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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第140章 第4章:相互確証破壊 〜コタツの下の核ボタン〜


野本ともうします。

「平和」とは何でしょうか。

辞書を引けば「戦争や紛争がない状態」とあります。


しかし、国際政治学の観点、特に核戦略の歴史において、平和とは「仲が良いこと」ではありません。

それは、「お前が殴れば、私も殴り返す。結果、二人とも死ぬ」という究極の恐怖によって維持される、張り詰めた均衡状態を指します。

今日の学食のランチタイムは、まさにその冷戦の最前線となっていました。


午後1時の学食。

カレーとパスタの匂いが混じり合う喧騒の中で、私は異様な殺気を感じて足を止めました。

いつものテーブルで、友人の重子さんと山田くんが向かい合って座っています。

しかし、二人の間に会話はありません。

ただ、互いにスマートフォンを銃のように構え、画面を相手に向けたまま硬直しているのです。

「……何をしているのですか、お二人とも」

私がトレイ(Aランチ:唐揚げ定食)を置いて尋ねると、山田くんが視線を外さずに言いました。

「野本、止めるなよ。俺は今、コイツの社会的生命を終わらせるボタンに指をかけている」

山田くんのスマホ画面には、SNSの投稿作成画面が表示されています。

添付されている写真は、先日の飲み会で泥酔し、白目をむいて鼻に割り箸を突っ込んでいる重子さんの、あまりにも無惨な姿でした。

「山田……」


重子さんの声が低く唸りました。

「あんた、それアップしたら、マジで殺すわよ」

「うるせえ! お前が俺の『推し』のアイドルを『整形サイボーグ』って呼んだのが悪いんだ! 謝れ! 謝らないなら、この『デジタル・タトゥー』を全世界に放流してやる!」

「事実を言って何が悪いのよ! 謝らないわよ!」

一触即発。

山田くんの指が「投稿する」ボタンの上で震えています。

「……山田くん」

私は割り箸を割りながら、静かに告げました。

「君は今、**『SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)』**の発射ハッチを開けようとしています」

「エスエル……何?」

「SLBM。潜水艦から発射され、どこからともなく敵国の中枢を破壊する最終兵器です」

私は唐揚げを一つ摘みました。

「その写真は、重子さんの『大学生活』という都市を一撃で焦土に変える威力を持っています。彼女の品位、今後の恋愛、就職活動……すべてが灰になるでしょう」

「へっ、分かってるよ。だから降伏しろって言ってんだ」


山田くんが勝ち誇ったように笑いました。

「ですが、君は重大なリスクを見落としています」

私は重子さんを見ました。彼女の手元を。

「戦略原潜(SSBN)の真の恐ろしさは、攻撃力ではありません。**『第2撃能力(Second Strike Capability)』**を持っていることです」

「第2撃?」

重子さんが、無言で自分のスマホをひっくり返し、画面を山田くんに見せました。

そこには、ボイスレコーダーアプリの再生画面が表示されており、ファイル名は『山田の嘘.mp3』となっていました。

「……え?」

山田くんの顔が凍りつきました。

重子さんが冷徹な声で解説します。

「これは先週、あんたが親に電話してる時の盗み聞き音声よ。『母さん、単位取るための必須教材費が3万円かかるんだ。すぐ振り込んで!』って泣きついてたわよね。……その金でパチンコ行って、全部スッたことも知ってるわよ」


「ま、待て! 重子! それは……!」

「私がこの再生ボタン(発射スイッチ)を押して、あんたの母親のLINEに送信したらどうなるかしら? 仕送り停止? 勘当? それとも大学中退?」

山田くんの手から血の気が引いていくのが見えました。

「これが**『相互確証破壊(MAD:Mutual Assured Destruction)』**です」

私は味噌汁を啜りながら解説しました。

「山田くん。君が第1撃(変顔写真)を発射して重子さんを破壊したとしても、即座に重子さんからの第2撃(音声データ)が発射され、君の国(経済基盤)も確実に消滅します。勝者はいません。残るのは二つの廃墟だけです」

「くっ……! 卑怯だぞ重子! 親を巻き込むなんて!」

「卑怯? 先に核兵器(変顔)を持ち出したのはそっちでしょ」

重子さんの目は座っています。

「それに、私のミサイルはただの弾道弾じゃないわ」

重子さんはスマホを操作し、送信先リストを表示しました。

そこには『山田の母』だけでなく、『山田の彼女ミサキ』、『バイト先の店長』という宛先が含まれていました。


「なっ……!?」

「私のミサイルは、**『MIRV(マーヴ:多弾頭)』**化されているのよ」

「マーヴ!?」

私は頷きました。

「MIRV(Multiple Independently-targetable Reentry Vehicle)。一つのミサイルに複数の核弾頭を搭載し、それぞれが別々の目標を同時に攻撃する技術です」

「重子さんの報復ミサイルは、君の『資金源(親)』、『恋愛関係(彼女)』、『社会的信用(バイト先)』を、たった一発で同時に蒸発させることができます」

「悪魔かお前は……!!」

山田くんが震え上がりました。

「さあ、どうするの山田司令官?」

重子さんが挑発します。

「ボタンを押すなら押しなさいよ。私の社会的死と引き換えに、あんたの人生もここで『THE END』よ」

山田くんの指が、プルプルと痙攣しています。

投稿ボタンを押したい。復讐したい。

しかし、その代償があまりにも大きすぎる。

汗がたらりと山田くんの額を伝い、テーブルに落ちました。

学食のざわめきが遠のき、このテーブルだけが真空の緊張感に包まれています。

まさに、1962年のキューバ危機における、ケネディとフルシチョフの対峙です。

数分、いや数時間のようにも感じる沈黙の後。

山田くんが大きく息を吐き出し、スマホをテーブルに伏せました。


「……撤収だ」

山田くんが掠れた声で言いました。

「この写真は、アルバムの奥底に封印する」

「賢明な判断ね」

重子さんもスマホを伏せました。

「音声データも、クラウドの深海に沈めておくわ。……あんたが妙な気を起こさない限りはね」

「……ちくしょう」

山田くんは悔しそうに頭を抱え、冷え切ったパスタをフォークで巻き取りました。

状況終了オール・クリア

私は唐揚げを口に運びました。

「お二人とも、素晴らしい理性の働きでした。戦略原潜の真の任務は、ミサイルを撃つことではありません。『撃ったらお前も死ぬぞ』と脅し合うことで、結果として誰も撃たせない。これこそが抑止力の精髄です」

山田くんが力なく言いました。

「野本……これのどこが平和なんだよ。毎日こんな爆弾抱えて生きていくのかよ」

「それが現代の安全保障です」

私はお茶を飲みました。

信頼トラストではなく、恐怖フィアーによって維持される平和。味気ないですが、戦争状態よりはマシでしょう?」


重子さんがポテトを山田くんの皿に一つ放り込みました。

「ほら、食いなさいよ。仕送り止まったら困るんでしょ」

「……うるせえ。ありがとう」

二人は黙々と食事を続けました。

仲直りしたわけではありません。

ただ、互いの「核ボタン」の存在を確認し合い、不可侵条約を結んだだけです。

しかし、その危ういバランスの上で、今日のランチの平穏は守られました。

「さて」

私は空になった食器をまとめました。

「この冷戦構造が崩壊しないうちに、私は退避します。午後の講義がありますので」

「あ、待てよ野本」

山田くんが呼び止めました。

「お前は持ってないのかよ。核兵器」

「え?」

「俺らの弱みとかさ。持ってねーの?」

私はニッコリと微笑み、自分の胸ポケットのスマホを軽く叩きました。

「さあ、どうでしょう? 私の潜水艦は深海深く潜っているので、何を積んでいるかは秘密トップ・シークレットです」


「……怖っ」

「一番怒らせちゃいけないタイプだ」

二人が声を揃えました。

実際のところ、私のスマホに入っているのは、大量の軍事系電子書籍と、猫の画像だけなのですが。

「不確定性」もまた、一つの抑止力になるのです。

野本ともうします。

平和な食卓とは、見えないミサイルの上に成り立っているのかもしれません。

ごちそうさまでした。

(第5章へ続く)


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