第3話 最初の友人
教壇から「グループワーク」という言葉が聞こえた瞬間、要は先日のことを思い出した。
「では、今から四人程度のグループを作ってください。近くの人同士で構いません」
要は小さく息を吐いた。
またか。
前回は四人組だった。最初に少し話したあとは、一人が「任せた」とでも言いたげに黙り、もう一人はスマートフォンを触り始め、残った一人も曖昧に笑っているだけだった。
結局、提出する内容をまとめたのは要だった。
別に、難しい課題ではなかった。
だからこそ余計に面倒だった。
今回の講義室でも、椅子を引く音があちこちから聞こえ始める。すでに顔見知りができている学生たちは、迷うことなく近くの席へ集まっていた。
要は机の上の資料へ目を落とした。
今回も、近くの誰かと組むことになるのだろう。
「なあ、そっち何人?」
声をかけられて顔を上げる。
通路を挟んだ隣の席にいた男子学生が、こちらを見ていた。
「一人」
「俺も一人。じゃあ二人だな」
勝手に足し算を終えた男は、椅子ごと少しこちらへ寄ってきた。
人懐っこそうな顔をしている。
「あと二人くらいか」
「四人程度って言ってたから、三人でもいいんじゃないですか」
今度は後ろから声がした。
振り返ると、女子学生が資料を持って立っている。
「私も入っていい?」
「もちろん。これで三人」
男は即答してから、要を見る。
「いいよな?」
「あぁ」
「よし、決まり」
要の返事を待つ意味があったのかは分からない。
三人で机を寄せると、教員がスクリーンに課題を表示した。
今日の講義で扱った内容について、三つの問いに対する意見をまとめ、最後に代表者が簡単に発表するらしい。
要は配られた用紙を見た。
面倒ではあるが、十分もあれば終わる内容だ。
「じゃあ、まず一問目からでいい?」
先ほどの男が言った。
「俺、斑鳩康平。名前分からないと呼びにくいし」
「あ、高梨千織」
二人の視線が要へ向く。
「八神要」
「八神な。よろしく」
康平はそれだけ言うと、すぐに課題へ視線を戻した。
「一問目、講義で出た例をそのまま使えばいいんじゃないか。ここ」
資料の該当箇所を指で示す。
要は少しだけ意外に思った。
もっと雑談から入るタイプかと思っていた。
「その例だけだと、二問目と内容が重ならない?」
千織が横から言った。
「ほんとだ」
「一問目はこっちの例にして、二問目でさっきのを使ったほうが分けやすいと思う」
「じゃあ、それでいこう。八神は?」
急に振られ、要は二人が指している箇所を見比べた。
「それでいいと思う。三問目だけ、結論につながりにくいから順番変えたほうがいいかも」
「どこ?」
要が資料を引き寄せ、該当箇所を指す。
「先にこっちを出して、そのあとに理由を置いたほうが分かりやすい」
康平は数秒考えたあと、頷いた。
「確かに。じゃあ八神、それ書いてくれる?」
「分かった」
要は用紙に要点を書き込んでいく。
その横で、康平と千織は次の問いについて話していた。
しばらくして、要はペンを止めた。
前回とは違うな。
いや、これが普通のはずだ。
三人で課題をしている。それだけだ。
康平は自分で資料を読み、千織は話の抜けを見つけ、要が書いている間も二人で次を進めている。
誰もスマートフォンを触っていない。
誰も黙ってこちらを見ていない。
当たり前のことしか起きていない。
それが、前回と比べると妙に新鮮だった。
「八神?」
呼ばれて顔を上げる。
「何」
「いや、止まってたから」
「ちょっと考えてただけ」
「ならいいけど。三問目、これでどう?」
康平が資料を差し出してくる。
要は目を通した。
「いいんじゃない」
「雑だな」
「ちゃんと読んだ」
「ほんとか?」
「読んでたよ」
千織が横から口を挟んだ。
「斑鳩くんが渡す前から見てたし」
「高梨、よく見てんな」
「近いから見えるだけ」
そう言いながら、千織は用紙の端を指した。
「あと、ここ。一文字抜けてる」
要は自分の書いた文字を見る。
本当に一文字抜けていた。
「……よく見てる」
「でしょう?」
千織が少しだけ笑った。
そのあとは特に揉めることもなく、課題は時間より早くまとまった。
問題は最後だった。
「では、各グループから一人ずつ発表してください」
教員の声が響いた瞬間、康平が要を見た。
要も康平を見る。
千織は二人を見る。
三秒ほど、誰も口を開かなかった。
「……こういうときだけ黙るんだな」
要が言うと、康平が笑った。
「八神もだろ」
「俺は最初から喋りたいとは言ってない」
「私も」
千織まで平然と続ける。
「じゃんけんする?」
「大学まで来て?」
「公平じゃん」
康平が右手を出した。
要は一瞬迷ったが、他に決め方もない。
三人で小さく拳を構える。
「最初は――」
「そこからやるの?」
「高梨、細かいな」
「早くして」
結局、負けたのは康平だった。
「なんで俺なんだよ……」
「公平だったな」
「八神、急に機嫌よくなってない?」
「気のせい」
康平は納得していない顔のまま前へ出ていった。
発表自体は短いものだった。康平は途中で一度言葉に詰まったものの、要たちがまとめた内容をほぼそのまま説明し、無事に席へ戻ってきた。
「終わった」
「お疲れ」
「他人事みたいに言うなよ」
そう言いながらも、康平は笑っていた。
講義が終わり、学生たちが一斉に立ち上がる。
要も資料を鞄へしまった。
今日はこのあと、むすびの杜へ行く予定だ。
「八神、このあと講義ある?」
康平が声をかけてきた。
「ない。バイト」
「もうバイト決めたのか。早いな」
「昨日から」
「何の?」
「喫茶店」
康平が意外そうな顔をした。
「八神が接客?」
「どういう意味」
「いや、もっと人と喋らなくていいやつ選びそうだなって」
否定しづらい。
「家の一階だから」
「ああ、それは強い」
康平はあっさり納得した。
隣で鞄を持ち上げた千織が、少し首を傾げる。
「マンションの一階に喫茶店があるの?」
「ある。一昨日から」
「一昨日から?」
千織が聞き返した。
要は口を閉じる。
正確には、一昨日の朝までなかった店が、その日のうちに営業を始めていた。
説明すると面倒だ。
「最近できた店」
結局、そう答えた。
「へえ。どんな店?」
康平が興味を示す。
要の頭に、一昨日と昨日の光景が浮かんだ。
普通の喫茶店。
妙にうまいサンドイッチ。
答えをはぐらかす店主。
そして、晴れているのに雨音が聞こえた奥の扉。
「……普通の店」
「今、間があったけど」
「気のせい」
要は鞄を肩に掛けた。
「じゃ、俺バイトだから」
「おう。またな、八神」
「またね」
二人にそう言われ、要は一度だけ振り返った。
「……また」
講義室を出てから、要は廊下を歩きながら考える。
前回のグループワークよりは、ずっと楽だった。
少なくとも、あの二人とならもう一度組んでもいい。
友人ができた、というほどではない。
ただ、大学で次に顔を合わせたとき、名前を呼べる相手が二人できた。
今の要には、それくらいで十分だった。




