22. ポゥ文具店
新緑のまぶしい季節。
俺は散歩がてら城下の商店街を歩いていた。
目的地もちゃんとある。ポゥ文具店という文房具専門店だ。ペンのインクを買いに行く。
文房具や日用品など必要な物は大体アカデミー内で揃うし、あまり一般的でない物もマクレガー商会の双子くんに言えば大概用意してもらえるんだが、「これだけは銘柄が決まっている」という物が俺の場合はインクだった。
何の変哲もない黒いインクなのだが、ポゥさんとこのは俺と相性が抜群で魔力が乗せ易いのだ。
塾生時代、黒本を作る授業でことごとく不合格を叩き出していた俺に、同期の誰かが「インク変えてみたら?」と勧めてくれた。そこで初めて、俺のセンスがないのではなくインクと魔力の適合性が問題だったのかと驚き、王都中の文具屋や雑貨屋やらを巡りインクというインクを試してみた結果、ポゥさんのインクに辿り着いたワケである。
「坊ちゃん、あのお嬢さんは元気かい。年が変わる少し前だったか、お母さんが亡くなったって新聞で読んだが」
「うん。もう長く臥せってたからね。覚悟はしてたみたいだよ。近々お兄さんが帰国するそうだから、少しは気が楽になるんじゃないかな」
「そうかい。末っ子がまだ小さかったろう。残される方も残して逝く方も可哀そうなことだよ」
気の毒にねぇと眼鏡の奥でしわの濃い目尻がやや下げられた。
店主のポゥ爺さんは俺たちが子どもの頃からの付き合いなので、まるで孫のように可愛がってくれている。自分の身内に不幸があったかのように悲しそうだ。
「儂ら庶民が気にすることじゃないかもしらんが」
「うん?」
「お父さんもまだ若いだろう。喪が明けてすぐさま再婚の話があっても不思議じゃない。継母が前妻の子どもたちに優しいとは限らんからな。よくよく支えてあげるんだよ」
「体験談?」
「……昔の話だ」
「うん、分かった」
「まあ、君らはラブラブだから心配はしておらんが」
「安心してよ。一生ラブラブだから」
かかかと笑ったポゥ爺さんがおまけだと言って飴ちゃんをいくつか俺の手に握らせる。「もう小さい子どもじゃないよ」と言おうと思ったが、やはり孫を見るような優しい視線に結局「ありがと」と受け取った。
「坊ちゃん、気を付けなよ。最近この辺りでスリが出るんだと」
「そうなんだ。いつもより巡回してる騎士が多いなと思った」
「なんでも老若男女問わず狙われるそうだよ」
「えぇぇ、怖っ」
スリが多発しているとは物騒なことだ。
ポゥ爺さんも気を付けてよ、と念押しして店を出る。
爺さんはいくつくらいなんだろう。
ここに他に客がいるのを見たことがないし、あまり繁盛しているようにも見えない。閉店されると非常に困るんだが。跡取りはいるんだろうか。訊いてもいいか躊躇って結局口にできなかった。さっき継母が子どもたちに優しくなかった的なことを言っていたし、そういえば家族の話を聞いたことがない。指輪もしてないんだよなぁ。
いくつかの足音が後ろから駆けて来て通り過ぎて行く。
五、六歳頃の子どもが三人、きゃあきゃあと楽しそうだ。
元気だなあ、前見て走らないとぶつかるぞーと思った瞬間だった。
ドン、と一番小さい子が通行人にぶつかって跳ね返されて尻もちをついた。ぶつかられた恰幅の良い紳士がよろめくくらいに全力で体当たりしたらしく、何が起こったのか分からないときょとんとしている。残りの二人の子どもたちは小さい子を助けることなくどこかへと行ってしまった。
うわぁ……。
思わず声に出してドン引きしてしまう。
「ごっ、ごめんなさい、おじさん!」
「ガキが、躾がなっとらんようだな」
「わ、わざとじゃないよっ」
「わざとでなくとも許さん。下ろしたての靴を汚しおって!」
胸倉を掴まれた子どもがおろおろと周囲に視線を巡らせて助けを求める。
ちょうど通りかかったらしい巡回の騎士二人組が一瞬顔を見合わせ、そして見て見ぬふりを決め込んだ。
どうやらあの紳士は貴族なのだろう。
下手に口を挟むと自分たちの首が飛びかねないワケだ。
なんか色々と最悪だ。
どうしたもんかと腕を拱いた俺の脇から、一人の男が「まあまあ」と子どもを庇って前に進み出た。
無精ひげの似合う精悍な顔立ち。へらりと笑った様はどこか軽薄そうだが、女性にはモテるんだろう優男。二十代半ば頃と見た。
「子どものしたことですから、そう目くじら立てなくとも。靴ならほら、磨けばきれいになりますって」
ペラペラの生地だが一応ジャケットを着た優男が、その袖で紳士の靴の汚れを拭う。靴墨で黒ずんだ袖を気にすることなく「ほらね」と笑うので、紳士も毒気を抜かれたようだ。嘆息して子どもの胸倉から手を離した。
丸く治まりそうだと周囲が安堵する中、俺はそっと優男の後ろに近付く。そしてその男の尻のポケットから財布を引き抜いた。
ぎょっとした顔で振り向く優男を無視して紳士に財布を差し出す。
「卿、財布を落とされましたよ」
「お? おぉ、すまん。確かに私のだ。ありがとう」
「災難でしたね。お怪我は?」
「いや、大丈夫そうだ。私としたことが大人げなかったな。坊主、今度から気を付けるんだぞ」
「あ、う、うん」
では、と紳士が去って行く。
足を止めていたギャラリーたちも動き出す。
優男だけは、俺を恨みがましく睨んでいた。
「どーしてくれんだ。おまんま食い上げだぞ」
「知るか。子どもを使う窃盗犯にかける情けなんてない」
「オレじゃねえよ。こいつらの飯がねえっつってんの」
「盗みじゃなく別のことを教えろよ。今回はまだ話の通じる相手だったけど、もっと短気な貴族ならアンタが出て来る間もなくその子の首を刎ねるぞ」
「……その格好、アカデミーの【黒】だろ。どーせ坊ちゃんもお貴族様ってワケだ。その日の食い扶持を心配しなくていいお方は気楽でいいですねェ」
優男が「ケッ」と唾を吐く。
三人の子どもとこの男はグルだ。
一番小さい子がわざとターゲットにぶつかって気を逸らす。その間に二人の子どもが財布なり金目の物をかすめ盗る。そしてすぐさまこの優男にそれらを渡す。子どもたちが捕まっても物証は出ない。
ポゥ爺さんの言っていたスリとはこいつらのことだろう。
優男は放っておいて、俺は子どもに視線をやった。
一瞬だけびくっと肩を跳ねさせたその子はぎゅっと自分の服の裾を握る。優男の影に隠れない辺り、どうやら信頼関係のようなものはなさそうだった。
「ケガはないか」
「平気」
「……両親は?」
「いない」
「あとの二人にも?」
「たぶん、いない」
「そっか。ここから見えるあの白い大きな建物、分かるか? あれは神殿だ。あそこに行けば親のない子の面倒を見てくれる場所がある。二人を誘って行ってみるといい。辛いこともあるかもしれないけど、盗んだ金で飯を食って満足するような大人にはなっちゃいけない」
「……うん、分かった」
「いい子だ」
よしよしと頭を撫でてポゥ爺さんから貰った飴を渡す。
ちょうど三個。
甘いものは久しぶりだったのか、ぱあと顔を明るくしたその子は飴を握りしめて駆けて行った。
やはりこの優男のことは別に好きでもなんでもなかったようだ。
「ふん。甘ちゃんだな。神殿の孤児院なんか人身売買の温床だろ」
「……アンタ」
「なんだよ」
「この国の中枢にいる王侯貴族を舐め過ぎだ」
「――っ」
「確かに細かい所にまで目は行き届いてないだろう。けどなあ、陛下のお膝元で子どもが売られるような悪行を、あの人たちが赦すわけがないだろ!」
特に、そんなことが姉上の耳に入ろうものなら国が物理的に崩壊するレベルでお怒りになるに違いない。世界最強の魔術師殿は人間嫌いだが弟が何より大事だし、そして小さな子どもにもそこはかとなく甘いのだ。
「……冗談だ。んな怒るなよ」
ぷい、と気まずそうに視線を逸らしたその横顔になんとなく見覚えがあった。
伸ばしっぱなしの長い前髪をひょい、と持ち上げてみる。びっくりした様子の優男が青っぽい瞳でぱちくりと俺を見た。
この無精ひげ。整ってはいるが意外と童顔。城下に顔が広く様々な人種に知り合いがいる。けれど常に金欠の――、
――ヒロインが唯一財布を出さねば落とせないヒモ男。
「……な、なに?」
「……アンタ、お祖父さんいる?」
「祖父ちゃん? ああ、いるけど。そこの、文房具屋の店主だ」
「ポゥ爺さん?」
「知ってるのか。マニアックだな。あんな潰れかけの小さい店」
俺は男の首根っこを引っ掴んで来た道を戻った。
カランカランとさっきも聞いたドアベルが鳴って、「いらっしゃい」と言いかけたポゥ爺さんが俺に引きずられた孫を見て目を丸める。
ああ、そうか。目が似てるんだな。
「――どうしたんだい」
「爺さん。さっき言ってたスリ。こいつだ」
「えっ」
「はぁ?! ちょ、おまっ!」
「本当なのか、テッド」
「おっオレはただ、そう、通りかかっただけでっ」
「……嘘を吐くとき目を逸らす癖、子どもの頃のままだな」
「ひぇっ!?」
にっこり笑ったポゥ爺さんがテッドという名前らしい優男の胸倉をつかんで捻り上げる。
そうだ。思い出した。このヒモ男の攻略方法は少々特殊なのだ。
まずこの文具店を見つけ、店主の好感度を上げ、そして仲違いして家を飛び出したヒモ男こと孫であるテッドと店主を仲直りをさせる、というちょっと面倒臭い相手だった。あの店、ここだったのか……。
物語クライマックスの卒業記念パーティーの前の日、ヒロインにドレスが届く。エンディングを迎える相手ごとにそのドレスが異なり、目当てのドレスじゃなかったらその時点でゲームをリセットする目印になっていた。
そして実はこのヒモ男が一番豪華なドレスを送って来る。
着て行くドレスがないと泣くヒロインのため、どこかの夫人から騙し取るのだ。
もちろんヒモ男は捕まる。引っ立てられて行く途中、きらびやかなアカデミーのダンスホールを見上げ「幸せになれよ」と諦めたように笑うので、一瞬「え、こいつあんな苦労させといてバッドエンド?」と思わせるのだが、そこになぜかヒロイン登場。「ごめんなさい私のために!」「バカ、おまえは何も悪くない!」と良く分からん小芝居が始まったかと思えば、モブ夫人が現れて「あなたたちの互いを想う心には胸を打たれたわ」とかなんとか言って、結局ドレスは夫人からヒロインにプレゼントしたということにして一件落着となる。
全部のエンディングを見た上での感想だが、こいつが一番意味が分からなかった。というか、納得できなかった。
このモブ夫人誰。ヒロインはなんでそこにいるんだ。つーか窃盗犯を連行するのになんでアカデミーの敷地内を通るんだよ。
……好い記憶より悪い記憶の方がより強く思い出しやすいというが、あれは本当だ。イライラとモヤモヤしかなかったヒモ男エンディングを一番はっきりと思い出せる。遺憾だ。レガートやジュリアスのエンディングは何も覚えてないのに。
「坊ちゃん、手間をかけたね。孫とはよくよく話し合うとしよう」
「ああ、うん。よろしく」
「ちょ、待て! おい! 置いて行くなー!!」
仲直りをするもしないもどうでもいいが、ヒモ男はヒロインに「もう何年も祖父には会ってない」的なことを言っていたので、現時点で攻略シナリオからは少し外れたはずだ。
そもそも確か、ヒモ男のスリ現場を目撃したことでヒロインが絡みに行くという出会いじゃなかったろうか。
ならばもう孫はお祖父ちゃんに任せて大丈夫だろう。
町から犯罪を一つなくした俺は清々しい気分で家路へと就いた。




