8.初めての返事(セレーナ視点)
私は、子供の頃は普通に声を出すことができた。
ただ、女の子にしては随分と低い声で、しかもどこかひしゃげたように聞こえてて、それが私にとっては密かなコンプレックスだった。
家族や親しい友人たちは「落ち着いた素敵な声だ」と笑って気にしないでいてくれたけれど……。
そんな私が声を出せなくなったきっかけは、ほんの些細なことだった。
『あなたの声ってまるで――――――ですわよね』
それは本人にとっては大したことのない、からかいの一言だったんだと思う。
だけど……そのたった一言で、私の喉はきゅっと塞がり、それ以来、どうしても声が出せなくなってしまった。
それでも家族も友人たちも、声が出なくなった私を責めることなく、そっと受け入れてくれた。
それがどれほど私を救ってくれたか分からない。
やがてメモを使って会話をするようになると、不思議なことに、声を出して喋っていた頃よりもずっと心が軽くなった。
今の私は、昔の何倍もおしゃべりな自信がある。
だけど――どれだけペンを早く走らせても、伝えたいことの全部は伝えきれなくて、もどかしさを感じることも多かった。
そんな私の世界に、ある日突然クライム様が現れた。
王都で会う前から、彼のことは知っていた。
噂に違わない、本当に優しくて完璧な人なんだと思った。
だけど時々、学園でたくさんの人に囲まれている彼を見かけると、ふとした瞬間にひどく寂しげな表情を浮かべているのが、ずっと気になっていた。
普通なら交わらないはずの私とクライム様が、落としたハンカチをきっかけに、今では友達になって交換日記をしようと言ってもらえた。
そんなこと、少し前の私なら想像もできなかった。
自室に戻って扉を閉めた途端、私は胸に抱えていたノートのままベッドに倒れ込んだ。
高鳴る心臓の音が耳の奥でうるさい。
夢みたいに現実感がないのに、腕の中の真新しいノートだけが、これが本当だと教えてくる。
私はベッドから身を起こして、深呼吸をしてから机に向かうと、そっとノートの表紙を開く。
そこに並んでいた文字を見た途端――思わず、ふふっ、と声に出して笑ってしまった。
『これからよろしくね。君と友達になれて、すごく嬉しいです』
書かれていた文字は、少し乱雑で、一生懸命に急いで書いてくれたのが一目で分かるものだった。
普段の完璧な彼のイメージとは違う、等身大の男の子のような文字が、なんだかとても微笑ましい。
他にも、私が貸した本への感想が丁寧に綴られていた。
それから、また別の本も貸してほしいことや、これから文字を通して私のことをたくさん知りたいと思ってくれていること。
私が大切にしていた胸の弾む夢の世界を、彼が同じ温度で大切に受け止めてくれたことが伝わってきて、胸がいっぱいになった。
私はインクペンを手に取ってから考える。
彼に何から伝えよう。
『クライム様。こちらこそ、よろしくお願いいたします』
まずはそうノートにペンを走らせる。
なんだか不思議な感覚だった。
これまでだって声に出しても届けられない私の言葉を、こうして文字に書き起こしてきたのに。
書きたいことが多すぎるのに、いざノートに向かうとペンがぴたりと止まってしまう。
少しでもクライム様に良い印象を持ってもらいたくて、変なことを書いて幻滅されたくなくて、ひどく緊張してしまっているのだ。
だから、別の紙に何度も何度も下書きをしてしまった。
私は時間を忘れて、彼への初めての返事を書き綴った。
そして、翌朝。
昨晩は別の紙に書いては直してを繰り返して、「これだ!」と思える渾身の文章を、夢中になってノートへ清書していたのだけれど……。
落ち着いて改めてそのノートを見てみると、私はさっと血の気が引く思いがした。
どうしよう、書きすぎたかもしれない……。
気づけば二ページにもわたって、私の言葉がびっしりと書き込まれていた。
いくらなんでも、いきなりこんな重たいものを渡したら、クライム様も引いてしまうんじゃないだろうか。
どうすればいいのか分からず、しばらくオロオロと部屋を彷徨う。
そして、やっぱり書きすぎた二ページ分を思い切って破り捨てて、短く無難な言葉で新しく書き直そうと決意して、ノートのページに手をかけようとした、まさにその時だった。
「お嬢様、そろそろ登校のお時間です」
コンコン、と扉を叩く侍女の声に、私はビクッと肩を跳ねさせる。
ああっ、もう時間がない!
どうしよう、どうしようと心の中でパニックになりながら、私はとりあえずそのノートを鞄の中に押し込むしかなかった。




