第66話 背信の城塞、群雄駆け抜ける開戦の丘
その頃――。
楠正尚は、九尾の王・クラマの神通力を封じ込めた漆黒の石を不気味に握り締め、荒廃の渦中にある京の都を脱出していた。
そうして彼が辿り着いたのは、愛娘・静香が静かに父の帰りを待つ、己の領地の邸宅であった。
「お父様……? どうして急に京の都からお戻りになられたのですか?」
急ぎ帰還した父のただならぬ雰囲気を察し、静香は不安そうに不思議がって尋ねた。
正尚は手の中にある冷たい黒い石を見つめ、静香には視線も合わせず低い声で告げた。
「……静香、今後、京の都へは絶対に近づくでない」
「どうしてですか、お父様? 都には、私のお友達や知人の方々がたくさんいらっしゃるのですよ……?」
静香は戸惑いと胸のざわめきを隠せず、父の顔を覗き込むように問い返した。
すると正尚は、口元を歪めて乾いた冷たい笑いを漏らした。
「フフフ……京の都はな、もはや人間が生きられる場所ではない。死者と異形が蠢く『死の廃墟』と化しておるのだよ」
「なんですって……!?」
思いもよらぬ絶望の言葉に、静香の美しい顔から一瞬で血の気が引いた。
「我が楠家は、あの化け物どもによる九尾の封印に協力した。その引き換えとして、我が領地と一族には一切手を加えぬという協定を交わしたのだ」
「化け物……たち……?」
静香が掠れた声で問い詰める。
正尚は顔を苦痛と嫌悪にゆがめ、忌々しそうにその名を吐き捨てた。
「皇綺羅……それに、あの不気味極まりない吸血の女・カミーラだ」
「綺羅……殿ですか……!? それって……優哉様のお兄様の……!?」
聞き知った恐ろしい名前に、静香は瑠璃色の瞳を限界まで見開いた。
「そうだ。奴らはもう人間ではない。今後一切、関わることは許さん」
正尚は手の中の黒い石を肉が押し潰されるほど強く握り締め、己に言い聞かせるように呟いた。
「この封印の石さえ我が掌中にあれば、我が楠家は未来永劫、安泰なのだからな……!」
それだけを冷酷に言い捨てると、正尚は立ち尽くす静香を置き去りにして屋敷の奥へと去っていった。
一人残された静香は、父の寂しい背中を見つめながら、消え入りそうなか細い声で呟いた。
「……優哉様……」
その胸の中には、何処にいるかわからない大切な人への途方もない不安と恐れが、重く黒く広がっていくのであった。
そして――京の都の近郊、都を一望できる高台の丘。
数百を超える異形の大妖たちが、ついに目的地の丘の上へと到着した。
眼下に広がる京の都。
かつての栄華は消え失せ、不気味な暗雲が立ち込めている。そして都の正門・朱雀門の前を固めるように、数千を超える無機質な仮面をつけた退魔師たちが、隙間なく幾重にも重厚な陣形を組んで待ち構えていた。
その地獄のような異様な大軍勢を目にしても、大天狗・御館は怯むどころか、豪快に腹を揺らして爆笑した。
「ガハハハハ! どうやら、敵さんもしこたま豪勢な出迎えの宴を用意してくれたようじゃな!」
御館は背後に控える幾百の大妖たちを振り返り、雷鳴のような大音声を響かせた。
「お前ら! 命が惜しい臆病者がおるなら、今のうちに家へ逃げ帰っても誰も責めんぞぉっ!?」
すると、御館のすぐ横に並んでいた大角の岩の大妖が、牙を剥いてニヤリと笑った。
「ヒヒッ! 御館様こそ、足が震えて怖いなら今のうちに帰られた方がよろしいんじゃないですかぁ!?」
「なんじゃとお前っ!?」
御館が目を剥いて怒鳴り散らすと、別の鳥形の大妖も腹を抱えて口を挟んだ。
「まあまあ! 沙羅様の恐怖に比べたら、あの程度の仮面の人形どもなど赤子同然でございましょう、御館様!」
「ガハハハハ! 違いない! まったくもってその通りじゃっ!!」
御館は大きく腹を叩いて笑い飛ばした。
だが、からかった大妖はすかさず意地悪く釘を刺す。
「お二人とも、知りませんからね……。この戦いが終わったら、全部そのまま沙羅様に言いつけて差し上げますから!」
「うっ……!? そ、それだけは本当に勘弁してくれっ! 今度こそ本気で殺されてしまうわっ!!」
全土の大妖を統べる御館も、妻である沙羅の名を出された途端にタジタジとなり、周囲の大妖たちから一斉にどっと爆笑が巻き起こった。
しかし――。
次の瞬間、御館の巨顔から一切の戯れ言が消え去った。
眼下に広がる、死の臭いを漂わせる仮面退魔師の数千の大軍勢。
その先、都の最奥には、九尾の王・クラマを囚えた元凶である皇綺羅とカミーラが潜んでいる。
御館は右腕を天高く突き掲げ、腹の底から咆哮した。
「さあ野郎ども……全員まとめて血祭りにあげるぞぉぉぉっ────!!」
「「「オオオオオオオオオッ────────────!!!!」」」
数百の大妖たちの叫びが束となり、大地を激しく揺らした。
彼らは一斉に疾走を開始し、都へ向かって怒濤のごとく突撃を開始した。
だが、まさにその時――。
「御館様! 千鶴様っ!!」
数体の大巨躯を誇る大妖たちが、前線を走る御館と千鶴の前へ躍り出た。
「なんじゃお前ら!? 前を塞ぐなっ!」
御館が声を張り上げる。
戦頭の大妖たちは疾走しながら振り返り、心強い頼もしい笑みを浮かべて見せた。
「御館様と千鶴様は、カミーラと皇綺羅の首を獲るまで、その大切な力を温存しておいてくださいっ!」
「あんな雑魚の群れなど、我々が食い散らかしてお見せます!」
そう叫ぶや否や、彼らは御館と千鶴を守るような鉄壁の陣形を組み、周囲をガッチリと固めた。
「お前ら……っ!? 敵の数は我らの十倍以上もおるんじゃぞ!?」
御館が叫ぶ。
しかし、自らを盾とせんとする大妖たちに、一切の迷いも恐れもなかった。
「なあに! 我ら大妖一人が十人ずつ叩き潰せば済むだけのことっ!」
「さあ! あの不気味な群れを食い破り、一直線に首魁の化け物どものところまで突き進みましょうぞっ!!」
「「「オオオオオオオオオッ────────────!!!!」」」
大妖たちの昂ぶる士気は、天を衝くほどに高まっていく。
御館は、命を賭して自分たちを本気で守ろうとする誇り高き仲間たちの背中を見つめた。
「お前たち……」
御館の声には、仲間を苛烈な死地に晒すことへの申し訳なさと、胸を突くような深い感謝が滲んでいた。
だが、彼らは立ち止まらない。
「さあ、行くぞぉぉぉぉぉっ────!!!!」
先頭の大天狗が咆哮した。
次の瞬間、数百の大妖の軍勢は、数千の仮面退魔師が待ち受ける死の京の都へと、弾丸のごとく突っ込んでいった!
圧倒的な戦力差などものともせず、大地を削り揺らす凄まじい勢いで敵陣へと突貫する。
捕らわれの九尾の王・クラマを救い出すために。
そして、愛する仲間たちと再び無事に笑い合うために――!




