[3-22] 自然の摂理
「今更、リリアに隠し事をしろっていうのか?」
これからする話はリリアに聞かれたくないと言うのは、当然これからする話はリリアが知らない内容であり、この後もリリアには話すなという事だろう。
言い換えるならばリリアに隠し事をするという事だ。
露骨に不快感を露わにしたオリバーに対して、ヴァネッサは面倒くさそうにこう言った。
「多分にーさんは誤解してると思うけど、まあ、いいや。話が進めば分かるよ」
ヴァネッサの言っている事は具体性に欠け、何が言いたいのかオリバーには分からなかった。
「何が分かるっていうんだ?」
話が進めば分かるという事は、ギルスの魔術の正体は、リリアには知らせない方が良いという結論になるのだろうか。
「話を戻すと、にーさんの予想通り、そのベッドに何か仕掛けがあるっていうのは嘘だよ」
オリバーの疑問を無視して、ヴァネッサは話を戻し、あっさりと先ほどの話がただの嘘である事を認めた。
それはオリバーの予想通りだ。何故そんな嘘を付いたのかも聞きたいところだが、今は先に話を進める事にした。
「じゃあ、ギルスが寝てたっていうのも嘘か?」
本命の話はこちらだ。ギルスが寝ていたかどうかこそ、今知る必要がある情報だ。そしてこれもまた、あっさりとヴァネッサは話した
「帽子は寝てたっていうのは本当。ずっとじゃないけど、寝る前に相手と連絡を取るような事もしてなかった。だからにーさんが森に行ってた間に連絡を取ったっていうのはナシ」
つまり、ギルスはこの隠れ家に着いてからフィアンセに連絡を取っていないという事になる。
「じゃあ一体…」
今日の朝ガヌラスの村を出発してこの隠れ家に着くまで、ギルスがフィアンセに連絡を取るような素振りは見せていなかった。
もっとも、今夜治療を行うと決めたのはオリバー達がこの隠れ家に戻ってきてからである以上は、それよりも前にフィアンセに連絡していたとしても、今夜治療を行うという事が伝えられない。果たしてあのフィアンセは今夜治療を行うという事を知っていたのだろうか。
「信じるんだ? あたしの言葉」
とはいえ、それはヴァネッサの証言が事実であればの話である。ヴァネッサの言った事を信じたオリバーに対し、ヴァネッサは疑わない事を不思議がっているようだ。
「当たり前だろ」
ヴァネッサのその言い方は、ヴァネッサの発言を疑って欲しかったと言っているようにも聞こえるが、オリバーはヴァネッサが本当の事を話しているという前提で、ギルスがいつ連絡を取ったのかを考える。
手掛かりがあるとすればあの門の向こうの風景だろうか。あの門の向こうの風景は部屋の中のように見えたが、内装が似ているというよりは同じだったと言ってもいいだろう。
「なあ、エルフって隠れ家をいくつも持ってたりするのか?」
この家と同じ内装で作られた家が、どこかにあるという事なのだろうか。
「それはエルフに聞いて」
そこまではヴァネッサも知らないと言う事か。そうなるとやはり最初の疑問がギルスの隠し事を暴くカギになるのだろう。
「俺達に分からない様に、連絡を取るような魔術があるのか?」
オリバーは魔術には疎い。もしかするとオリバーが知らないだけで、そのような方法があるのかもしれない。
「あたしは聞いたことないね」
どうやらこれはヴァネッサが望む模範解答ではないようだ。
「それだと相手に今日のいつ魔術を使うかを教えてないのに、向こうはこっちが魔術を使った事に気が付いたって事か?」
あの魔術は二人一組で使う魔術。ギルスが魔術を使った事を知らなければ、相手も同じ魔術を使おうとはしないだろう。もしもギルスが今日あの魔術を使う事を、フィアンセに伝えていなかったとしても、相手はギルスが魔術を使った事に気が付いたという事なのだろうか。
「そうなるね」
ヴァネッサはこの仮説を否定しなかった。
「まさかずっと待ってたのか」
オリバーはギルスがマリルに対して連絡を取っているのを見た事がない。仮にオリバー達に会う前に最後に連絡を取っていて、その間ずっと待っていたとすればギルスがあのタイミングで魔術を使っても応える事は可能だ。
「今日一日ずっと寝ずに待ってた? そんな事が出来ると思う? にーさんでもそんな事は出来ないよね」
ギルスがオリバー達の見えない所でフィアンセに連絡を取っていたと仮定しても、それが出来る最も近いタイミングは今日の朝だ。つまりガヌラスの村を出る前で、オリバー達が寝ている早朝に連絡を取った事になる。だとしても、それから一日中フィアンセはギルスが魔術を使う事を待ち構えていた事になる。
それはあり得ない。いつ来るか分からないのに、ずっと魔術が使える状態で待ち続けるなど。しかも相手は重病人だ。一日中ずっと寝ずにギルスからの連絡を待つことなど不可能だろう。
となると、マリルはギルスからの連絡が無かったにもかかわらず、ギルスが魔術を使った事を察知したと言う事だろうか。
そして、ある事に気が付く。
「今、深夜だよな」
もうとっくに日は落ちている。
「そうだね、こんな真夜中に使ったのに向こうは応えたね」
そう、オリバー達は空賊の襲撃に備えて起きていたのだが、普通この時間帯は寝ている。エルフであるギルスですら、昨日は普通にガヌラスの村で睡眠をとっていた。エルフだから数日間起きていられるなどという事は無い。エルフといえど、人間と同様に、夜は寝る生活リズムがある。にも関わらずマリルは起きていて、ギルスの魔術に応えた。そしてさらにもう一つ。
「向こうの景色、昼じゃなかったか?」
あの門を開く魔術の影響で、室内には光と暴風であふれていた。あの光は門から放たれていたというのもあるだろうが、そう考えたとしても、門の向こう側は明るかった。こちらが深夜なのにも関わらずだ。
「そうだね」
これにも気が付いていたのかヴァネッサは驚かなかった。このオリバーの予想があっているとしたら考えられる事は一つしかない。
「こっちと門の向こうは時間がズレている?」
遠く離れた場所であれば、時差が出る。それはオリバーも知っているが、そもそも病気のフィアンセを時差が出るほど遠くに残してくるというのが、おかしいのではないか。
先ほど答えの出なかった別の疑問がこの疑問を説くヒントになった。即ち門の向こうの景色はこの隠れ家と一致していた事も鑑みれば、答えは一つしかない。
「門の向こうもこの隠れ家だったのか?」
内装が一致していたのは、同じ建物がもう一つあったのではなく、同じ建物であったとすれば説明が付く。
「じゃあ門の向こうが昼だったのは?」
これがヴァネッサの望んでいた模範解答に近かったのかもしれない。驚く様子は無く、ただ先を促してくる。
「それは、今とは違う時間帯の、この隠れ家だったって事か?」
あの魔術が、場所は同じで、違う時間帯へと繫ぐ魔術であれば、二つの疑問が同時に解決する。さらにヴァネッサが言った「ギルスは場所と場所を繫ぐ魔術で、フィアンセを助けるとは言っていない」という点との不整合も無い。
「そうだね。時間が違うなら向こうが昼なのは説明が付くね」
そう、この説であれば様々な点に説明が付く。だがヴァネッサの顔には、まだ足りないと書いてある。そしてそれが何か、オリバーもここまでくれば理解していた。
もう一つの疑問。何故ギルスがマリルとオリバー達を直接合わせようとしなかったのか。その理由もこの理論が正しければ説明が付く。
「マリルはもう、死んでいるのか?」
ギルスはマリルを治療すると言ったが、そのマリルは遠い場所に居ると言ってオリバー達には一度も合わせようとしなかった。それは、合わせようとしなかったと言うよりも、死んでいるから合わせる事が出来ないと言うのが真実ではないのか。
「あたしもそう思うよ」
それが、ヴァネッサが考えていた模範解答と一致したようだ。
マリルは既に死んでいる。だから、過去と門を繫ぎ、生きているマリルの魂を、今の時間軸に持って来た。それがあの治療の正体。
「それだと、リリアは何も気が付かずに手伝いをしていたのか?」
リリアも恐らくはオリバーと同じで、治療に使った魔術は場所と場所を繫ぐ魔術だと思っているだろう。
「ねーさんは開いた門を開いた状態にしただけで、開けたのはギルスだよ。まあ、手伝ったって事に変わりはないけど、ねーさんがあの魔術の正体に気が付いているとは思えないね」
ヴァネッサもまた、リリアはこの事に気が付いていないと考えているようだった。
また、場所を繫ぐ魔術を教えるのではなく、開いた状態を維持するというやり方にも少なからず違和感があった。手伝いの報酬が、「ギルスにいつでも場所を繫ぐ魔術を使わせられる」という条件であったため、ギルス以外の者が場所を繫ぐ魔術が使えるようになってしまったら、報酬の価値が下がるというのは分かってはいたが、だからといって重病のフィアンセに場所を繫ぐ魔術を使わせるよりも、リリアがフィアンセのいる場所に行って代わりに魔術を使った方が安全なのではないかという疑問はあった。
しかしそれも場所を繫ぐ魔術ではなく、本当は時を繫ぐ魔術を使う事を想定したのだとしたら、リリアに魔術を教えるのではなく、開いた門を維持させるという方法を選んだのも納得がいく。
「ヴァネッサは、気づいてたのか?」
オリバーの声には不思議と苛立ちが募っていた。
今までのヴァネッサの態度からして、ヴァネッサがこの事を分かっていた上で、何もせずに見ていたというのは疑いようがなかった。
それでも、オリバーはヴァネッサの口から直接真相を聞きたかった。
「今、『騙された』って思った?」
オリバーの苛立ちに気が付いたのか、ヴァネッサが煽るような言葉を放つ。それでいて、ヴァネッサの声色は今までと変わらず平静を保っている。
「分かった上で、止めなかったのか?」
質問に答えようとしないヴァネッサに対して、オリバーが再度同じ内容の質問をする。
その露骨に苛立ちが込められた声で、オリバーが騙されたと思っている事は明らかであった。
その苛立ちの対象は、元を正せば真実を伏せていたギルスに対して向けられた感情ではあったが、その真実に気が付いた上で何もしなかったヴァネッサにも、同様の苛立ちをオリバーは感じていた。
それでもオリバーが確かめようとしているのは、ヴァネッサがどの時点で気が付いたのかがまだ分からないからだ。もしもあの魔術を使ったあとに、真実に気が付いたと言うのであれば、止めなかったのは仕方がない。
そんなオリバーの考えを否定するかのような言葉をヴァネッサは言い放った。
「あたしには止める理由がない。だから止めなかった」
ヴァネッサははっきりと、分かった上で止めなかったと断言した。
「止めるべきだった」
一方のオリバーはあれはやってはいけない行為であったと、自分が知っていたら止めていたと考えていた。
「どんな理由で? 法律を破った? ギルスがどんな罪を犯したの? 話が違うっていうのはあるかもしれないけど、契約書を作った訳じゃ無い。ただの口約束だよ。それを法律で裁けると思ってるの? それに、死者蘇生ができるって分かったら喜ぶ人間の方が多いんじゃない。まあ、あの二人じゃないとできない芸当だと思うけど」
門を使う以上は、ギルス一人ではできない。向こう側にいる人物の協力が必要であり、その人物もまた門を使う魔術が使えなければならない。そう考えるとこの魔術の汎用性は低い。少なくとも、今はギルスとマリルの二人が揃わないと出来ない魔術だ。
しかし、汎用性が低いからと言ってもそれでも死者を蘇らせるというのは許されるのだろうか。
死者は生き返らない。それは常識であり、普遍的な事実だ。しかし死んだ者を生き返らせたいと思う者は多い。かつてオリバー達に倒されたガエラという男もその内の一人であったが、彼の望みは実現しなかった。
なぜなら彼は死霊術と言う死者を冒涜する魔術に手を染めた結果、お尋ね者となり、自らの望みをかなえる前にオリバー達に討伐されたからだ。
「自然の摂理に反する事は許されない」
それは一般的に死者蘇生を否定する者が良く口にする理論だ。生きる者はいつか死ぬが、死者が蘇ることは無い。それが自然の摂理。死があるからこそ、生には価値がある。だからこそ、それを覆してはいけない。
「自然の摂理ってなに?」
だがヴァネッサはその答えでは満足しないようだ。
「それは自然界で起こる事だろ」
自然の摂理。そこまで難しい言い回しだろうか。言葉の定義に対して説明を求めてきたヴァネッサに対し、オリバーは特に難しく考えず、別の言い方をしたが、ヴァネッサが聴きたかったのはそういう事では無かったようだ。
「魔術を使うのはいいの?」
人間の中にも魔術を忌み嫌う者は一部存在する。そのほとんどは本人が魔術が使えない事による嫉妬からくる否定であり、人間全体で言えば、魔術の使用は賛成する者の方が多い。オリバーもまた魔術の使用自体を否定するつもりはない。
「魔術は、自然の一部だろ」
魔術は人やエルフといった魔術が使う者がいる事で発動する魔力を原動力とした現象だ。それを自然の摂理に反する現象だとは思っていない。
例えば魔術は、魔力を使って火を起こす。火を起こすこと自体は自然でも起こりえる事だ。術者が魔力を使って意図的に火を起こしたところで、それが自然の摂理に反する現状だと思う者は居ないだろう。
「だったら、ギルスのやった事も魔術でできる事の範疇なんだから、自然の摂理に反する事にならないよ」
ギルスは治療で、時を繫ぐ魔術と、魂を引き抜く魔術を使った。どちらも魔術である事に代わりはない。魔術が自然の摂理の範囲内だと言うのであれば、あの治療もまた魔術である以上、自然の摂理の範囲内。それがヴァネッサの考え方のようだ。
確かにそう言われてしまうと、何故自分がギルスの行動に対して苛立ちを募らせていたのか、よく分からなくなってしまう。
だからといって、ギルスに対する苛立ちが無くなったわけではない。オリバーの中にその感情は確かに存在していた。それが何だったのか、オリバーは改めて自問自答をし、その答えを見つける。
「でも死者を蘇らせるのはダメだろ」
魔術を使った事は問題ない。問題があるとすれば、死んだエルフを蘇らせた事だ。
「どうして?」
すかさず、ヴァネッサがその理由を問い質す。
「どうしてって、それはうまく説明できないが…」
死者を蘇らせるのはいけない事だとは思っている。しかしその理由を説明しろと言われると言葉にならない。倫理的な、死んだ者は生き返らないと言う漠然とした理由しか思い浮かばないからだろうか。
言葉につまるオリバーに対して、ヴァネッサが煽るような言葉を続ける。
「死にそうになってた女騎士を助けてくれって言ってたくせに、死者を蘇らせるのはダメなんだ」
それは昼間の出来事を言っているのだろう。空賊に襲われて瀕死になっていたミランダを発見したオリバーは、ヴァネッサとリリアに助けて欲しいと懇願した。結果的にミランダはリリアに助けられたが、それが悪い事だとはオリバーは思っていない。
「当たり前だろ」
あの時オリバーはミランダに死んで欲しくないと言う思いがあったが、それを死者を蘇らせる行為とは同列に語って欲しくなかった。
「死者を蘇らせるのと、瀕死の人間を治療するのはどう違うの?」
その漠然とした考えに、ヴァネッサはどう違うのか説明を求めてきた。
「全然違う」
それもまた言葉にするのは難しかったが、その二種類の行為を同列に語る事は間違いだという結論だけは、オリバーの中ではっきりとしていた。
「どこが?」
それでもヴァネッサは、その違いをはっきりと具体的に言葉にして説明する事を求めているようだ。
蘇生と治療がどう違うかなど説明がいるのだろうか。オリバーにとっては当然の事実であったが、当然の事実であればあるほど、それを分かっていない者に分かりやすく説明するのは難しい。
「瀕死の人間はまだ死んで無い。生きてる人間を助けるのと、死者を蘇らせるのは全然違う」
生きた状態の人間の怪我を治療する事と、死んだ状態の人間を生き返らせる事は、全く違う話だと、オリバーは考えていた。
「そうかな? 瀕死の人間だって放っておけば死ぬんだよ。死者になる事を防いでるっていう意味では大して変わらないよ」
しかしヴァネッサはその考え方を否定する。瀕死の人間は死に近い存在であり、死から遠ざけると言う意味では、死者蘇生と変わらない。それがヴァネッサの考え方だ。
「それは屁理屈だ」
オリバーにとってはヴァネッサの言っている事は納得できなかった。死者になる事を防いでいるから蘇生と治療が同じというのはとても受け入れられない。
「どこが?」
生者は生者、死者は死者。そこには大きな隔たりがある。生者を助ける事と、死者を生者にする事は全くの別物だというオリバーの認識だ。その大前提を大して変わらないと言われてしまったら、どこが屁理屈かを説明するのは難しい。
答えに窮するオリバーを見て、ヴァネッサは言葉を続ける。
「答えられない? そうだよね。にーさんが怒ってるのはそこじゃないもんね」
確かにオリバーは、ギルスの取った行動に苛立ちを感じている。それは怒りと言ってもいいだろう。しかしそれは死者蘇生を行ったからではないとヴァネッサは言い始めた。
「どういう事だ?」
予想外の話を始めたヴァネッサに困惑するオリバーであったが、ヴァネッサが何を行こうとしているのか興味があるのもまた事実だった。
「にーさんが怒ってるのは、死者蘇生じゃなくて、過去改変の方でしょ」
そう言われて、不思議とオリバーは納得がいってしまった。オリバー自身、今感じている感情の根本が何であるのかはつかめずにいたからだ。そこにヴァネッサが答えを示した。
オリバーが感じている感情の原因は、死者を蘇らせた事が原因ではなく、過去を変えた事であると。何も言い返せず、自分の気持ちに困惑しているオリバーに対してヴァネッサは言葉を続ける。
「だって帽子がフィアンセを蘇生したところで、にーさんは何も困らないよね。困るとしたら過去を変える事。だってその影響で何が起きるかわからない。もしかすると自分の不利益になる可能性がある。だから怒ってる。そうでしょ?」
ギルスがマリルを蘇生してもオリバーは困らない。それは否定できない。
ギルスが過去を変えたとしたら、その影響で何か起きるか分からない、これも否定できない。
「違う」
理屈では、ヴァネッサの言っている事は、間違っていないと、そう感じていた。それでもヴァネッサの言葉をオリバーは反射的に否定していた。
自分に悪影響があるかもしれないという理由で、他人を助ける事を否定する。それはあまりにも身勝手な意見に聞こえた。それが自分の意見だと認めたくなかった。
「じゃあ、どうして死者蘇生がダメか説明できる?」
そうなると、当然この疑問に戻ってくる。ギルスがマリルを蘇生する事を一体何故否定するのか。
「それは、さっきも言っただろう。自然の摂理に反する」
オリバーは先ほど言った言葉を繰り返す。それは逆に言えば、他の言葉が見つからない事を意味している。
ヴァネッサの言葉に納得しかけたが、それでも、死んだ者が生き返るというのは自然の摂理に反している。それを認める事はやはり間違いだと考えていた。それがギルスに対する怒りとは別だとしても、死者蘇生を認めるのは間違っている。そう思いかけていたオリバーに対して、ヴァネッサは最も効果的な言葉を投げかけた。
「じゃあ、腕を生やすのは良いの?」
その言葉は、とても鋭利な刃物のようだった。深く刺さり抜く事ができない。まるで致命傷を負わされたかのように、オリバーは動く事が出来なかった。
オリバーは切断された腕を、リリアに再生されて一命をとりとめた。それもまた、自然の摂理に反しているのではないか。
言われてみればその通りであり、否定できない。
何も言えないオリバーに対して、ヴァネッサはさらに突き刺さった鋭利な刃物を捻って傷口を抉るような言葉を放った。
「さっきの言葉、ねーさんの前でも言える?」
それでようやく、オリバーは自分が言った事の意味を理解した。同時に何故先ほどヴァネッサが、ここにリリアが居ない方が良いと言ったのかも。
空賊がこの隠れ家を襲ってくる前に、オリバーはリリアに対して、腕を治してもらった事を感謝していると言った。命の恩人だと思っていると言った。
自分の腕はリリアの再生スキルによるものであり、通常の治療方法では無かった事はよく知っていたはずだ。
それなのに、死者蘇生を目にしたら、「自然の摂理に反するものは許せない」等と言ってしまうのか。それがどれほど自分勝手な考え方なのか、オリバーはようやく気が付いた。
自分の言った事と、自分の立ち位置をようやく理解したオリバーではあったが、まだ動揺の渦中にあり、ヴァネッサにかける言葉が見つからない。そのオリバーに対して、ヴァネッサは容赦なくオリバーが先ほどまで言っていた言葉の意味を突きつける。
「その腕切り落として、自然の摂理にあった姿に戻した方が良い?」
抑揚のない凍てついた声。とても冗談を言っている口調ではないが、同時に怒っているようにも見えない。
オリバー自身が言った事だ。自然の摂理に反する事は許されないと。だからこそオリバーはこのヴァネッサの言葉を否定する事ができない。
死者蘇生は自然の摂理に反する。その理屈で言えば、魔族のスキルもまた自然の摂理に反する。人間には実現不可能な奇跡をやってのける魔族特有のスキル。それを否定するのがどういう事か。
リリアによる腕の再生を否定するのであれば、オリバーは再生された左腕を返上しなければならない。
「ま、そんな事しても、あたしには何の得にもならないから頼まれてもやらないけどね。でも、スキルで助けられた人間が、スキルを否定するの?」
オリバーとしても、ヴァネッサの先ほどの言葉は本気ではないと、頭のどこかでは思っていた。それでも、その言葉を聞いて安心してしまう心の変化を、オリバーは感じていた。
オリバーは一度リリアのスキルで命を取り留めている。あの時リリアが居なかったらオリバーは間違いなく死んでいた。そのオリバー自身が魔族のスキルを否定するというのは、あの時死んでいた方が良かったと言っているようなものだ。
「スキルを否定するつもりはない」
今でもオリバーとしてはリリアの治療には感謝しており、リリアが治療した事を否定するつもりは無かった。
魔族が持つ再生スキルは、人間の人体が生まれながらに持っている自己再生能力を超える、失われた腕の復元を可能にした。それをオリバーは否定するつもりはない。
「じゃあ魔術による過去改変はダメで、魔族のスキルによる治療はいいって事?」
言葉にしてしまえば、あまりにも自分勝手な言い分に聞こえる。何が許されて何が許されないのか。その境界線はあまりにも曖昧だ。とはいえ、今のオリバーにこのヴァネッサの言葉を否定する事は出来なかった。
「そうだ」
そういったオリバーにとって自分自身があまりにも利己的に思えるのは、自らが魔族のスキルで助かった経験があるからだろうか。そのオリバーの考えを見透かしたように、再びヴァネッサは理由を問う。
「どうして? スキルは良くて魔術はダメ? 今後あたしが治癒魔術を使うのは辞めた方がいい?」
魔術が許されないという事は、当然治癒魔術も許されないという事になる。
「治癒魔術を否定したんじゃない。魔術自体を否定するつもりもない」
オリバー自身ヴァネッサの治癒魔術には何度も助けられており、ついさっきもヴァネッサに血を分けた後に、その傷口を治癒魔術で塞いだばかりだ。
「じゃあ、過去改変だけがダメって事でしょ?」
結局その質問に戻ってくる。何故自分はギルスの行為が許せないのか。魔術を使った事よりも、自分に隠し事をしていた事よりも、過去改変をしたという事が一番の理由になっている。
「そうだ。魔術がダメなんじゃない。過去改変はしてはいけない事だ」
誘導されているような気もするが、それ以外の答えは見つからなかった。
「どうして? 自然の摂理に反するっていうのはナシだよ」
当然のように、理由を聞かれる。
そう言われるとなかなか答えが出てこない。
もう一度前提を考える。過去改変は本当にしてはいけない事なのか。改めて考えてみるが、結論は変わらない。過去改変はしてはいけない。その前提が崩れることは無い。しかしそれはあまりにも当然の事であり、その理由はと聞かれると、丁度良い言葉が見つからない。またしても言葉が出てこないオリバーに対して、ヴァネッサが言葉を続けた。
「代わりにあたしが答えようか。さっきも言ったけど、にーさん自身に悪影響があるかもしれないからでしょ?」
確かに先ほど、ヴァネッサはそんな事を言っていた。
「それは違うと言っただろ」
先ほどはそれを言われた直後、オリバーはその意見を否定し、ヴァネッサはそれ以上その意見を主張しなかったが、今度は何故ヴァネッサがそう思っているのかを説明し始めた。
「過去を変えたら、何が変わるか分からない。その結果今の自分が自分でなくなるかもしれない。にーさんにとって悪影響になるかもしれない。だから過去改変が許せない。そうでしょ?」
過去を変えたら、今がどうなるか分からない。それは理屈としては正しい。当然オリバー自身がどうなるかも分からない。それもまた理屈としては正しい。しかし、オリバーが過去改変を許せないと思っているのは、そんな理由だからではない。
「違う。少数の意思で、過去を変えるなんておかしい。大多数に影響が出るかもしれないんだぞ」
今回ギルスは、個人の意思で過去を変えた。ルーベルもグルかもしれないが、それでもオリバー達三人にはそれを知らせなかった。今この隠れ家に居る五人の内、二人という少数派。それが過去を変えるという選択を選んだ。
その結果五人がどうなるか分からないにも関わらずだ。もちろん、過去を変えたのであれば今この隠れ家にいる五人以外にも影響があるかもしれない。それをギルスは実行した。
自分だけの都合で、自分にとって不利益な物を否定する。オリバーは自分がそのような考え方をしているとは思いたくなかった。自分の考えは、国民全体の安全を守る事を指標にしていると、お尋ね者になった今でもそうあるべきだと考えていた。
「過去を変えるのがそんなにいけない事? にーさんだって変えたい過去の一つぐらいあるんじゃないの?」
予約掲載設定を一週間誤っていました。申し訳ありません。
次話は12/2に投稿予定です。