21. 雨天
本日は雨天。
生まれつき金の髪が波打っているパトリシア・エヴァンズ嬢のお支度に、いつもの平均三倍ほどの時間がかかる日である。
まあ、そんなこと構いやしない。
俺はトリシアが納得いくまでいくらでも待っていられる男だ。
そんなワケで今朝の俺は女子寮の入り口に結構な時間突っ立っている。たぶんもうすぐ始業のはずだが、俺の麗しの天使が姿を見せる気配はなかった。
レガートが欠席する日で良かった。公務だそうだ。
入り口にぽやっと立ち尽くす俺を女子寮の皆さんは見慣れたもので「ごきげんよう、レリウス様」とご挨拶をくれたりする。同塾の同期たちだけは「アンタも厭きないわねぇ」と呆れたように通り過ぎて行くが、まあこれもいつものことだ。
最初のエックスデーまであと一年もない。
俺の仮想敵が本当に現れるのか、どんな人物なのか。それが明らかになるまで一瞬たりとも気が抜けないのである。
しとしとと降り続く雨をぼんやり見上げているとパタパタと足音が近付いて来た。見覚えのあるメイドさんが階段を駆け下りて来る。
「おはようございます、スティーブン卿」
「おはよう。……無理な日かぁ」
「はい、申し訳ございません。手は尽くしているのですが。お嬢様はわたくし共が責任を持って校舎までお送りしますので、卿は遅刻なさいませんよう」
「分かった。先に行って待ってるって伝えて」
「必ず」
深々と腰を折ってメイドさんが駆け戻って行く。
本日のトリシアさんのお髪は相当に言うことを聞かないご様子。
どんな君でも可愛いのにと一度口を滑らせたことがあるが、「私に少しでもおかしなところがあってご覧なさい。翌日にはエヴァンズ家の悪評になっているのよ」と怒られた。貴族社会怖い。
「あ、あの!」
てくてくと歩く俺を知らない声が呼び止めた。
半泣きの女子生徒が木陰から必死な形相で俺を見ている。
え。なに。とよくよく見ると真新しい【赤】の制服が泥水塗れになっていた。馬車にでも水溜まりの水を撥ねられたのだろう。どうやら一年生。不慣れな通学路で初めての雨天。水撥ねを予測できなかったかもしれない。ご愁傷様です。
「く、【黒】の方ですよね? あの、この制服、どうにかできませんか」
「どうにか?」
「洋服をきれいにする魔法とか、そういうのあるでしょう?」
「残念だけどこの世の誰にも“魔法”は使えないよ」
「え? ……??」
「頑張れば泥は落とせるかもしれないけど、俺は水も風属性も持ってないから乾かすことはできない。火だと布は燃やしちゃうからねぇ」
「……??」
「諦めて着替えに帰ったほうが早いよ。それじゃ」
【黒】ならなんでもできると思っていそうな子にそれ以上の説明を諦めて、俺は足早にその場を去った。アカデミーに通える子でもこれだ。【黒】への理解が広く一般に浸透するなんて夢のまた夢かもしれない。
「制服の替えなんて持ってない!」と後ろから悲鳴染みた声が聞こえたが、それこそ俺のあずかり知らぬところである。
女子寮はすぐそこだ。寮母さんがいるだろうし、同じ女性に助けを求めたほうが遥かに現実的だろう。
ちなみに。俺たち【黒】の雨天は無属性の『雨に濡れない魔術』を展開してやり過ごす。
日本人だった頃の俺は雨が降れば傘を差すのが当たり前だったが、欧米でもそうだったようにこの国でも「傘を差すのはお嬢様っぽい」というイメージが強いらしい。紳士諸君は小雨程度なら走って行くし、本格的に降っていてもレインコートと帽子でどうにかしてしまう。
俺はできれば濡れたくないので、転移魔術の次にこの雨に濡れない魔術を覚えた。展開中は魔杖を持ち続けなければならないが、かなり便利で大助かりだ。
「お。珍しいな、今日は一人か」
「ギルフォード先生」
一限目は自習だったので俺は一般棟の図書室に来ていた。
そこでビジュアル系バンドマンもとい、古代史担当の先生に鉢合う。ツートンカラーの前髪にシルバーピアスがおそろしく図書室という場所に似合っていなかった。
「麗しの婚約者殿とは別行動か?」
「今日はちょっと、髪型が決まらないみたいで」
「――雨か」
「雨です」
「そうか。なら仕方ねぇな」
「納得するんだ」
「俺も前髪が決まらない日はどこにも行きたくないからな」
生徒の心境に理解ある先生はちょいちょいと自分の前髪を触って肩をすくめた。なるほど。確かにこだわってそうな前髪ではある。
俺は先生の様子をそれとなく観察してみた。
どこも異変はなさそうに見える。元気そうだ。
例の、解明されていない呪いとやらにはまだ触れていないらしい。
「……先生。近々遺跡の発掘とか調査に出かけたりする予定あります?」
「いや。残念ながら数年は行けそうにない」
「え?」
「なんだ。おまえも発掘に興味が出て来たのか? 行くか?」
「行きませんけど。何年もおあずけ喰らうなんて、何か事情が?」
「どこかの変人貴族が方々で俺の名前を出してくれるおかげで物書きとしてちょいとばかり名が知られ始めたんだよ。最近シリーズものの翻訳を依頼されてな。早くてもそれに二、三年はかかる」
「へぇー。ありがたい話ですね」
「ほんとにな」
数年は遺跡に行かない。
ということは。
先生が俺たちの在学中に呪われる可能性は限りなく低い。
情緒不安定でもヤンデレでもない遺跡オタクなギルフォード先生が自分の半分ほどの年齢の女子生徒に手を出すとは思えない。
訳アリ教師ルートも途絶えたと見ていいだろうか。
ありがとうどこかの変人貴族。
君のおかげで訳アリ教師が訳アリじゃなくなる。
おまえだよ、と脳内で先生がフンと笑った。
廊下ががやがやと騒がしい。
なんだ、と視線をやったと同時にドアが開かれた。【赤】の団体様が興味深そうにこちらを覗いている。団体の先頭にいる男子生徒が「ここが図書室です」と声を張るので、どうやら新入生に校舎の案内をして回っているようだ。
その先頭の男子生徒と目が合った。
見覚えのあるふわふわのモーブピンク。そういえば【赤】に双子のお兄ちゃんがいるとミオが言ってたな。
誰かがいるとは思っていなかったのだろう、お兄ちゃんはちょっと驚いたように丁寧にお辞儀をくれた。
「騒がしくして申し訳ございません。新入生に校内を案内しておりまして」
「いいよ、気にしないで続けて」
「ありがとうございます」
ミオより若干まじめそうな雰囲気を纏ったお兄ちゃん――確か、マオくんは図書室の利用について淡々と説明をし始めた。
貸し出しは一人一度につき三冊までと聞こえたと思ったら、隣でギルフォード先生が「そうなのか」と呟いた。俺もちょっと驚く。普通に十冊近く借りて行ったことがあるが、司書さんには何も言われなかった。たぶん先生も似たような経験があるんだろう。
教師、上位貴族ということで大目に見てくれたのか、それとも注意できなかったのか。ルールを知らず申し訳ないことをしてしまっていたようだ。今度から気を付けよう。
説明を終えたマオくんが「お騒がせしました」と俺たちに頭を下げて出て行く。
新入生の何人かは俺に気付いたようで、去り際に一礼をくれるが、今年の【赤】に俺が覚えておかなければならないような貴族の子はいなかったので、誰一人知らない。にっこり愛想笑いだけを返しておく。
「あ! あなた、今朝の!」
小柄な女子生徒が俺を指差して声を上げた。
おいこら、人を指差すんじゃありません。
貴族の子たちが俺に頭を下げるので、おそらく俺が上位貴族の誰かだろうくらいは察していた子たちがドン引きで後退る。
それくらい無礼千万な彼女の手を、横からがしっと掴んで捻り上げる勢いで下がらせたのはマオくんだった。
「痛い! マオ兄! 離して!!」
「誠に申し訳ございません、レリウス様。…僕はマオ・マクレガーと申します。ミオの双子の兄です。これは僕たちの従妹でアリス。躾がなっておらずご不快な思いをさせてしまい、妹の恩人に対しなんとお詫びして良いか……」
「どうしてマオ兄が頭を下げるの? その人、困っている女の子を雨の中置き去りにしたのよ!」
「黙れアリス!」
「……ああ、今朝の泥水塗れの子。制服ぶかぶかで気付かなかった」
「寮母さんが貸してくれました。毎年何人かは同じような子がいるって、卒業生の制服をもらって保管してるんですって。あなたなんかに頼らずにさっさと引き返せば良かったわ」
「アリス!」
どうしよう。すごく面倒臭い。
俺のそんな心境を読んだのか、慌ててマオくんがアリス嬢とやらを引き倒して頭を床に押しつけた。意外と力持ちだ。暴れる従妹をしっかりと片腕で抑えている。
「置き去りにしたのか?」
「楽しそうね先生」
「楽しいな。で?」
「はあ。俺が一人で歩いてたらその子が木の下でベソかいてたんですよ。泥水塗れで。【黒】ならどうにかできるだろ、みたいなこと言われて、できないから戻って着替えたらって答えたんです。だって寮からすぐそこだったんですよ?」
「……おまえ優しいな。俺ならシカトするわ」
「そういうわけで、マオくん。俺の認識ではその程度なんだけど、後でその子の話を聞いて、それで俺が悪いと思ったら連絡くれる?」
「……っ、今朝の件については既に従妹から話を聞いております。レリウス様の認識と齟齬はございません。全て従妹の自業自得です。この度の従妹の失態はいかようにも償わせますので、この場は何卒お収めください」
「事を荒立てるつもりはないよ。その子のことはマクレガー家に任せる」
「はい。寛大なお言葉心より感謝いたします」
罪人を引っ立てる岡っ引きよろしくマオくんが半ベソの従妹を引きずって行く。マオくんのわんこ系アイドルな可愛いお顔が怒りに満ちていた。
ああ、これはあの従妹、説教だけじゃ済まないだろうな。朝から泥水塗れになったり従兄から激怒されたり。踏んだり蹴ったり。ご愁傷様。
「毎年何人かはああいうのがいる。金持ちの家に生まれて蝶よ花よと育ったせいで貴族と自分の“差”が分かってない。災難だったな。ま、もう会うこともないだろ。気にすんな」
「え。あれしきで退学?」
「おまえなぁ。誰に悪態ついたか分かってんのか」
「俺」
「そーだよ。おまえだよ。スティーブン・レリウス。騎士団長レリウス侯爵の末子。宮廷魔術師団長ヴェサリウス二世の直弟子。婚約者はその孫バートン公爵令嬢。王家とも宰相家とも懇意なおまえを平民が指差してその場で首が飛ばなかったのはここがアカデミー内でおまえが良く言えばおおらか極まりないお人好しだからだ。退学で済めば奇跡だろうよ」
そろそろちったぁ自覚しろ、と丸めた冊子で俺の頭をぺこっと叩いた先生が何かぶつぶつ言いながら図書室を後にする。
無礼の度合いで言えばギルフォード先生も中々のものだが、教師はノーカンなんだろうか。まあ別にいいけど。
後日、マクレガーさん家の双子兄弟が揃って俺を訪ねて来て深々と首を垂れ謝罪をくれた。「家長から正式な謝罪を」と言われたが、事を大きくしたくなかったし、何より面倒臭すぎるので丁重にお断りした。
先生の言った通り、例の従妹は自主退学の上、王都からも追い出されて田舎で農家の手伝いをすることになったらしい。それでも罰が軽すぎると双子くんたちがぷんぷんしていたので、俺は違う話題を振ることにした。
「ミオとマオはあんまり似てないね」
「「えっ、そうですか?」」
「うん。声は似てるけど」
「似ていないと言われたのは初めてです」
「僕たちが互いを真似れば両親でも間違えますよ」
「そうなんだ? うーん。でも中身が全然違うでしょ?」
「「中身」」
「ミオは明朗でおしゃべり上手だけどどっちかっていうと頭脳派だよね。色んなことを同時に考えられる参謀タイプ。マオは真面目で堅実そうだけど、いざってときに身体が動く現場の指揮官タイプ。全然違うから分かり易いよ」
双子兄弟がぽかんと俺を見上げてしばし沈黙した。
こうして見ると確かに顔立ちもそっくりだし配色も同じなので、制服の色が違わなければ見分けが付かない人がいるのも納得できる。
でもやっぱり俺からすればあんまり似てない。うまく説明できないけど。
「き、機会があれば試してみても構いませんか?」
「マオ!」
「だってミオ。ミオも気になるだろ」
「そりゃあ、少しは」
「試すって、俺を? ほんとに双子が見分けられるかって? あっはは。いいね、おもしろそう」
「「いいんですか?!」」
「いいよ」
「「いいんだ……」」
そんなこんなでマオミオ兄弟は絶対に俺を騙してやると意気込んで帰って行った。お揃いの服を買ったり、髪型をそっくり同じにしたり、肌や爪を整えねば的なことを言い合っていたが、さすがに仮面はやめてほしい。
まあ少しでも気分が上向いたなら良かったと思うことにしよう。
ということがあったよ、と後日トリシアたちに話した。「少し目を離すとこれだから……」と俺の天使が呆れ気味に首を横に振っていたが、俺なんか悪いことしただろうか。




