第73話 血海を割る絆、白銀の牙城
「出来損ないどもが……!!」
そう言うと、黒焦げになった顔が徐々に再生し、皇綺羅は激しい怒りと狂気で目を血走らせ、怒号を響かせた。
次の瞬間――!
綺羅の背中から、地を這うような気味の悪い肉鳴りの音とともに、おびただしい数の血の蛇が再び、爆発するように生え出でた。
不気味な赤黒い粘液を滴らせる血の蛇の群れが、無数の狂牙を剥き出しにしながら紅炎と優哉へと容赦なく襲いかかる!
ドガァァァンッ! ドゴォォォンッ────!!
血の蛇が硬質な廊下の床を激しく叩きつけるたび、爆裂の轟音が響き渡り、石畳が次々とえぐり取られて破片が四散した。
「もおおおっ! 本当にしつこい男ねぇっ!!」
紅炎は紙一重で襲い来る血蛇をかわしながら、前方へ両手を力いっぱい突き出した。
「もう一度、あの特大の炎の壁でまとめて――!」
「バカッ! やめろよ、紅炎っ!!」
精神の深層から、優哉の必死の制止が頭の中に響き渡った。
「ば、バカとは何よっ!」
紅炎は敵を躱しながら怒鳴り返す。
「そんな巨大な炎の壁を出したら、僕らの視界が完全に塞がれてしまうだろうがっ!」
「じゃあどうしろって言うのよ!? 敵の数が多すぎるのよ、多すぎるでしょっ!!」
紅炎は宙を跳びながら、次々と殺到する血蛇の群れを鋭く睨みつけた。
その時、優哉の冷静で力強い声が再び彼女の脳裏に響いた。
「紅炎、君が動いてくれるから、僕は『結界の盾』で防御に専念できる!」
「……え……?」
「君は攻撃に集中してくれ! 防御はすべて僕に任せろッ!!」
紅炎は一瞬だけ、飛翔しながらも動きを止めかけた。
己の魂をあずけ、互いの命を完全に預け合う信頼の言葉。
「……本当に、信じていいのね……!?」
「ああ! 僕を信じてくれ!!」
微塵の迷いもない優哉の言葉に、紅炎はハッとしたように息を呑んだ。
そして、可憐な口元に力強い笑みを浮かべ、小さく頷く。
「……分かったわよ!」
彼女は覚悟を決め、勢いよく石畳を蹴った。
「いくわよぉぉぉっ!!」
紅炎は、無数の血蛇が待ち構える正面の死地へ、一歩も引かずに一直線に駆け出した。
「ふん……避けもせず正面から突っ込んでくるとは、身の程を知らぬ愚かな化け物め」
綺羅は薄気味悪く嘲笑しながら、片手を残酷に掲げた。
「皆殺しにしろッ!!」
無数の血蛇が一斉に方向を変え、紅炎へと狂乱のごとく殺到した。
その数は、廊下の視界を完全に埋め尽くすほどの絶望的な大群だった。
だが――!
紅炎の身体を直撃すると思われた、まさにその瞬間。
血蛇の群れはなぜか紅炎の手前で紅炎を避けるように、次々と左右の空間へと奇妙に逸れていった。
「なにっ……!?」
綺羅が信じられないものを見るように目を見開く。
紅炎の正面には、まるで見えない神聖な道が綺麗に切り開かれたかのような、安全な空間が奇跡的に生まれていた。
その正体――それこそが、優哉の展開する光の結界であった。
優哉は精神を極限まで研ぎ澄まし、結界の盾の角度を神業の如く巧みに変え、襲いかかる血蛇の凄まじい突撃の勢いを殺すことなく、その迎撃の軌道だけを完璧に外側へ逸らし続けていたのだ。
「今だ、紅炎ッ!!」
優哉の気迫に満ちた叫びが響く。
「いっけぇぇぇぇぇっ────!!」
紅炎は右手の拳に、全霊の紅蓮の爆炎を一点に集中させ、死角を突いて綺羅へと一気に肉薄した。
「これで……終わりよぉぉぉっ!!」
直後――!
ドゴォォォォンッ────!!
紅炎の拳が弾き返されるほどの凄まじい衝撃波が響き渡り、彼女の華奢な身体は衝撃に耐えきれず、後方へと激しく吹き飛ばされた。
「きゃああああっ……!」
紅炎は廊下の床を何度も転がり、どうにか満身創痍で身体を起こした。
「いったい……何が起きたの……?」
彼女は荒い息を整えながら呆然と呟き、前方の綺羅の方へと視線を向けた。
そこには、先ほどまでの不敵な笑みとは違う、冷徹な余裕を湛えて笑う綺羅の姿があった。
そして、その綺羅の目の前には――。
一人の、あどけない小さな少女が、静かに拳をかかげて佇んでいた。
「……なっ……!?」
優哉は精神の奥から驚愕に息を呑んだ。
幼い少女。
だが、その小さな無垢な身体からは、底知れないほど禍々しく淀んだ恐ろしい妖気が漂っていた。
「……カミーラ……?」
優哉は少女を見つめながら、困惑とともに呟く。
「いや……違う。カミーラの娘なのか……?」
少女は吹き飛ばされた紅炎をぴしゃりと指さし、不満げに可愛い頬をぷぅと膨らませた。
「あなたたち、パパをいじめる悪い奴らなんでしょーっ!!」
その声はどこまでも幼く、無邪気でありながら容赦のない残酷さを孕んでいた。
「パパをいじめる奴は、絶対に許さないんだからね! ほら、さっさとくたばりなさい!」
「……パパ……?」
紅炎は怪我の痛みを堪えながら困惑しつつ、ふらつく身体をどうにか起こした。
その瞬間――!
少女の小さな影が、空間から綺麗に消え失せた。
「……えっ……!?」
次の瞬間、紅炎の目の前に、神出鬼没の如く少女が突然現れていた。
「はあっ────!!」
あどけない少女の小さな拳が、容赦なく紅炎の顔面へと振り下ろされる。
「しまっ――!」
優哉は反射的に、紅炎の正面へ全霊の『封狐』の結界盾を展開した。
しかし――!
バキィィィンッ────!!
少女の小さな拳の一撃は、優哉が命がけで張った硬質な結界の盾を、紙細工のようにいとも簡単に粉々に突き破った。
「なっ……嘘だろ……!?」
優哉が驚愕の声を上げる間もなく、少女はすでに紅炎の鼻先まで肉薄していた。
「くらえーっ、お仕置きだもんねーっ!!」
「きゃあああああっ……!」
紅炎は悲鳴を上げ、とっさに己の身を守るため、目の前の空間へ熱き炎の壁を爆発的に生い茂らせた。
ゴオオオオオオッ────!!
「あっちぃぃぃぃっ……熱いよぉっ!!」
少女は驚愕したように泣きそうな声を上げると、慌ててくるりと身を翻し、後方へ大きく飛び退いた。
そして、平然と見守る綺羅の背後へとトコトコと逃げ込んでいく。
「……まったく、何をやっているんだ、ルナ!」
綺羅は苛立たしげに冷たく怒鳴りつけた。
「だってもぉ! あのお姉さん、炎がすごく熱いんだもん!」
ルナと呼ばれた少女は、頬をさらに大きく膨らませて不満げに言い返した。
「れっきとした分体でありながら、相変わらず手のかかる……!」
綺羅は深い溜息をつくと、懐から一本の小さなガラス瓶を取り出した。
その中には、美しい真紅の血が満たされていた。
綺羅はそれをルナへと放り投げる。
「これを飲みなさい。この力を吸収するんだ」
「はーい!」
ルナは何の疑いもなく瓶をキャッチすると、中の血を一気に飲み干した。
その狂気的な光景を目撃し、優哉は精神の奥で険しく眉をひそめた。
「……おい。その少女は……いったい何者なんだ?」
綺羅は不気味に口元を歪め、心底愉快そうに冷笑した。
「こいつの名はルナ……カミーラの『心臓』から直接作り出した、自我を持つ特別な分体だッ!!」
「カミーラの心臓から……ッ!?」
優哉は思わず息を呑んだ。
その直後であった。
ルナの小さく柔らかな身体に、耐えがたい恐ろしい異変が起こり始めた。
サァァァァッ……!!
太陽の光を拒絶するような、柔らかな漆黒だった髪が、見る見るうちに死者のような純白へと染まっていく。
同時に、周囲の空気が一瞬で極限の零度へと急激に冷え始めた。
足元の石畳に一筋の霜が広がり、廊下の床が真っ白に凍りついていく。
ルナの幼い身体から立ち上ったのは、先ほどまでの無邪気な妖気とは似ても似つかない、すべてを凍てつかせる絶対零度の闘気であった。
紅炎はその尋常ならざる異変を皮膚で察知し、表情を引き締めて身構えた。
「……なんなの、この凍てつく冷気は……?」
先ほどの無邪気な少女とは、もはや霊力の質からして完全に別人と化していた。
白く染まった長髪を妖しく揺らしながら、ルナはゆっくりと顔を上げた。
その幼い唇に、不気味で無邪気な狂気の笑みが浮かぶ。
「えへへ……お仕置きしちゃうからね……!」
ルナはそう無邪気に告げると、紅炎の方へ向かってゆっくりと歩き始めた。
一歩、また一歩。
その足元から、世界を凍らせる冷気が容赦なく広がっていく。
紅炎は美しい拳を固く握り締め、全身から紅蓮の爆炎を猛々しく噴き上げた。
「その力…まさか、雪女の力??……来なさい、化け物の小間使が」
燃え盛る絶対の紅蓮の炎と、すべてを凍てつかせる氷の妖気。
相反する究極の二つの力が、今まさに廊下の舞台で激突しようとしていた――!




