第17話 自分で淹れた一杯
厨房へ台車を入れると、窓の明るさが市場とは違って見えた。
要は箱を下ろし、善一郎と食材を片づけた。今日買った小さな茶葉の袋は、棚の手前へ置く。
「こっちは、あとで比べようか」
善一郎が袋へ目を向けた。
「まず、前に買ったほうですね」
「うん。リリアが淹れてくれた味を覚えているうちにね」
要は上着を脱いだ。市場では暑かったが、店へ戻ると汗が引いていく。表へ目を向けたところで、窓の下に猫の顔が見えた。
台車の音で起きたのか、こちらを見ている。
「待ってましたね」
「そうだねぇ」
要は外へ出て、水の器を確かめた。猫は立ち上がり、要の足へ頭を擦りつける。
「ただいま」
言ってから少し照れくさくなり、頭を一度撫でた。猫はそれで満足したのか、また壁際へ座る。
要が店へ戻ると、善一郎はポットとカップをカウンターへ並べていた。
「手を洗ったら、こっちへおいで」
ポケットからメモ帳を出し、カウンターの端へ置く。手を洗って戻った要の前へ、善一郎が茶葉の容器を寄せた。
蓋を開けると、見覚えのある青い葉が入っている。
「まず、このポットで淹れる分を量ろうか」
要は善一郎に教わりながら葉を量った。容器から出すと、思ったより軽い。少し足しただけでも、乾いた葉のかさが増える。
「これでいいですか」
「うん。それを覚えておくと、次も同じところから試せるね」
要は量をメモへ書き足した。善一郎がポットを温めている間、ペンを持ったまま待つ。
「時間も計ったほうがいいですか」
「計ろう。僕がいつも淹れるときの時間で、まず飲んでみようか」
善一郎はタイマーを置き、湯の用意ができると要へ場所を譲った。
要は葉を入れ、湯を注いだ。先ほどリリアの店で見た青が、ポットの中へ広がっていく。
「蓋をしていいよ」
言われた通りにして、タイマーを動かす。
要はメモ帳へ目を向けた。「長く置きすぎない」の文字の下に、葉の量が増えている。
それからポットを見た。
「そんなに見ていても、早くはならないよ」
「分かってます」
善一郎は笑い、カップの位置を直した。
タイマーが鳴る。要は急いで手を伸ばしかけ、ポットの持ち手を握り直した。
「慌てなくていいからね」
「今、待ちすぎるなって聞いてきたので」
「落としてしまうほうが困るよ」
善一郎に見てもらいながら、二つのカップへ茶を注ぐ。最初の一杯に多く入れすぎそうになり、要は途中で手を止めた。
並べると、片方が少し多い。
「……揃いませんでした」
「味は変わらないよ。そのくらいなら」
善一郎は少ないほうを取った。要はもう一方を持ち上げ、香りを確かめる。
飲む前から、リリアの店で飲んだものを思い出した。
一口含むと、花のような香りが鼻へ抜けた。飲み込んだあとに甘さが残る。先ほど長く置いた茶にあった渋さは、あまり感じなかった。
「どうだい?」
「さっきの、先に飲んだほうに近いです」
要はもう一口飲んだ。
「同じかって言われると、分からないですけど」
「今は、それでいいよ。まず、要くんはおいしいと思う?」
カップの中を見てから、要は頷いた。
「うまいです」
「それはよかった」
善一郎も茶を飲み、カップを置いた。
要はタイマーの表示をメモした。量と時間を書けば、次は善一郎が隣にいなくても、同じように試せそうだった。
「これ、店で出すときも、この淹れ方ですか」
「うん。自分でやってみたいときは、声を掛けてね」
「まだ一人では、ちょっと」
「僕も店にいるから」
善一郎は茶葉の容器へ蓋をした。要はメモ帳を閉じかけて、リリアの顔を思い出す。
どうだったか教えて、と言われていた。
ページを開き直し、余白へ「渋くならなかった」と書いた。書いてから見直すと、何とも短い。
「リリアさんに、これ言ったら怒られますかね」
善一郎が覗き込んだ。
「どれ?」
「渋くならなかった、だけで」
「ちゃんと淹れられたって、喜ぶんじゃないかな」
要はカップへ手を戻した。もう少し冷めていて、さっきより甘く感じる。
「あと、冷めたら甘かった、も」
「それは前にも教えてくれたでしょう?」
「覚えてます。自分で淹れてもそうなるんだなって」
善一郎は目を細め、もう一度茶を飲んだ。
要は二行目を書き足した。これなら、次にリリアに会ったとき、うまかっただけで話を終えずに済む。
棚の手前には、今日買った袋が残っていた。要がそちらを見ると、善一郎も顔を向ける。
「比べるほうは、またにしようか。今日はお茶をずいぶん飲んだね」
「質問だけのはずだったんですけど」
「それで、淹れるところまでできたでしょう?」
要は返事の代わりにカップを持ち上げた。善一郎は笑って、道具を片づけ始める。
窓の外で猫が伸びをした。要と目が合うと座り、こちらへ顔を向ける。
要はカップを置いた。メモ帳をしまおうとしたところで、入口のベルが鳴る。
入ってきた男は、まず善一郎へ片手を上げた。上着の袖を軽く払ってから、空いているカウンター席へ向かう。
「いい匂いがするな」
「いらっしゃい。ちょうど、お茶を淹れていたところだよ」
善一郎が応じたので、要はメモ帳を閉じた。水を用意し、男の前へ置く。
男はカップに残った青い茶へ目を向けた。
「それをもらおうかね」
要は善一郎を見る。善一郎はポットへ手を掛け、こちらへ寄せた。
「もう一度、やってみるかい。僕も見ているから」
要はメモ帳を開き直した。
「少しお時間いただきます」
「急がなくていいからな」
男は上着を脱ぎ、隣の椅子へ置いた。
要はポットを洗い、善一郎と確かめながら、先ほどと同じ量の葉を用意した。湯を注いで蓋をすると、今度は忘れずタイマーを動かす。
客へ出すと思うと、表示の進む速さまで気になった。
善一郎がカップを一つ、要の前へ置く。
「こちらは味噌天神さん。要くんは、初めてだったね」
要の手が止まった。
「……味噌天神?」
男が顔を上げた。
「ああ、初めまして」
普通に挨拶され、要も頭を下げた。水を出すところまでは、ただの客だと思っていた。
「神様、ですか」
「ああ」
要は善一郎へ目を向けた。善一郎が頷く。
タイマーの表示を確かめ、要はもう一度客の顔を見た。
「味噌の神様がお茶を飲むんですか」
味噌天神様は一瞬目を丸くし、それから笑った。
「茶も飲むがな」
「……そうですよね」
「君も、仕事で扱うものばかり食べているわけじゃなかろう?」
要は口を閉じた。コーヒーを運んでいるからといって、それだけで暮らしているわけではない。
善一郎が隣で肩を揺らしていた。
「マスター、先に言ってくださいよ」
「お茶を頼んでくれたところだったからねぇ」
タイマーが鳴り、要はポットへ手を戻した。カップは一つなので、今度は量を揃える必要がない。こぼさないよう注いでから、客の前へ置く。
「お待たせしました」
味噌天神様はカップの中を覗いた。
「きれいな色だな」
持ち上げて香りを確かめ、一口飲む。要はポットを置いたあとも、その顔から目を離せなかった。
「これは、君が淹れたのかね」
「マスターに見てもらいながらです。今日、初めて淹れました」
「ほう、うまいじゃないか」
味噌天神様はもう一口飲み、カップを置いた。
「味噌は入っていないんだな」
「お茶なので」
要が答えると、味噌天神様は楽しそうに笑った。
「ああ、それでいい」
要は善一郎を見る。善一郎は笑ったまま、空いた茶葉の容器を棚へ戻していた。
メモ帳を閉じ、鞄へしまう。リリアに伝えることが、もう一つ増えた。ただ、神様に飲んでもらったというところまで話してよいかは、善一郎に聞いてからにしよう。
自分たちが使ったカップを並べると、善一郎が片方を手に取った。
「これは、洗ってもらえるかい」
「はい」
要はもう片方を持ち、流しへ向かった。背後では、味噌天神様が善一郎へ茶の名前を尋ねていた。




