第71話 炎に身を捧げし者、紅蓮の大妖の覚醒
「いっくよーーーっ、優哉っ!!」
紅炎は威勢よく叫ぶと、左手に紅蓮の爆炎を凝縮させ、皇綺羅の胸元へと狙いを定めた。
だが――。
「死ねぇっ!!」
綺羅が凶悪に右手を振るうと、鞭と化した無数の黒い指が空間を切り裂き、優哉へ向けて一直線に襲いかかった!
「うわっ、危ないっ!?」
優哉は慌てて横へと飛び退く。
「きゃあああああっ!?」
優哉の不意の回避に体制を崩し、紅炎の手から放たれた極大の火球は狙いを大きく外し、明後日の方向の天井へと激突して爆散した。
「おいっ! どこを狙ってるんだよっ!?」
「なによっ! あんたが勝手に動くからでしょうが!! ちょっとはじっとしてなさいよっ!!」
紅炎は顔を真っ赤にしてキーキーと怒鳴り返す。
「じっとしてたら、蜂の巣にされて死んじゃうだろっ!!」
優哉が叫んだ、まさにその瞬間であった。
眼前に、空を裂いて綺羅の指先が迫っていた。
「しまっ――!?」
バキャッ────!!
鈍く重い衝撃音が響き、優哉の華奢な身体が弾き飛ばされた。
「ぐあぁぁっ……!?」
優哉は空中で必死に体勢を崩しながらも、間一髪で『封狐』の光の結界を展開していた。直撃こそ免れたものの、あまりの質量と衝撃を殺しきれず、激しく廊下の石畳を転がっていく。
「優哉っ!?」
紅炎は思わず悲鳴を上げたが、すぐに顔を上げて綺羅を凄まじい面持ちで睨みつけた。
「よくも……よくもやったわねぇぇぇっ!!」
紅炎の両手から、溢れんばかりの爆炎が噴き上がる。
ゴオオオオオオッ────!!
渦巻く紅蓮の炎が、綺羅めがけて容赦なく解き放たれた。
しかし――。
綺羅は眉ひとつ動かさず、冷笑を浮かべながら腕を一閃させた。
「ふんっ!」
その気合いの一振りだけで、迫り来る爆炎が真っ二つに切り裂かれ、空しく掻き消える。
「な、なんでよぉっ!?」
紅炎が悔しそうに声を荒らげる。
「おい、紅炎! もっと火力を上げられないのか!?」
立ち上がった優哉が、血を吐きながら声を張り上げた。
「肉体がないから、今の私の力じゃこれが限界なのよっ!!」
紅炎は悔しさに歯噛みしながら叫び返した。
その直後――。
「ならば、興醒めだ。これで終わりにしてやろう」
綺羅が両腕を大きく広げた。
十本の指が一斉に気味の悪い音を立てて伸び、まるで黒い弾幕のごとく優哉たちへと襲いかかる!
ガンッ!! ガンッ!! ガガガガガッ────!!
「くっ……!」
優哉は全身の霊気を振り絞り、光の結界の盾を展開して次々と迫る黒い爪を受け止める。
だが、その一撃一撃の重みは凄まじかった。
一撃、また一撃と打撃が加わるたびに、結界に激しい亀裂が走り、衝撃が優哉の身体を苛む。
優哉の足が石畳を滑り、焦げ臭い煙を立てながら少しずつ後退していった。
「ふはははははっ!!」
綺羅の傲慢な高笑いが静まり返る廊下に響き渡る。
「所詮、頭の悪い化け物を飼い慣らしたところで、何一つできんではないか!!」
「なんですってぇぇぇっ!!」
紅炎が頭に血を上らせ、怒りに任せて叫ぶ。
「落ち着け、紅炎! あいつの挑発に乗るな、思うツボだぞ!」
「じゃあ……じゃあ、どうすればいいのよっ!!」
紅炎は優哉を振り返り、悔しさと無力さに声を落として荒らげた。
優哉は迫り来る怒濤の指の猛攻を結界で受け止めながら、必死に思考を巡らせた。
このまま防御に徹していれば、遠からず結界は粉砕される。
紅炎の炎も、実体たる依代がない以上、本来の威力を引き出すことは不可能だ。
ならば――。
「……紅炎」
優哉は、たった一つの決死の解に辿り着いた。
「依代……つまり確かな肉体と魂の器があれば、もっと圧倒的な火力を出せるんだな?」
「そうよ……! でも、こんな戦場に依代になるような都合のいい存在なんてないじゃないのっ!」
紅炎は苛立たしげに叫んだ。
「……僕の身体を使え」
その唐突で静かな言葉に、紅炎の表情が瞬時に凍りついた。
「……な、なんですって……?」
「僕の身体を、お前の依代にするんだ」
「あなた……何を言ってるのか分かってるのっ!?」
紅炎は思わず金切り声を上げた。
「私の依代になるってことは……私があなたの魂をすべて喰らい尽くすってことなのよっ!!」
「分かってるつもりだ!」
優哉は一切の躊躇もなく、澄んだ瞳で答えた。
「分かってないじゃない……っ!!」
紅炎の声が激しく震えた。
「私は……嫌よ。あなたがいなくなるなんて……っ!」
その悲痛な呟きには、いつもの高飛車で勝ち気な面影はどこにもなかった。
優哉は一瞬だけ驚きに目を見開き、やがて困ったように苦笑した。
「ははっ……あれだけ僕の魂を喰らおうとして、狙っていたくせに」
「今は……そんな気分じゃないのよっ!」
紅炎はくしゃくしゃになった顔を背ける。
「でも……いつか……いつか絶対に食べてやるんだから……っ!」
「だったら、今すぐそんな気分にさせてやるよ」
優哉はそう静かに言うと、足元に転がっていた純銀の錫杖を拾い上げた。
そして――。
その鋭利な金属の先端を、迷いなく自らの首元へと深く押し当てた。
「なっ……!?」
紅炎の美貌から血の気が完全に引いた。
「なに……何してるのよっ!?」
「僕という意識がいなくなれば、お前は何も気兼ねすることなく、僕の肉体を喰らえるだろう?」
優哉は首元に当てた錫杖を握る手に、じわじわと力を込めた。皮膚から一筋の赤が垂れる。
「だから……頼む。僕のこの身体を、お前の絶対の力に変えてくれ」
「やめなさい……っ!」
紅炎の声が絶望に震える。
「お願いだから……やめてよ……っ!」
優哉の手に、さらに命を断つための激しい力がこもる。
「待ちなさい……っ!!」
紅炎は魂の底から叫んだ。
「……分かったわよ。分かったから……っ!」
彼女は血が出るほど強く唇を噛みしめ、優哉の瞳をじっと見つめた。
「だから……そんな哀しいこと、しないで……っ!」
まさに、その瞬間であった。
優哉の深層意識の精神世界が、ゆらりと無限の紅蓮の炎に包まれ始めた。
足元から目にも留まらぬ速度で熱気が広がり、世界の景色を鮮やかに焼き尽くしていく。
やがて、その神聖なる炎は優哉の全身をも優しく包み込んだ。
ゴオオオオオオッ────!!
燃え盛る激しい炎の渦の中で、優哉の少年の輪郭がゆっくりと消えていく。
そして、その圧倒的な炎の中心から現れたのは――。
妖艶かつ気高き真の姿を取り戻した炎の化身――紅蓮の大妖・紅炎であった。
全身を神聖な紅蓮の衣で包み、天を突くように燃え盛る紅髪をなびかせながら、彼女は静かに顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでの比ではない、万物を灰燼に帰す絶対の力が宿っていた。
「…………優哉」
紅炎は胸に手を当て、深く静かに呟いた。
「あなたのその覚悟……絶対に忘れないからっ!」
彼女は目の前で呆然とする綺羅を鋭く指差し、腹の底から絶叫した。
「灰も残さず……燃やし尽くしてあげるわぁぁぁっ────!!」
「……ふん」
綺羅は鼻で冷酷に笑った。
「優哉もどこまでも愚かで哀れな奴だな……。自ら化け物の餌となって死ぬとはな」
そして、紅炎を深く蔑むような蔑視の瞳で睨みつける。
「それに、下等な化け物風情が……我ら気高き人間に向かって口を利くのではない!!」
綺羅が右手を凶悪にかざした。
次の瞬間、その腕全体が意思を持った巨大な黒蛇のように異様に延伸し、紅炎へと一直線に襲いかかった!
「死ねぇっ!!」
蠢く黒蛇のごとき異形の腕が、顎を大きく開くように紅炎の顔面へ迫る。
だが――。
紅炎は微動だにしなかった。
「……ふん」
彼女は冷ややかに鼻を鳴らすと、迫り来た異形の手首の先端を、右腕一本で寸分違わずガッシリと掴み取った。
「なっ……!?」
綺羅が己の怪力が受け止められたことに驚愕した、まさにその直後。
「捕まえたわよ……!!」
紅炎は掴んだ腕を、全身の莫大な腕力で思い切り引き寄せた!
「うおおおおおおっ!?」
あまりの怪力に綺羅の身体が宙に浮き、超高速で紅炎の目の前へと引きずり戻される。
その瞬間、紅炎の右拳に灼熱の爆炎が凝縮された。
ゴオオオオオオッ────!!
「消し飛びなさいっ────!!」
ドゴォォォォォンッ────────!!!!
紅炎の全霊の炎拳が、綺羅の顔面を真正面から炸裂音とともに撃ち抜いた!
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ────────!!」
綺羅の凄絶な悲絶叫が廊下に響き渡る。
強烈すぎる一撃によって顔面が酷く歪んで弾かれ、左頬からこめかみにかけて、消えることのない紅蓮の炎が激しく燃え広がった。
灼かれた皮膚が黒く炭化して剥がれ落ち、綺羅は顔を押さえてたまらず数丈も後退する。
「はぁ……はぁ……っ!!」
綺羅は黒焦げになった頬を震える手で押さえ、狂気と激しい憎悪に満ちた凄惨な眼差しで紅炎を射抜いた。
紅炎は全身に神聖な燃え盛る炎をまとわせたまま、ゆっくりと右拳を下ろす。
そして、氷のように冷たい声音で告げた。
「消し炭にしてあげるわ……覚悟しなさい」
「きさまぁぁぁっ!!」
綺羅は怒りと屈辱に顔を歪ませた。
「下等な生物の分際で……よくもこの私にぃぃぃっ!!」
その醜い叫びを、紅炎は燃え盛る炎の渦の中から冷然と見下ろしていた。
もはや、そこにいるのは誰かの力を借りて戦う不完全な存在ではない。
優哉の命がけの覚悟と魂を受け取り、全霊の威光を解き放った――気高く苛烈なる『紅蓮の大妖』そのものであった。




