第64話 紅蓮の契約、覚醒の宴
「ふふふふっ……あはははははっ! あーーっはっはっは!!」
女妖魔は、荒れ狂う心の最深部で燃え盛る爆炎を見つめながら、勝利を確信して狂ったように高笑いを上げていた。
「これで……九尾の王の力が混ざり合ったこの途方もない力は私のものよ……! ふふふっ、あははははっ!!」
紅蓮の炎は、万物を呑み込まんばかりに勢いよく燃え続けていた。
そのはずであった。
だが、次の瞬間――。
ゴォォォォォッ……!
狂乱の音を立てて燃え盛っていた炎が、突如としてその勢いを失い始めたのだ。
「……え……?」
女妖魔の勝ち誇った笑い声がピタリと止まる。
炎は消滅するどころか、何かに強力に吸引されるかのように、みるみる縮小していく。
「な、何なの……っ!?」
彼女が狼狽している間にも、爆炎は急速に一箇所へと収束していった。
そして――。
炎の旋風の中心から、一人の青年が静かに佇んでいた。
優哉であった。
彼は慌てることなく、静かに右手を差し出した。
すると、渦巻いていた最後の炎までもが吸い寄せられるように彼の掌へと集まり、凝縮されていく。
やがてその炎は、深みのある美しさを放つ一つの宝石のような赤き結晶へと姿を変えた。
そこには、荒れ狂っていた爆炎の凄まじい力が完璧に封じ込められていた。
「…………」
女妖魔は絶句し、言葉を失った。
優哉は掌に収まった鮮やかな結晶を見つめ、どこか穏やかな笑みを浮かべた。
「感謝するよ……君のおかげで、僕は暴走していたこの力を制御できたんだ」
「人間ごときが……っ!!」
女妖魔は口唇を噛み締め、憎悪に満ちた眼光で激しく睨みつけた。
「調子に乗るんじゃないわよぁぁぁっ!!」
彼女の全身から、再び激しい怒りの炎が噴き上がる。
しかし、優哉は微塵も動じなかった。
ただ静かに、彼女に向けて右手をかざす。
次の瞬間、女妖魔の全周に澄んだ光の結界が展開された。
「なっ……!?」
逃げ場を奪われた女妖魔は、結界の壁を激しく叩いて暴れ狂う。
しかし、光の壁は容赦なくその範囲を縮めていった。
「なんで私が……!? 嫌よ! 出しなさいよ!!」
女妖魔は爪を立て、必死に壁を叩き続ける。
「こんなの認めないわ! ここから出しなさいよぉぉぉっ!!」
叫び声とともに結界は極限まで凝縮し――最後には女妖魔の存在ごと、一つの小さな赤い宝石へと姿を変えた。
コトン……。
乾いた小さな音を立てて、結晶が石畳の上に転がる。
優哉はそれを拾い上げると、顔に近づけてそっと覗き込んだ。
『嫌ぁぁぁっ! こんな狭くて暗いところ、嫌よ! 助けてよぉぉぉっ!!』
宝石の中から、女妖魔の可憐な悲鳴が響いてくる。
優哉は困ったように苦笑した。
「……まったく。さっきまで、あんなに楽しそうに僕を乗っ取ろうとしていたのに」
『うるさいわよ! いいから早く出しなさいっ!!』
「はいはい……」
優哉は深く息を吐くと、手の中の宝石に静かに気合いを込めた。
パリンッ!!
乾いた澄んだ音とともに、結晶が眩い光となって弾け散った。
宙に舞う光の粒が集束し、その中から女妖魔が元の姿で現れる。
「え……?」
女妖魔は呆然とした様子で自らの両手を見下ろした。
それから、恐る恐る優哉の顔を見上げる。
「な、なんで……? なんで私を助けるの……?」
先ほどまでの高慢な威勢は、すっかり姿を消していた。
優哉は柔らかく穏やかな笑みを深めた。
「君のおかげで、僕は暴走しかけていたこの力を手懐けることができた。だから、もう君を閉じ込めておく理由も、戦う理由もないよ」
「…………」
「どこへでも、君の好きな場所へ行っていいんだ」
優哉はそう言い添えると、彼女を解放するように優しく手を下ろした。
「あ……」
女妖魔は何かを言いかけたが、すぐに言葉を呑み込んだ。
そして、俯きながらしばらくブツブツと何事かを呟いていた。
「ん? 何だって?」
優哉が首を傾げて問い返すと、女妖魔は真っ赤な顔をして勢いよく顔を上げた。
「も、もう私は肉体を失って、依代がないと消滅しちゃうのよっ! だから……その……依代が見つかるまでの間、あなたを助けてあげてもいいわよって言ったのよっ!!」
一気に言い切ると、彼女はプイッと素早く横を向いた。
「べ、別にあなたのためなんかじゃないんだからねっ!!」
「…………」
優哉は一瞬目を丸くしてポカンとした。
そして――。
「あはははははっ!!」
耐えきれずに、爽やかな爆笑を上げた。
「な、何がおかしいのよ!?」
「いや、ごめんごめん。そういうことなら、こちらこそよろしく頼むよ」
優哉は笑顔で右手を差し出した。
「それで……君のことは、何て呼べばいい?」
女妖魔は一瞬だけ躊躇うような素振りを見せたが、すぐに胸を張って言い放った。
「紅炎よ!!」
「よろしくね、紅炎!」
優哉は改めて温かく微笑みかけた。
こうして、優哉と気高き女妖魔・紅炎の、奇妙な絆が結ばれたのだった。
その頃、現実の外の世界では――。
千鶴が、倒れ伏したまま動かない優哉の傍らに膝をつき、切痛な眼差しでその顔を見つめていた。
「優哉……お願い、目を覚まして……っ」
いくら呼びかけても、優哉は目を閉じたまま応答がない。
まさにその時であった。
優哉の右手の甲に、漆黒の文字が浮かび上がった。
――『封』。
「……え……?」
千鶴が思わず息を呑む。
続いて、優哉の左手に燃え盛る朱い炎のごとき鮮やかな痣が現れた。
その痣は手の甲から脈打つように腕を伝い、肩口、そして首元へと広がっていく。
さらに、彼の黒髪が根元から赤く染まり始め、やがて夜の闇を払う炎のような鮮やかな紅色へと変貌を遂げた。
「な、何が起きているの……っ?」
千鶴は警戒を強めながらも、異彩を放つ優哉の姿から目が離せなかった。
やがて――。
ピクリと、優哉の指先がかすかに動いた。
そして、ゆっくりと長いまぶたが開かれる。
「……うっ……」
「優哉っ!!」
千鶴はたまらず身を乗り出した。
「大丈夫!? 私の声が聞こえるの!?」
優哉はぼんやりとした表情で周囲の景色を見回していたが、目の前にある千鶴の顔を認識した瞬間、ハッと表情を引き締めた。
「あっ! 千鶴様……っ!」
慌てて身体を起こそうとする。
「千鶴様こそ、ご無事ですか!? お怪我はありませんか!?」
「私は大丈夫よ! それより、あなた……その姿はどうしたのよ!?」
千鶴は優哉の鮮やかな紅髪と、腕を覆う炎の痣を指差した。
優哉は自分の手を見つめ、何度か握ったり開いたりして感覚を確かめた。
「……ああ。なんとか無事に生きて戻れたみたいです!」
そう言って、彼はいつもの笑顔を浮かべてみせた。
「もう……心配させないでよ……!」
千鶴が安堵の溜め息を深く吐き出した、まさにその瞬間。
ボッ!!
優哉の左手から、突然として真っ赤な炎が噴き出した。
「きゃっ!?」
千鶴が反射的に身を構える。
炎は優哉の手の平の上で揺らめき、やがて一人の美しい女の輪郭を形作った。
「ちょっと! 優哉に近づかないでよっ!!」
炎の中から姿を現したのは、紅炎であった。
彼女は千鶴を警戒するように強く睨みつけると、かばうように優哉の前に立ちはだかった。
「……え?」
千鶴は目を丸くした。
だが、そのやり取りと優哉の姿からすぐに事情を察したのか、可憐な口元に微笑みを浮かべた。
「ふふふっ……ずいぶん懐かれたものね」
「紅炎のおかげで、何とか体内の暴走を制御できました」
優哉が頭を掻きながら苦笑交じりに説明する。
「そう……。あなたが優哉の命を救ってくれたのね」
千鶴は紅炎へと向き直り、穏やかに心からの微笑みを向けた。
「よろしくね、紅炎さん」
「…………」
紅炎は千鶴の澄んだ瞳をじっと凝視した。
それから、何か言い返そうと口を開かけかけたが――。
「ふんっ!!」
プイッとそっぽを向くと、そのまま一瞬で炎となって優哉の体内へと消えていった。
「あらあら……ツンツンしている子ね」
千鶴は思わずくすっと笑う。
「ははは……これから少しずつ仲良くなれればいいんですけどね」
優哉も困ったように笑った。
まさにその時であった。
「――まだ、この二人に文句を付ける不届き者はおらんかぁぁぁぁっ────────!!!!」
大天狗・御館の腹の底から響く雷鳴のごとき大音声が、山頂の一帯を激しく揺るがした。
突然の威圧感あふれる怒声に、広場を埋め尽くしていた数百の大妖たちが一斉に口を閉ざす。
先ほどまで殺気立ち、騒がしかった周囲に、静まり返った緊張感が広がった。
御館は居並ぶ威圧的な大妖たちを豪快に見渡し、さらに声を張り上げた。
「明日は……我らを、そしてクラマを愚弄する命知らずの輩どもを血祭りに上げるぞぉぉぉっ────!!」
一瞬の静寂。
次の瞬間――!
「「「ウオオオオオオオオオオオオッ────────────!!!!」」」
天地を揺るがす大妖たちの歓声と雄叫びが、鞍馬山の地盤を揺らした。
御館は満足げに豪快に頷くと、腹を抱えて笑い飛ばした。
「よぉぉぉし! 今夜は景気づけの宴会だぁぁぁぁっ────!!」
「「「ウオオオオオオオオオオオオッ────────────!!!!」」」
再び、空を突くような歓声と笑い声が湧き上がる。
こうして、凄惨を極めた死闘の夜は、明日の決戦に向けた賑やかで温かな宴の夜へと変わっていくのだった。




