20. 『魔術によって栄え滅びたケルネルス王朝』
「どうやら今年中に引っ越すことになりそうだ」
ランチ後の昼下がり。
いつもの面子といつもの東屋でのほほんとお茶を楽しんでいると、ジュリアスが不意に口を開いた。
トリシアもレガートもきょとりとしているので、俺だけが知らない話ではないようである。
「ジュリーが? どこに?」
「詳細は聞かされていないが、父上が家督を長兄に譲る準備を始めたそうだ。長兄が公爵位を継ぐにあたって、私は父上と共にカーライル家の籍から抜けて他の場所に移されるらしい」
「まあ。ジュリアス様、まさかご転校なさるの?」
「いや。父上は宰相の仕事は続けるそうだ。それにアカデミーは寮制だし、ここを辞める必要はないはずだが……」
「ジュリアスだけがカーライル宰相と一緒に移るの? 次兄は確か他家に婿入りしていたはずだけど、三兄は?」
「母上のところへ」
「ああ、なるほど」
そういえばジュリアスからお母さんの話を聞いたことがない。
というか家の話はほとんど聞かない。
この分だと一緒に暮らしているわけではなさそうだが、ご健在ではあるようだ。
先週お会いしたセドリック・カーライル宰相を思い出す。
いわゆるイケオジにひんやり冷たい印象ばかりがこびりついていて、ジュリアスに良く似たあの面差しが家庭を大事にしているイメージは微塵も浮かばなかった。偏見かもしれないが、まさに仕事一筋。そんなタイプ。
「スティーブンは知らないかもな。ウチの両親は私が幼い頃に離婚している。母上は南端地方の実家に帰られた」
「へえ。……南端って、遠いな」
「けど、珍しいね。爵位を先に継がせるなんて」
「というと?」
「カーライル家は法衣貴族、つまり領地を持たない貴族だ。宰相位を引き継ぎしても公爵位は死ぬまで持ち続けることが普通なんだよ。そうでないと、仕事も家も同時に失ってしまうからね。どうして籍を抜くんだろう。身分も宰相職も失いかねないのに……」
「なにそれ一大事じゃん」
「あのカーライル宰相が無謀なことをなさるとは思えないわ。何かきっとそうせねばならない理由があるのでしょうね」
「……できれば先にその理由を説明してほしいな」
「それは――そうね」
「無理だろう。父上が息子たちを気遣うなんて前例がない」
「に、兄様たちに訊いてみるよ。教えてくださるかは分からないけど」
俺も姉上に訊いてみようかな、と思った後で、もしかしてこれって例の「レリウス侯爵家相続問題」に関わることなんじゃなかろうかと息を呑んだ。
タイミング的にそう思わざるを得ない。
だって姉上は「早急に片を付ける」と言った。きっとどこかで何かが猛スピードで進められているはずだ。
レリウス家の代替わり問題で、どうしてカーライル親子が引っ越すことになるのかは全く分からないが、それこそ「そうせねばならない理由」があるのだろう。
***
レガートとジュリアスを寮の部屋まで送り、パトリシアを女子寮の入り口まで送り、「本日の任務完了」と自分の部屋に帰って来てドアを開いたそこに動く人影があって飛び上がるほど驚いた。
俺は一人部屋だし、戸締りをして出かけるし、何よりアカデミー全体のセキュリティもほぼ万全だ。俺個人を狙う不審者など出ようはずがないと、どこか頭の隅で慢心していた。
俺は騎士ではないが王子様の護衛なのだ。いかなるときも気を抜くべきではなかった。魔杖を握りしめて――、
「――姉上?」
我ながら間の抜けた声が出た。
日が沈む寸前の薄暗い部屋の中、窓辺に腰かけ本を読んでいたらしい不審者が、オレンジ色の空を背景にこちらを振り返った。
「帰ったか、スティーブン」
その声は確かに俺の姉上にして代師様なジュダル嬢のものだった。
安堵の溜息を吐いて、握った魔杖で灯りを点ける。
姉上はサンダルを履いた足をぷらぷらさせながら窓辺に座っていた。相変わらず人間離れした美しさだ。
「驚かせないでくださいよ、姉上」
「おもしろい本を読んでいる」
「ん? ああ。それ書いた先生に直接お借りしたんです」
姉上の手にあるのはギルフォード先生に借りたというか押し付けられた、例の手書きの分厚い本だった。
『魔術によって栄え滅びたケルネルス王朝』。
姉上の言う通り、中々興味深くて面白い内容だ。ただ少々難解でもある。言葉の意味を調べたりしつつ読んでいるので、まだ半分も進んでいない。
「歴史の研究者か?」
「遺跡の発掘調査のほうが専門だと思います」
「なるほど。どうりで“場所”に関する表現は緻密なワケだ」
「興味がおありでしたらどうぞお持ちください。先生には俺から言っておきます」
「いや、いい。ケルネルス王朝に関する記述はほぼすべて夢想と予測に過ぎない。良くできてはいるが、物語として読むことだ。事実は異なる」
ぱた、と表紙を閉じた姉上が窓から飛び降りて机の上に本を戻す。
長い黒髪がひらりと揺れるのを見ながら、俺は思ったままを口にしてしまった。
「ご存知、みたいですね。二百年以上前に滅びた王朝を」
紅い瞳がひたりと俺を見詰める。
あれ。ちょっとまずっただろうか。
「……私とゼフの母は王朝最後の王の一人娘だ」
「え。……えっ?!」
「産み落とされたのは二百五十年ほど前。本来ならば両親のどちらかに温められ一年以内には孵るはずだったが、私たちの母は産んだ卵をその場で湖に投げ捨てた。湖が干上がるまで二百年以上、私は水底でただひたすらゼフを死なせぬよう守っていた」
「た、たまご?! え、二百っ……?」
「戯れに母を犯して孕ませた竜の父も気に入らんが、私たちを殺そうとした母はもっと気に入らない。そのせいだろうな。私は基本的に人間が嫌いだ。ゼフがいなければ、おそらく私は孵化と同時にこの世界を滅ぼしていただろう」
「ひぇっ」
変な声が出た。
にこりと笑ってとんでもないことをおっしゃったお姉様は、おそらく本当に人類を滅ぼすことを躊躇しない。
弟と呼んでいるが、同時に生まれたのならジュダル姉上とギュゼフ兄上は双子の姉弟なのだろう。ギュゼフ兄上がまじめでまともなシスコンだったから、この世界は生き長らえている。
真に重要なのは世界最強の魔術師殿ではなく、その双子の弟さんの存在なのかもしれない。
「――と、まあ、私のことはどうでもいい」
どうでも良くないです姉上。
心臓がばくばくしている。人間、驚きが過ぎると思考回路は鈍るらしい。何を言って良いのかさっぱり分からなかった。
「君の意思を確かめに来た」
「はあ。意思とは」
「ジュリアス・カーライルをどう思う」
「ジュリアス? 良い友人ですが」
「そうか。ならば構わんな」
「えっ、ちょ、待ってください姉上。何が構わないんですか」
姉上の紅い瞳が少々面倒臭そうに瞬いた。
これは教えてもらえないやつだ、と瞬時に覚った俺は別の問いを口にする。
「姉上はジュリアスとお会いになられたことが?」
「見たことはある」
「……お気付きですよね?」
「ほお。これは驚いた。君はなぜ気付いた?」
「なんとなくなんですけど。男じゃないなっていうのは分かるんです。でも女の子とも違う気もしなくもないです」
「ふむ。君のそういった感覚的な部分はパトリシアに勝るな。それは正しい。あの子には性別が無い」
「性別が、無い?」
「ニナカーラという種族名を聞いたことは」
「いいえ」
素直に首を横に振った俺に、姉上は一つ頷いて授業をしてくれた。
曰く。ニナカーラとは北方の雪深い奥地に実在した特異体質を持つ少数民族であるらしい。
個体数が少ないクセに単独で生活する効率の悪い種族だった彼らは、運良く出会った同族と確実に番うため、伴侶が決まってから性別を定めるという特異体質を持っていた。
時代の流れと共に奥地を出て集落を作るようになったことでその体質も徐々に変質し最終的には一般的な人間と変わらなくなっていたが、ごくまれに今もその名残りを受け継いで生まれる子がいるという。
「ジュリアスが、その特異体質だと?」
「カーライル家はニナカーラの末裔。隔世遺伝は今も残るが、体質そのものはすでに絶えて久しい。ジュリアスはかつてのニナカーラのように身体を変化させることはないだろう。つまりあの子は生殖能力を持たない」
「……それは、姉上でもどうにもならないことですか。神殿の性別反転の術式を応用するとか」
「無いものを反転させたところで無いことに変わりはなかろう」
「無からの創造……、魔法の域ということですか」
「ジュリアスの遺伝子を持つ子を生成することは可能だろうが、魔術によって人造された人間は子孫ではなく限りなく複製体に近い。お勧めはしない」
「……――ジュリアスは知ってるんでしょうか。その、自分の身体のこと」
「教わってはいるだろう。――スティーブン、君が悩むことではないぞ」
「……はい」
思った以上に沈んだ自分の声にちょっとだけ驚く。
姉上は俺の頭をわしゃわしゃと撫でてすっと消えていった。
入学式の日、ジュリアスに初めて会ったときに感じた違和感は思った以上に深刻で繊細な問題だった。これはちょっとトリシアに相談するのも憚られるレベルである。
ジュリアスには性別が無い。子どもが持てない。
たぶんそれを理由に結婚しないだろうし、下手をしたら恋人だって作らないつもりでいるかもしれない。
もし仮に。仮にだ。
今後現れるかもしれないヒロインがめっちゃ良い子で、ジュリアスが大好きで、ジュリアスも彼女のことが大好きになっちゃったら。
否。ヒロインでなくとも誰かと想い想われる間柄になったとして、足を踏み出すことなく身を引くだろうジュリアスに、俺はなんと言えばいいのだろう。
せっかく姉上に会えたのに、レリウス侯爵位の継承問題についても、カーライル親子の引っ越し問題についても何も情報を得られなかった。
俺がジュリアスをどう思っているかなんて、一体何に必要な確認なんだ?
何が「構わない」のだろうか。うーむむむ。




