15.友達
あの中庭で拾い集めた紙片は、すべて大切に上着に包んで持ち帰った。
その夜、僕は自室の机に散らばった無数の紙の破片を前に、徹夜でノートの修復作業に取り掛かった。
少しでも元の形に戻したくて、破片の形とインクの跡を頼りに、パズルを組み立てるように一枚一枚テープや糊で繋ぎ合わせていく。
けれど、ただでさえ手先が絶望的に不器用な僕だ。
綺麗に繋ぎ合わせることなんて到底できず、指先は糊でベタベタになり、紙の端で指を何度か切ってしまった。
「っ……」
夜が明ける頃には、僕の手元には不格好でツギハギだらけの、見栄えの悪いノートが転がっていた。
しかも、懸命に繋ぎ合わせたにもかかわらず、ところどころぽっかりと穴が空いていて、やっぱり紙片が足りない。
だから僕は、翌日の早朝、誰よりも早く登校して再びあの中庭へと向かった。
昨日の風でどこかへ飛んでいってしまったかもしれない残りの欠片を、地を這うようにして必死に探す。
「あの、クライム様……」
植え込みの奥を探していた僕に、恐る恐る声をかけてきた生徒がいた。
振り返ると、そこには昨日のレイトニア嬢と、その取り巻きたちが気まずそうな顔をして立っていた。
「昨日は……その、少し感情的になってしまって。申し訳ありませんでしたわ」
レイトニア嬢が、僕の顔色を窺うように上目遣いで謝罪を口にする。
僕が何も言わずに冷たい視線を向けていると、彼女は焦ったように言葉を続けた。
「クライム様があのようにお怒りになるなんて思わなくて。でも、聞いてくださいませ! あの方は今は喋れませんけれど、昔はヒキガエルみたいな、気味の悪い声で――」
「それ以上は聞きたくない」
静かに、けれど明確な拒絶を込めて言い放つと、彼女たちはビクッと肩を跳ねさせた。
――セレーナ嬢がなぜ声を失ったのか、僕は彼女からまだ何も聞いていない。
けれど、レイトニア嬢が昨日中庭で言い放った言葉を思い出し、なんとなくその理由を察したような気がした。
それでも。
「彼女の口から語られない過去を、君から聞く気はない。それに……謝るのなら、僕ではなく彼女にだ」
それ以上取り繕う言葉も見つからなかったのか、レイトニア嬢たちは顔を見合わせ、気まずそうに後ずさる。
やがて誰からともなく踵を返し、取り巻きたちとともにその場を離れていった。
彼女たちがいなくなった後も、僕は中庭の隅々を探し回る。
だけど、欠片は見つからなかった。
泥だらけの膝を払いながら、自分の無力さを呪う。
セレーナ嬢の傷に寄り添うことも、大切なノートを元通りにすることもできない自分が、ひどく情けなかった。
その時だった。
「あ、いたいた! やっぱりここだったか」
息を切らして駆け寄ってきたのは、友人たちだった。
彼らは僕の前で止まると、僕の胸元に何かを押し付けてくる。
「ほらよ、これ。渡そうと思ってたんだよ」
それを見て――僕は思わず目を見開いた。
「え……?」
彼らの手の中にあったのは、間違いなく、昨日あの風に飛ばされて無くなってしまったはずのノートの欠片だった。
「……どうしてこれを?」
震える声で絞り出すように尋ねた僕に、友人たちは少しだけ気まずそうに顔を見合わせた。
やがて代表するように一人が頭を掻き、ぽつりと口を開く。
「悪い。昨日お前と別れたあとさ、やっぱ気になって、後を追ったんだよ。そうしたら中庭で揉めてるのが見えてさ」
そこでいったん言葉を切ると、別の友人が肩をすくめながら続けた。
紙が風に飛ばされていくのも見えたこと、けれど昨日の様子ではとても声をかける隙がなく、茂みの方まで飛んだ紙片だけでも拾おうと、みんなで手分けして探してくれていたのだ。
そして、拾ったものを渡そうと思ったけど、今朝教室にいなかったから僕を探していたこと。
友人たちは、なんてことのないように笑いながら、
次々と小さな紙片の束を僕の手に握らせた。
震える僕の指先に乗せられた紙片は、どれも昨日の土と風の気配をまだ残しているようだった。
僕一人では見つけられなかったものを、彼らは事情を聞くこともなく、何事もないような顔で差し出してくる。
そのことが、どうしようもなく胸に迫った。
昨日、僕は彼女のために何一つまともにできなかった。
ただ立ち尽くして、一番欲しかった言葉すら渡せなかったのに。
そんな情けない僕を、何も相談できなかった僕を彼らは責めもせず、当たり前みたいな顔で助けてくれる。
「……僕はさ、みんなが思ってるような人間じゃないんだ」
自分でも驚くほど、言葉はするりとこぼれた。
止めようとしたのに、一度口をついて出た本音はもう引っ込まない。
「全然完璧なんかじゃないし、みんな僕を優しいって言ってくれるけど、本当はそんなこともなくて。……それに昨日だって、見てただろう? ノルベルト嬢を慰めることもできなかった。ただ傍にいることしかできなくて、何もできない情けない人間なんだ」
僕の言葉に、友人たちは一瞬だけ目を丸くした。
けれど、すぐに誰かが小さく息を吐いた。
「俺たち、別にお前が完璧だからつるんでるわけじゃねえよ。お前といるのが普通に楽しいから、ずっと一緒にいるだけだし」
軽い調子の言い方だったけれど、そこに嘘はなかった。
すると別の二人の友人もうんうんと頷く。
「そうだよ。あと、アランは優しいと思うよ」
「ああ」
だけど僕はそれを否定するように首を横に振る。
「それは違うよ。僕は……ノルベルト嬢とは違う。誰かに手を差し伸べる時だって、いつでも打算まみれで――」
「それの何が悪いんだよ」
「え……」
思わずそう言った僕に、声を上げた友人は肩をすくめるようにして続けた。
「お前が何を考えて動いたにしろ、結果的に誰かを助けてるならそれで十分だろ。本当に優しくない奴は、そもそも手なんか伸ばさねえよ」
ぶっきらぼうな口調だったけれど、その顔はどこか笑っていた。
別の友人が、いつも以上に穏やかな声で続けた。
「アランはさ、何でも一人で抱え込んで、勝手に答えを出そうとするだろう? 頼りないかもしれないけど、話くらいは聞けるし、手伝えることだってある。だから、困った時はちゃんと頼ってよ」
最後にもう一人が、淡々と、だけど優しい声で言った。
「だから、次は一人で抱え込むな。……友達だろ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが、少しずつほどけていくのを感じた。
――僕はずっと、自分の中には見せられるものなんて何もないと思っていた。
けれど、そんな僕でも、こうして手を差し伸べてくれる人たちがいた。
完璧じゃなくても、情けなくても、それでも友達だと言ってくれる人たちが。
その事実が、どうしようもなく胸に沁みた。
「……ありがとう、アーク、レックス、ロイド」
すると真っ先にアークが、
「おい、急に殊勝になるなよ。そういうの調子狂うだろ」
と照れ隠しみたいに笑った。
隣でレックスは困ったように目を細めながら、穏やかに笑う。
最後にロイドがいつもの淡々とした顔のまま、
「礼を言う暇があるなら、次は最初から頼れ」
と短く告げた。
僕は涙ぐみそうになるのを必死に堪えながら、
「ああ、そうするよ」
と力強く頷いた。
胸の奥にはまだ熱いものが残っていたけれど、今は立ち止まっている場合じゃなかった。
手の中に握りしめた、彼らが集めてくれた最後の欠片。
すぐにでも持ち帰って、あのノートを繋ぎ合わせたい。
けれど、もうすぐ朝の授業を知らせる鐘が鳴る時間だった。
「……そういえば、今日ノルベルト嬢はお休みみたいだよ」
ふと、レックスが思い出したようにそう告げた。
その言葉に、僕は心臓が嫌な音を立てるのを感じた。
昨日の出来事が原因で、体調を崩してしまったのかもしれない。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。
普段の僕なら、どれだけ焦っていても授業を優先しただろう。
けれど今は、一秒でも早くこのノートを繋ぎ合わせて、彼女に届けたかった。
とはいえ、無断で授業を抜けるなんてしたことがない。
一瞬だけ躊躇いかけた僕の心を、アークの明るい声が吹き飛ばした。
「たまにはいいんじゃないか?」
「え……?」
「今日アランはひどい体調不良で欠席するって、先生には俺がうまく言っといてやるよ。優等生だって、たまにはサボりたくなる時もあるだろ」
アークがニッと悪戯っぽく笑い、レックスも「任せておいて」とウインクをする。
「……っ」
これまで守り続けてきた『完璧なアラン・クライム』の殻に、大きなひびが入るのを感じた。
「……早く行け」
最後にロイドが、いつも通りの淡々とした声で僕の背中を押す。
「ごめん、恩に着るよ!」
僕は鞄を力強く抱え直すと、踵を返す。
とにかく今は、一刻も早くこの手にある宝物を繋ぎ合わせて、彼女に届けに行きたい。
友人たちに見送られながら、僕は朝の光に包まれた中庭を全力で駆け出した。




