第72話 魂の光彩、異形の獣咆
「貴様ぁぁぁぁ……!! この私……王となるべく選ばれし皇綺羅の顔に触れるとは、万死に値するぞぉぉぉっ!!」
黒焦げになった顔面を押さえ、皇綺羅は激しい怒りと屈辱に顔を醜く歪ませ、絶叫した。
次の瞬間――!
綺羅の背中から、気味の悪い肉鳴りの音とともに、おびただしい数の異形の蛇が生え出でた。
それらはすべて、死者の怨念と毒血によって形作られた血の巨蛇であった。赤黒い粘液を滴らせながら赤黒い身体をうねらせ、無数の鋭利な狂牙を剥き出しにして紅炎を睨みつける。
「うわっ……なにそれ、気持ち悪い……」
紅炎は思わず顔をしかめた。
「あなたこそ、人間を騙ったよっぽどの化け物じゃない!」
「喰らい尽くせっ!!」
綺羅が腕を振り下ろした瞬間、背中の血蛇の群れが一斉に襲いかかった!
ドガァァァンッ! ドゴォォォンッ────!!
無数の血蛇が重厚な廊下の石畳を叩きつけるたび、腹に響く轟音が爆裂し、床の石が次々と削り取られていく。
「きゃああああっ!?」
紅炎は紙一重の踏み込みで攻撃をかわしていく。
しかし、敵の数が圧倒的すぎた。
右へ避けようとすれば左から、上へ跳べば下から蛇の顎が迫る。
死角のない猛攻に、紅炎は少しずつ後退を余儀なくされていった。
「はははははっ!!」
綺羅はその凄惨な防戦を見て、勝ち誇ったように嘲笑した。
「どうした、化け物! それがお前の本気なのか!? まるで哀れな道化の踊りでも披露しているつもりか!?」
「もうっ! しつこい男は嫌われるって言ってるでしょうがっ!!」
紅炎は苛立たしげに叫ぶと、燃え盛る両手を大きく広げた。
ゴオオオオオオッ────!!
次の瞬間、彼女の前面に巨大な紅蓮の炎壁が出現した。
襲いかかってきた無数の血蛇が、勢い余って次々と炎の中へ飛び込んでいく。
ジュウウウウッ────!!
血蛇たちは炎に包まれ、悲鳴すら上げず焼き尽くされて蒸発していった。
「ふんっ! これに懲りたら、少しは反省しなさい!」
紅炎は余裕を取り戻し、可愛らしく鼻を鳴らした。
「しつこい男は世の中から嫌われるって、骨の髄まで覚えておきなさい!」
だが――。
ゴゴゴゴゴゴッ────!!
消滅しかけた炎の壁が、突如として何かに押し上げられるように大きく盛り上がった。
「……え……?」
紅炎が驚愕に目を見開いた、その瞬間。
ドガァァァンッ────!!
炎の防壁を力任せに突き破り、ひときわ巨大な「血の長蛇」がその巨体を現した!
その圧倒的な質量は、これまでの蛇の群れとは比較にならない。
カッと大きく開かれた口の奥には、紅炎を全身ごと丸呑みできるほどの長大な牙がズラリと並んでいた。
「しまっ……!?」
紅炎は咄嗟に身を引こうと地を蹴った。
しかし、間合いが近すぎる。間に合わない――!
(……間に合わない……っ!)
彼女は死を覚悟し、思わず固く目を閉じた。
その瞬間――!
ガキィィィンッ────────!!
澄んだ硬質な衝撃音が、静まり返る廊下に激しく鳴り響いた。
だが……どれほど待っても、紅炎の身体に痛みの衝撃は訪れなかった。
「……え……?」
紅炎は恐る恐る目を開いた。
目の前には、巨大な血蛇が大口を開けたまま、完全に静止していた。
そして、その狂牙と紅炎の間には――神聖な淡い光を放つ結界の膜が展開されていた。
蛇の巨牙を、光の幕が完璧に受け止めて防ぎ切っていたのだ。
「なに……これ……? なんで結界が……?」
紅炎は呆然と呟いた。
その時――。
『油断しすぎだぞ……紅炎!』
彼女の精神の深層世界から、懐かしく愛おしい声が直接響いた。
「……え……?」
紅炎の瞳が大きく揺れる。
「……ゆ……優哉……なの……!?」
『ああ! 僕だ!』
「うそ……だって、あなたの魂は消えていったんじゃないの…………??」
『……はは、危険すぎる掛けだったけどな』
優哉の声には、どこかホッとしたような苦笑の響きが混ざっていた。
紅炎は信じられない思いで、自分の精神の最深部へと意識を向けた。
すると――そこには、純白の光り輝く宝珠に優しく包まれた、優哉の魂が存在していた。
「これは……!?」
『……『封狐』の力だよ』
「封狐の……力?」
『ああ。僕を喰らおうとする君の炎の力を、封狐の結界が包み込んで守ってくれたんだ。おかげで魂を滅ぼされずにすんだ。』
紅炎はしばらくの間、言葉を失った。
やがて――。
「……よかった……よかったぁぁぁ……っ!!」
張り詰めていた糸がプツリと切れたように、紅炎の瞳から大きな涙の粒が溢れ出した。
だが、次の瞬間――彼女はむすっと頬を大きく膨らませた!
「……って、ちょっと待ちなさいよっ!!」
『え?』
「なんでもっと早く教えてくれなかったのよっ!? こっちは、あなたが本当に死んじゃったと思って……私、本気で悲しかったんだからねっ!!」
紅炎は怒鳴り散らした。
その声はかすかに震えていたが、確かに生還への喜びに満ちあふれていた。
『悪かったって、この力を制御するのに時間がかかったんだよ!だから、今は勘弁してくれよ』
「勘弁しないわよ! 戦いが終わったら、絶対に一晩中説教してやるんだからっ!!」
『ははっ……分かった、分かったから』
優哉は精神の奥で苦笑した。
そして、一転して引き締まった声音で告げた。
『……とりあえず、積もる話は後だ』
紅炎の表情も、キリリと凛烈なものへと戻る。
『まずは……あの兄上の皮を被った、薄汚い化け物を倒すことに集中しよう』
「……ふふっ」
紅炎は涙を乱暴に拭うと、口元に強気の笑みを浮かべた。
「分かったわよ!」
彼女の身体から、再び紅蓮の神聖なる炎が圧倒的な勢いで噴き上がる。
「でも優哉……後で覚悟しておきなさいよ!!」
『はいはい……』
「返事は一回っ!!」
『……はい!』
二人の掛け合いが終わると同時に、紅炎を包む炎の輝きが一段と激しさを増した。
その瞳には、もう微塵の迷いも悲愴感もない。
優哉と紅炎。
重なり合う二つの魂が、再び一つの勝利へ向けて解き放たれる!
その頃――。
「なぜだ……なぜ傷が治らぬのだぁぁぁっ!!」
カインは、己の深く切り裂かれた両腕と胴体の傷を見下ろしながら絶叫していた。
先ほどまで、どれほど首を刎ねられようと、吸血の力によって瞬時に再生していた肉体。
だが、今は違う。
大鎌鼬につけられた無数の傷口からは、ドロリとした重い血が際限なく流れ続けていた。
どんなに魔力を込めても、退魔の神気によって拒絶され、傷口が塞がる気配は一切ない。
「それに……カミーラ様の高貴なる吸血の血が……失われてしまうではないかぁぁぁっ!!」
カインは天を仰ぎ、狂乱の叫びを上げた。
その衰弱していく姿を、大鎌鼬は冷徹な野性の眼差しで見据えていた。
「どうじゃ……カイン」
大鎌鼬は血塗られた二本の鎌を凄絶に構え直す。
「化け物のお前も、ようやく切られる『人の痛み』というものが理解できたじゃろう」
「きさまぁぁぁぁっ!!」
カインの美貌が憎悪と狂気で激しく歪んだ。
「ただで死ねると思うなよ……! 貴様を千の肉塊に切り刻み、犬畜生どもに喰わせてやるわぁぁぁっ!!」
その瞬間――!
カインの身体が、耳を覆いたくなるような異様な骨鳴りの音を立てて変形し始めた!
ゴキッ……ゴキゴキゴキッ────!!
頭骨が歪に歪み、恐ろしい獅子のごとき猛獣の頭部へと変貌を遂げる。
背中からは漆黒の濡れた翼が爆発するように広がり、両腕の肉からは肉を裂いて巨大な大剣のごとき角質が突き出した。
さらに、全身が針山のように鋭い針で覆われ、その両脚は獲物を確実に引き裂く猛獣のそれへと変貌していく。
そこに現れたのは、あらゆる凶悪な獣の遺伝子を混ぜ合わせた、醜悪極まりない『キメラ』の怪物であった。
「……ほう」
大鎌鼬は一瞬だけ目を見張り、薄気味悪い化け物の変貌に感嘆した。
だが、すぐに不敵な野生の笑みを浮かべてみせる。
「ククッ……ようやくお前に相応しい、醜い化け物の姿になったなぁ。よく似合っておるぞ!!」
「殺すっ────!!」
カインは獣の咆哮とともに、漆黒の翼を力任せに打ち羽ばたかせた。
バサァァァッ────!!
次の瞬間、巨大な異形の巨体が床を破壊しながら躍り出て、目にも留まらぬ超高速で大鎌鼬へと突進する!
「死ねぇぇぇぇっ!!」
「来いっ……! その腐った不浄の血ごと、叩き斬ってくれるわぁぁっ!!」
大鎌鼬も二本の鎌を交差させて構え、真っ正面から突進を受け止めるべく疾走した。
そして――。
誇り高き大妖と、醜悪なるキメラの怪物が、命の全てを賭して激突した!




