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黒刀と瑠璃眼の少女  作者: あると


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第58話 潰えぬ瑠璃、誓いの土と鞍馬への旅路

「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」

喉を焼くような荒い吐息を漏らしながら、優哉は東の街の石畳へと激しく駆け込んだ。

「千鶴様ぁぁぁっ!!」

裂けんばかりの声で、何度も何度もその名を叫ぶ。

「千鶴様ぁぁぁっ! どこにいらっしゃるのですか!?」

しかし――返答はない。

広大な街は、息を潜める死生の間のように不気味な静寂に包み込まれていた。

「……なんなんだよ、これは……」

優哉は茫然と辺りを見回す。

「人影が……一つも、ない……」

胸を嫌な予感が強く締めつける。冷や汗が頬を伝う中、優哉は無我夢中で再び走り出した。

そして、街の深部へと進んだその時――。

「……あれは?」

街路の傍らに見覚えのある馬車が佇んでいるのが目に入った。

「千鶴様……!?」

希望を胸に、優哉は急ぎ馬車へ駆け寄る。

だが――。

「誰も……いない……!?」

手綱は千切れ、馬車の中はがらんどうの、もぬけの殻であった。

「千鶴様! 風磨っ!」

優哉は狂おしく叫びながら、街の中央に位置する大広間へと必死に足を速めた。

やがて辿り着いたその惨劇の広場。

そこに――一人の女が佇んでいた。

鮮血に濡れ染まった衣。

優哉に背を向けたまま、ピクリとも動かず佇んでいる。

「……誰だ……?」

優哉が警戒を強め、一歩を踏み出したその時であった。

「……っ!?」

道端の破片の中に、冷たく伏している人影が目に飛び込んできた。

「まさか……っ!?」

優哉は弾かれたように駆け寄る。

「風磨……っ!?」

だが、駆け寄った優哉の前に横たわる風磨は……もう、二度と動くことはなかった。

「風磨……おい、目を開けろよ……っ!」

優哉の声が激しく震える。

「なんでだよ……どうしてこんなことに……っ!」

その場にドサリと膝をつき、血の滲むほど拳を固く握り締める。

そして――ゆっくりと、静寂の中に立つ女へ向けて血走った視線を上げた。

「……千鶴……様……?」

そこにいたのは、紛れもなく八神千鶴であった。

「千鶴様! ご無事だったのですね……っ!」

優哉が安堵と悲痛の混ざり合わさった思いで駆け寄ろうとした。

すると千鶴が、ギギと不穏な音を立てるようにゆっくりと振り返った。

「――っ!?」

優哉は息を呑み、その場に釘付けとなった。

千鶴の瞳は――人間のものではない、禍々しい赤黒い色に染まりきっていたのだ。

「その……瞳……っ」

優哉は恐怖と動揺で足を止める。

「あなたは……本当に、千鶴様なのですか……?」

千鶴は優哉の問いに答えない。

ただ、精根尽き果てたように、力なくその場に膝をついた。

「……私だけが、生き残ってしまった……」

絞り出すようなその声は、絶望に震えていた。

「あの時……無理にでも風磨を逃がしてさえいれば……」

赤黒い瞳から、大粒の涙が零れ落ち、血に汚れた頬を濡らしていく。

「そもそも……京の都で風磨がついてくるのを突っぱねていれば……」

千鶴は物言わぬ風磨の屍を見つめる。

「こんな凄惨なことには……ならなかったのに……っ!」

「千鶴様……」

優哉は静かに歩み寄ると、震える千鶴の肩へとそっと温かい手を置いた。

「そんな悲しいことを言わないでください……」

「…………」

「風磨も……あなたがこうして生きていてくれたことを、きっと何よりも喜んでいます」

その温かい言葉が胸に染み渡った瞬間――千鶴の心の中で張り詰めていた悲痛の糸が、プツリと切れた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」

千鶴は優哉の胸へと顔を埋めた。

「風磨……っ! 風磨ぁぁぁぁっ!!」

千鶴は幼児のように声を上げて泣き崩れた。涙が優哉の衣を濡らしていく。

それから、しばしの時が流れた。

千鶴の激しい哭泣が少し落ち着きを見せた頃。

優哉は、千鶴の胸元が淡い瑠璃色の神秘的な光を放っていることに気がついた。

「千鶴様……その光は……?」

千鶴は胸元に手を取り、そっとペンダントを引き出した。

「これ……」

瑠璃色の翡翠が、闇を払うかのように淡く清らかな光を宿している。

「あなたからいただいたこの瑠璃のペンダントが……私の退魔の血と共鳴しているみたい……」

千鶴は不思議そうにその輝きを見つめる。

「……私にまだ理性が残っているのは、これのおかげなのかしら……」

「千鶴様……」

優哉はなおも不気味に濁る赤黒い瞳を見つめた。

「その瞳は……一体、何があったのですか……?」

千鶴は静かに目を伏せた。

そして――これまでに起きたカミーラの強襲、皇綺羅の陰謀、帝の死、そして風磨の命を奪われた悲劇のすべてを静かに語って聞かせた。

「……そんな……っ」

すべての話を聞き終えた優哉は、悔しさと憤怒に激しく拳を打ち震わせた。

「なんて酷いことを……っ!」

悔し涙を浮かべ、優哉は低く呟いた。

「私は……身内である兄上たちに、ずっと踊らされ騙されていたというのですか……っ!?」

「……ありがとう、優哉」

千鶴はそっと立ち上がった。

「もう……私は大丈夫だから」

袖で乱暴に涙を拭う。

その立ち姿から、先ほどまでの弱々しい絶望の影は完全に消え去っていた。

「……そうだわ」

千鶴は冷たくなった風磨へ視線を向ける。

「この子を……助け出してあげないと」

「え……?」

その一瞬――!

千鶴の黒髪が、波打つように美しく眩い白銀の色へと変化を始めた。

そしてドロリと濁っていた赤黒い瞳が――澄み渡る、深い瑠璃色へと再覚醒していく!

「……っ!?」

優哉が思わず息を呑む。

千鶴の華奢な身体から、世界を圧倒するほどの凄まじい神聖な妖気が立ち上った。

「あいつらの埋め込んだ呪毒の力……」

千鶴は静かに拳を固く握り締める。

「そのまま私の糧として……利用させてもらうわ」

鋭く伸びた爪が、カミーラによって封印されていた黒い渦へと向けられる。

「――はっ!!」

一閃!

空間を切り裂くような爪撃が、絶対の黒い結界をあっさりと粉砕した。

弾け飛んだ黒煙の中から、淡い光の幕を纏った小さな子狐――封狐が宙へと飛び出す。

「助かったぁ……っ!」

封狐は感極まった様子で千鶴を見上げた。

「無事だったんだね、千鶴っ!」

「……無事とは言い難いけれどね」

千鶴は自嘲気味に苦笑した。

「この可愛らしい子狐は……?」

優哉が不思議そうに尋ねる。

「なんだ、この無礼な人間はっ!」

封狐はプンプンと怒りながら胸を張った。

「我は九尾の王、クラマ様の威光の一端を担う高貴なる尾獣だぞっ!」

「九尾の……!?」

優哉は恐れ多さに思わず一歩後ずさった。

「……そんなことよりっ!」

封狐の表情が一変し、緊迫した色を帯びる。

「大変なんだよ、千鶴っ!」

「どうしたの……?」

「クラマ様の気配が……どこからも感じられないんだっ!」

「……っ!?」

千鶴の顔が硬直する。

「クラマが……消失した……!?」

「それだけじゃないんだ!」

封狐は泣き出しそうな声で焦燥を募らせる。

「他の尾獣たちの気配も……全部、綺麗さっぱり消えちゃってるんだよっ!!」

「……っ!」

千鶴は一瞬の迷いもなく決断を下した。

「今すぐ……鞍馬山へ行きましょう!」

「私も……私めも連れて行ってください!」

優哉が力強く名乗りを上げた。

「でも……」

千鶴は優哉を案じるように見つめる。

「私と行動を共にすれば、あなたも命の保障はないわ」

「京の都へこのまま戻ったところで、危険なのは何一つ変わりません!」

優哉は真っ直ぐに千鶴の瑠璃色の瞳を見つめ返す。

「足手まといになるのは百も承知です。それでも……私を一緒に行かせてください!」

「…………」

千鶴はしばし優哉の強い目を見つめ、静かに熟考した。

そして――柔らかく微笑んだ。

「……分かったわ」

「ありがとうございますっ!」

「頼りにしているわよ、優哉」

「はいっ!」

千鶴は静かな歩調で風磨のもとへ歩み寄った。

「……もう少しだけ、待っていてね」

そして、千鶴は自らの手で静かに土を掘り返し始めた。

やがて――。

木漏れ日の差す静かな木立の下に、風磨のための小さくも温かいお墓が作られた。

千鶴はその前にそっとしゃがみ込む。

「待っていてね……」

胸の前で静かに両手を合わせ、祈りを捧げる。

「すべての決着をつけたら……必ず迎えに来るから」

静かに立ち上がった千鶴は、もう二度と後ろを振り返らなかった。

「さあ……行きましょう」

千鶴、優哉、そして封狐。

三人は静かに馬車へと乗り込んだ。

目指す先は――深い霧に包まれた鞍馬山。

そこで自分たちを待ち受ける暗黒の運命が何であるのか、この時の彼らはまだ知る由もなかった。

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