板消しでアメリカの図を消し、赤いチョークを手に取りました。
「ならば、**中国人民解放軍(PLA)**モデルを導入しましょう」
【2. 中国モデル(党の軍隊)】
私は大きく★マークを描きました。
「最大の特徴は、これが『国の軍隊』ではなく、**『中国共産党の軍隊』**であるという点です」
「党の軍隊……?」
「はい。政府よりも党が上です。軍は党を守るために存在します。このサークルで言えば、小宮部長自身が『党(中央軍事委員会)』となり、絶対的な権力を持ちます」
「いいわねそれ! 私が法よ!」部長が乗り気になりました。
「このモデルでは、**『中央軍事委員会(CMC)』**主席である部長が、全ての組織を直接コントロールします。そして、重要なのが2024年4月に行われた最新の組織改編です」
私は橋本副部長を見据えました。
「橋本さん。かつて中国軍には、宇宙・サイバー・電子戦を統合した『戦略支援部隊』がありましたが、習近平主席はこれを解体しました」
「解体? クビってこと?」
「いいえ、再編です。権限が集中しすぎたためか、あるいは統制を強化するためか……。その代わり、新たに**『情報支援部隊』、『軍事宇宙部隊』、『サイバー空間部隊』**を設立し、これらを中央軍事委員会が直轄する形にしました」
私は橋本さんに詰め寄りました。
「橋本副部長。あなたは今日から『情報支援部隊』の司令官です」
「名前はかっこいいけど……」
「任務は、部長(党)のための情報ネットワークの構築と維持です。具体的には、部室のWi-Fiルーターの再起動、過去問データベースの整理、そして『近隣スーパーの特売情報』の収集です。これらを直接、党中央(部長)に報告する義務があります」
「ただのパシリじゃん!」
部長が目を輝かせました。
「採用! それで行くわ。情報支援部隊員ハシモト、直ちに『お茶の特売情報』を収集し、兵站(買い出し)を確保せよ!」
「えー、やだよー。独裁反対ー」
橋本副部長がコタツに潜ってストライキを起こしました。
「党の命令に背くなら粛清(除名)されるわよ!」
「どうぞどうぞ。退職金くれるなら辞めるわ」
部長がガクリと膝をつきました。
「ダメだ……。恐怖政治も、やる気のない人間には通じない……」
「……どうやら、強権的な手法も当サークルには馴染まないようですね」
私は赤いチョークを置きました。
「野本、他にはないの? もっとこう、威厳があって、でも実務は誰かが勝手にやってくれるような、都合のいいシステムは」
「贅沢ですね……。では、伝統的なロシア軍モデルはどうでしょう」
【3. ロシア軍モデル(参謀本部と軍管区)】
「ロシア軍は、伝統的に**『参謀本部』という頭脳集団の権限が非常に強いのが特徴です。彼らが緻密な作戦を立案し、広大な国土を守るために『軍管区(Military District)』**という強力な地方組織を持っています」
「軍管区……響きはいいわね」
「ただし、最近のウクライナ侵攻の教訓から、一度は効率化のために解体した『師団』を復活させたり、『モスクワ軍管区』と『レニングラード軍管区』を再編したりと、組織が肥大化・複雑化している傾向があります。これをサークルに適用すると……」
「適用すると?」
「お茶を買うという一つの作戦に対し、参謀本部(私)が膨大な作戦計画書を作成し、軍管区司令官(部長)が承認し、前線部隊(橋本さん)へ補給物資を送るために鉄道旅団を編成する……という、極めて重厚長大で官僚的な手続きが必要になります」
「お茶一本買うのに書類申請が必要ってこと?」
「はい。ハンコが三つ必要です」
「却下! 喉乾いて死んじゃうわ!」
部長は椅子に深くもたれかかりました。
「はぁ……。アメリカ式は責任の所在が不明確、中国式は部下が反乱を起こす、ロシア式は手続きが面倒。どうすればいいのよ」
私は少し考えてから、最後にホワイトボードの隅に小さく書き込みました。
『日本国 自衛隊』
「やはり、我々の身の丈に合った、日本モデルが最適解かと思われます」
「自衛隊? どういう仕組みなの?」
【4. 自衛隊モデル(シビリアン・コントロール)】
「最大の特徴は、徹底した**『シビリアン・コントロール(文民統制)』**です。制服組(自衛官)の上に、背広組(政治家・官僚)がいます。最高指揮官は内閣総理大臣です」
私は部長を指しました。
「小宮部長は総理大臣です」
「総理……! 日本のトップ!」
部長の機嫌が目に見えて良くなりました。
「総理は、自衛隊という実力組織を持っていますが、軍事のプロではありません。ですから、実際の運用は防衛大臣を通じ、**『統合幕僚長』**という制服組のトップが補佐して行います」
私は自分を指しました。
「私が統合幕僚長を務めます。陸・海・空(暇つぶしの全手段)を一元的に運用し、総理の意図を実現します」
「で、橋本は?」
「橋本さんは……そうですね。**『現場の部隊長』**です。総理からの防衛出動命令(お茶買ってこい)が出れば、統合幕僚長(私)が作戦を立案し、部隊長(橋本さん)に命令を下します」
「それ、今までと何が違うの?」橋本さんが顔を出しました。
「形が違います」
私は居住まいを正し、部長に向かって敬礼しました。
「小宮総理。現在、部室内において『水分不足』という武力攻撃事態が予測されます。自衛隊法に基づき、部隊への出動命令を発出してください」
部長は少し照れながらも、総理大臣っぽく頷きました。
「うむ。国民(私)の生命と財産を守るため、直ちに対処せよ。……これでいい?」
「了解しました」
私は橋本副部長に向き直りました。
「橋本1等陸佐。総理より命令が下った。直ちに『購買部』へ展開し、緑茶(500ml)2本を確保せよ。これは演習ではない」
橋本副部長はため息をつきながら、ゆっくりとコタツから這い出しました。
「へいへい、1等陸佐ね。……なんか、総理とか幕僚長とか言われると、断りにくい雰囲気出すのやめてくんない?」
「それが組織の力です。行ってらっしゃいませ」
橋本副部長がダルそうに財布を持って部屋を出て行きました。
部長が満足そうに頷きます。
「素晴らしいわ、日本モデル。やっぱり形から入るのって大事ね」
「はい。ただし、このモデルには一つ欠点があります」
「欠点?」
「現場(橋本さん)の判断で『有事(売り切れ)』が発生した際、法的な縛り(優柔不断)が多くて、次のアクション(別の飲み物への変更)を決めるのに時間がかかることです」
その時、橋本副部長が戻ってきました。手ぶらです。
「総理、報告します。緑茶が売り切れでした。撤収してきました」
「えー! そこでコーラとか買ってくるとか機転利かせなさいよ!」
「いや、命令は『緑茶』だったんで。シビリアン・コントロールなんで、勝手な行動(独断専行)はできません」
「くっ……! 融通が利かない!」
私は静かに『ジェーン軍事年鑑』を開きました。
「組織とは、得てしてそういうものです。……さて、次は『階級』について学びましょうか。橋本さんがなぜ『1等陸佐』なのか、その理由を知れば、きっとモチベーションも変わるはずです」
「もういいわよ! 私が自分で買いに行く!」
部長はジャージの袖をまくり上げ、怒り肩で部室を出て行きました。
「……あ、総理自ら最前線へ」
「現地視察だね」
私と橋本副部長は、再び静かになった部室で顔を見合わせました。
どの国のモデルを採用しても、結局、一番強いのは「怒ったオカン(部長)」なのかもしれません。
野本ともうします。
私たちの組織改革は、まだ始まったばかりです。
(第2章へ続く)




