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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン23

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第139章 第3章:深海のブラックホール 〜サークル棟の戦略原潜〜


野本ともうします。

大学における「サークル棟」という場所は、治外法権の租界に似ています。

そこには、麻雀牌の音、腐ったミカンの匂い、そして留年した先輩たちの怨念が渦巻いています。

私たち「暇つぶしサークル」の部室も、そんな混沌の海に浮かぶ小舟の一つ。

しかし、今日、その小舟に撃沈の危機が迫っていました。


12月の曇天。

部室に入ると、電気もつけずに薄暗い部屋の隅で、小宮部長が体育座りをしていました。

橋本副部長も、死んだ魚のような目で床のシミを見つめています。


「……野本、来たのね」

部長の声が、深海から響くように重いです。

「どうしました? まるで爆雷攻撃を受けた後のUボートのような空気ですが」

「爆雷どころじゃないわよ」

部長が一枚の紙きれを私に差し出しました。

それは、学生課からの『通告書』でした。

『貴サークルは長期間にわたり活動実態が確認できません。つきましては、本日15時に立ち入り検査を行い、活動実績が認められない場合は、部室の使用権を剥奪します』

現在時刻、14時45分。

敵艦隊到達まで、あと15分。

「剥奪……つまり、廃部デコミッションですね」

私は冷静に眼鏡を押し上げました。

「何が冷静よ! 部室がなくなったら、どこでカップ麺食べればいいの!? 私たちのサンクチュアリが消滅するのよ!」


部長が頭を抱えます。

「どうしよう、今から何か活動する? 手影絵でもやる? でも15分じゃ練習もできないし……」

「無駄です」

私は断言しました。

「今から付け焼き刃の活動を見せたところで、学生課という名の対潜哨戒機は誤魔化せません。彼らは『成果』という魚雷を撃ち込んできます。我々には迎撃する手段(実績)がありません」

「じゃあ、終わりじゃない!」

「いいえ。戦い方は一つだけ残されています」

私は部室のカーテンを閉めきり、ドアの鍵を二重にロックしました。

「我々はこれより、**『戦略原子力潜水艦(SSBN)』**に移行します」

「エスエス……何?」


橋本副部長が顔を上げました。

「戦略原潜、通称『ブーマー』。攻撃型原潜とは違い、彼らの任務は敵を攻撃することではありません」

私は二人の前に立ち、厳かに宣言しました。

「彼らの唯一にして最大の任務は、**『生き残ること』**です」

「生き残る?」

「はい。もし祖国が核攻撃で滅びても、深海に潜む彼らだけは生き残り、敵国に報復の核ミサイルを撃ち込む。これを**『第2撃能力(Second Strike Capability)』**と言います。この能力があるからこそ、敵はうかつに手出しできない。これが抑止力です」

私は通告書を指差しました。

「いいですか。学生課(敵)の目的は、我々を『発見』し、『活動していない』という証拠を掴んで『破壊(退去)』することです。ならば、我々が取るべき戦術は一つ」

私は声をひそめました。

「**『存在しないこと』**です」


「存在しない?」

「我々はこの部室という深海の中で、誰にも見つからず、音も立てず、ただひたすら気配を消してやり過ごすのです。検査官が来ても、ここは『無人の倉庫』だと思わせる。存在が確認できなければ、彼らは攻撃(廃部命令)できません」

「つまり……居留守ってこと?」

「軍事用語では**『戦略パトロール』**と呼びます。総員、第一種隠密配置! 光と音を完全に遮断してください!」

私の号令で、部室は完全な闇に包まれました。

暖房も切りました。ファンの音が探知される恐れがあるからです。

三人は息を殺し、冷え切ったパイプ椅子に座り込みました。

チッ、チッ、チッ……。

壁掛け時計の音だけが、やけに大きく響きます。

「……ねえ、野本」

闇の中で部長が囁きました。

「これ、いつまで続けるの?」


「敵が去るまでです。SSBNのパトロールは通常2〜3ヶ月続きます。誰とも通信せず、誰にも位置を知らせず、ただ海の底を漂い続けるのです」

「3ヶ月もこんなことしてたら発狂するわよ」

「だからこそ、SSBNの乗員には強靭な精神力が求められるのです。世界を滅ぼすミサイルを背負いながら、孤独に耐える。それが『沈黙の艦隊』の誇りです」

その時、橋本副部長がモゾモゾと動きました。

「……あのさ、俺、トイレ行きたいんだけど」

「!!」


私は音を立てずに副部長の口を塞ぎました。

「バカなことを言わないでください! 今、ハッチを開ければ、そのトランジェントで敵に捕捉されます!」

「でも漏れる! 限界深度だ!」

「……仕方ありません」

私は腕時計を見ました。14時52分。敵到達まであと8分。

「**『ブルー&ゴールド』**システムを採用します」

「何それ、色?」

「米海軍の戦略原潜は、1隻の潜水艦を最大限稼働させるため、『ブルー』と『ゴールド』の2チームの乗員が交代で乗り組みます」

私はドアを指差しました。

「橋本副部長。あなたは『ゴールド・クルー(休暇番)』です。敵が来る前に、静かに魚雷発射管(裏口)から退艦し、地上へ脱出してください」

「やった! じゃあ帰っていいの?」

「はい。ただし、外で捕まっても『この部室のことは知らない』とシラを切ってください。それがゴールド・クルーの義務です」


了解ラジャー!」

橋本副部長は音もなくドアを開け、忍者のような足取りで廊下へと消えていきました。

裏切りではありません。戦略的撤退です。

「……ずるい。私もゴールドがいい」

部長が恨めしそうに呟きました。

「ダメです、総理(部長)。あなたは核ミサイルの発射キーを持つ最高指揮官です。最後まで艦(部室)と運命を共にしてもらいます。私とあなたは『ブルー・クルー(実戦部隊)』です」

14時58分。

廊下の向こうから、コツ、コツ、コツ……と革靴の音が近づいてきました。

学生課の職員(対潜哨戒機)です。

「……来たわ」


部長が私の腕を掴みました。その手が震えています。

「静粛に(サイレント)。呼吸を浅くしてください。心臓の音も消して」

私は自分の眼鏡を外し、気配を殺しました。

私たちは今、部室ではありません。

海の一部、ただの「無」です。

コツ、コツ……ピタリ。

足音がドアの前で止まりました。

コン、コン。

ノックの音が、まるで爆雷のように室内に響きます。

『学生課ですー。暇つぶしサークルさん、いますかー?』

部長がビクッと反応し、反射的に「は、はい!」と言いそうになりました。

私は全力で部長の口を押さえ込みました。

(ダメです! 応答したら撃沈されます!)

目で合図を送ります。

部長も涙目で頷きました。


『……おーい、立ち入り検査ですよー』

ガチャガチャ。

ドアノブが回されました。

しかし、二重ロックされた扉は開きません。

私たちの心拍数はレッドゾーンに突入しています。

もし、彼がマスターキーを持っていたら?

もし、ドアの隙間から中の気配(アミン臭ならぬ、みかんの匂い)が漏れていたら?

永遠にも感じる数十秒。

ドアの向こうで、職員が何かを書き込む音が聞こえました。

『……いないな。鍵かかってるし』

『活動してないんじゃないですか? 物置代わりですよ、きっと』

『まあ、とりあえず今日のところは「不在」扱いでいいか。また来週来よう』

コツ、コツ、コツ……。


足音が遠ざかっていきます。

「…………」

「…………」

完全に音が聞こえなくなるまで、私たちは微動だにしませんでした。

これがSSBNの戦いです。

敵を倒すのではなく、敵に「何もなかった」と思わせる。

虚無こそが最強の防御。

「……状況、終了」

私は小さく呟き、部長の口から手を離しました。

「ぷはぁっ!」

部長が大きく息を吐き出し、その場に崩れ落ちました。

「し、死ぬかと思った……! 酸欠よ、酸欠!」

「お見事です、艦長。我々は生き残りました」

私はカーテンを少しだけ開け、夕暮れの光を入れました。

「この部室という核抑止力は、守られたのです」

「はぁ……はぁ……。でも、来週また来るって言ってたわよ?」

「その時はまた潜るだけです。あるいは、別の海域カラオケボックスへ移動してパトロールを継続します」

部長は呆れたように笑いました。


「あんたねぇ……。こんな無駄なことに全力使って、バカみたい」

「無駄ではありません。何も起きないことこそが、平和の証拠ですから」

私は鞄からペットボトルのお茶を取り出し、部長に渡しました。

「勝利の美酒(補給物資)です」

「ぬるいわよ」

そう言いながらも、部長はお茶を一口飲み、深いため息をつきました。

「……ねえ、野本」

「はい」

「戦略原潜って、寂しくないの?」

「寂しいですよ。誰にも知られず、賞賛もされず。でも、誰かがやらなければ、世界は終わってしまうのです」

「ふーん。……ま、悪くないかもね。誰にも邪魔されないって意味では」

部長は椅子を並べて横になりました。

「私、このまま浮上せずに寝るわ。次の敵が来るまで起こさないで」


「了解しました。総員、休息配置」

私は文庫本を開きました。

薄暗い部室、静寂の海。

ここは世界の誰からも忘れられた場所。

けれど、私たちにとっては、確かに存在する「居場所」なのです。

野本ともうします。

深海のパトロールは続きます。

外の世界がどんなに騒がしくても、ここだけは静かな時間が流れています。

(第4章へ続く)


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