第137章 第1章:死神のタッグ 〜バックヤードの掃討作戦〜
野本ともうします。〜深海という名のシフト表〜
野本ともうします。
国道17号線沿いに佇むファミレス「ジョリーズ」。
ここは、ハンバーグとドリアの香りが漂う平和なレストランに見えますが、ランチタイムという名の「開戦」時刻を迎えると、戦場へと貌を変えます。
飛び交うオーダー、鳴り止まない呼び出しベル、そして床に散らばるお子様ランチの残骸。
私はここで、時給980円の傭兵として、日々戦火をくぐり抜けています。
日曜日の正午。
ジョリーズの店内は、まさに激戦の只中にありました。
満席の客席からは「水!」「取り皿!」「こっちまだ!?」という悲鳴にも似た支援要請が絶え間なく飛んできます。
「野本さん! 3番テーブル、片付け(バッシング)急いで! 次のお客様ご案内できないわよ!」
ホール全体を統括するベテランパートの亀山さんが、レジ前から怒号を飛ばしました。
亀山さんは勤続15年。
その鋭い眼光と、決して歩速を緩めない圧倒的な機動力から、私は密かに彼女を**「駆逐艦」**と呼んでいました。
「了解。直ちに処理します」
私は手際よく皿を回収し、ダスターでテーブルを拭き上げました。
しかし、ここで重大な異変に気づきました。
「……あれ? 田中くんは?」
田中くんは、先週入ったばかりの大学一年の新人バイトです。
真面目そうですが、少し打たれ弱く、昨日は亀山さんに「声が小さい!」と怒られて涙目になっていました。
彼は11時からのシフトに入っているはずですが、ここ30分ほど姿を見ていません。
私はバックヤードに戻り、ドリンクの補充をしていた同僚の富山さんに声をかけました。
「富山さん。田中くん、見かけましたか? 前線から消失しました」
富山さんは氷をグラスに入れながら首を横に振りました。
「見てないなぁ。さっき『ちょっとトイレ』って行ってたけど、それっきり戻ってこないね。……まさか、バックれた?」
「バックレ……軍事用語で言うところの『敵前逃亡(Desertion)』ですね」
その時、バックヤードの扉がバン!と開き、亀山さんが飛び込んできました。
その形相は、まさに敵艦隊を発見した艦長のそれです。
「ちょっと! 田中くんまだ戻らないの!? 洗い場がパンクしてるじゃないの!」
亀山さんの声が狭い通路に反響します。
「あの子、どこ行ったのよ! まさか帰ったんじゃないでしょうね!?」
亀山さんは今にも男子更衣室へ突入しそうな勢いです。
私は慌てて彼女の前に立ちふさがりました。
「待ってください、亀山艦長」
私は眼鏡の位置を直し、冷静に言いました。
「感情に任せて単艦で突入するのは危険です。相手は姿を消した潜水艦(Uボート)。闇雲に探し回っても、広大な海(バックヤードと駐車場)では見つかりません」
「じゃあどうするのよ! 忙しいのに!」
「対潜水艦戦(ASW)のセオリーに従いましょう。亀山さんは**『駆逐艦』**です。強力な攻撃力(説教)を持っていますが、視界が限られており、小回りが利きません」
私は富山さんを見ました。
「対して、私と富山さんは**『対潜ヘリコプター』**です。駆逐艦(亀山さん)の目となり、上空から広範囲を捜索し、敵を追い詰めることができます」
「ヘリコプター?」亀山さんが眉をひそめました。「飛べるわけないじゃない」
「比喩です。物理的に走り回るのではなく、**『ソノブイ(音響探知機)』**を投下して、敵の位置を特定するのです」
「ソノブイって何よ」
「見ていてください」
私はエプロンのポケットからスマホを取り出し、店内の業務連絡グループLINEを開きました。
そして、素早くメッセージを打ち込みました。
『【業務連絡】田中くんを探しています。見かけた方はスタンプで反応してください。休憩室、喫煙所、裏口付近、誰かいませんか?』
送信ボタンをタップ。
「これがソノブイです。店内の各所に点在するスタッフ(センサー)に対し、アクティブな信号を送りました。彼らが反応すれば、そこが敵の現在位置、あるいは『いない場所』の証明になります」
数秒後、ピロン、ピロンと通知音が鳴り始めました。
* キッチンの中村さん(休憩中): 『喫煙所、いま俺一人っす。いないっす』 → スタンプ(敬礼)
* 搬入業者の佐々木さん: 『裏口でタバコ吸ってるけど、誰も出てきてないよ』 → スタンプ(OK)
* 女子大生バイトのミカちゃん: 『女子更衣室の前、誰もいません』 → スタンプ(うさぎ)
私は富山さんのスマホの画面も覗き込みながら、地図(脳内マップ)に×印をつけていきました。
「分析します。喫煙所(北)に反応なし。裏口(東)からの脱出形跡なし。女子更衣室前(南)もクリア」
富山さんが画面を見て言いました。
「てことは、残るは……」
「はい。消去法により、敵潜水艦の潜伏海域は**『男子更衣室』および『その周辺のトイレ』**に絞り込まれました」
私は亀山さんに向き直りました。
「敵はまだ艦内(店内)にいます。移動ベクトルは停止中。おそらく、更衣室の深海に潜み、エンジンの回転数を落として息を潜めている(サボっている)可能性が高いです」
亀山さんが腕まくりをしました。
「やっぱり更衣室ね! よーし、引きずり出してやる!」
亀山さんがドスドスと足音を立てて男子更衣室の方へ向かおうとしました。
駆逐艦が全速前進で爆雷を投下しに行く構えです。
しかし、私は再び制止しました。
「待ってください! 焦ってはダメです」
「なによ! 場所は分かったんでしょ!?」
「場所は絞れましたが、まだ『確証』がありません。もし彼が本当に体調不良で倒れているなら、強引な突入は国際法(労働基準法)上の問題になります。それに、もし鍵をかけて居留守を使われたら、外からでは手が出せません」
「むぅ……確かに」
「ここで必要なのは、敵に『逃げ場はない』と悟らせるための、より精密で冷徹な追い込みです」
私は富山さんに目配せしました。
「富山1等空尉、準備はいいですか?」
「え、何すんの?」
「次のフェーズに移行します。ソノブイによる包囲網は完成しました。次は、**『ディッピングソナー(吊り下げ式ソナー)』**を使用して、敵の頭上から直接探知を行います」
「ディッピング……?」
「ヘリコプター(私たち)が、空中からセンサーを垂らし、水温の壁を突き破って敵の姿を暴くのです。具体的には、私のスマホから田中くんの個人携帯に電話をかけます」
「電話?」
「はい。更衣室のドアの前で電話をかければ、中から着信音が聞こえるはずです。それが聞こえた瞬間、彼の『ステルス(隠密)』は無効化されます。そして、トドメに……」
私は亀山さんを見ました。
「駆逐艦(亀山さん)の**『アクティブ・ソナー』**を最大出力で発信してもらいます」
亀山さんがニヤリと笑いました。
「なるほどね。大声で怒鳴ればいいってことね?」
「その通りです。金属的な衝撃音で、彼の心理的装甲を破壊してください」
「よし、乗った! 行くわよ、対潜部隊!」
私たちは隊列を組み、薄暗い廊下の奥にある男子更衣室へと向かいました。
先頭は駆逐艦・亀山。
その左右上空(背後)を、ヘリコプター部隊の私と富山さんが随伴します。
敵潜水艦「田中(Uボート)」は、静寂の底で何を思っているのか。
恐怖か、後悔か、それともただの居眠りか。
真実は、厚さ3センチのドアの向こう側にあります。
野本ともうします。
これより、深海に潜む獲物を狩るための、最後のアプローチを開始します。
(第2章へ続く)




