第54話 光槌の連鎖と、欺瞞の影
「……やっと落ち着いたようだね」
白銀の神威を纏った千鶴の隣で、封狐がほっと胸を撫で下ろすように小さな声をかけた。
「……ごめんなさい」
千鶴はそっと目を閉じ、深く息を吸い込んだ。荒れていた心が、静まり返っていく。
「私……間違っていたわ」
そして、ゆっくりと瞼を開き、目の前のカミーラを揺るぎない眼差しで見据える。
「まずは、あの化け物を引導渡して倒さなければ……風磨を助けに行くことすら叶わないものね」
千鶴の美しい佇まいから、一切の迷いと焦燥が消え去っていた。
「悪いけれど……ここからは全霊をもって倒させてもらうわ」
カミーラは不気味に口元を歪め、嘲笑を浮かべる。
「ふふっ……手加減など無用みたいね」
カミーラはそう吐き捨てると、手にしていた血の長剣を自らの右腕の肉体の中へとずるりと吸収させた。
そして――両手の指を凶器のように大きく押し広げる。
「……っ!」
千鶴は一瞬の躊躇もなく地面を蹴った。
銀髪を閃かせ、一直線にカミーラとの距離を詰める。
その瞬間――。
シュバッ、シュバババッ!!
カミーラの十本の指が、異様に伸長した。
まるでうねる凶悪な血の鞭と化し、幾重もの条閃となって千鶴の全身へ襲いかかる。
「封狐!」
『任せて!』
封狐が千鶴の前面へ躍り出ると、眩い光の結界を急展開させた。
ガンッ! ガンッ! ガンガンガンッ!!
無数の血の鞭が光の壁へと叩きつけられ、激しい火花と衝撃波が撒き散らされる。
「くっ……!」
千鶴は純銀の錫杖を構えたまま、押し寄せる打撃の嵐を押し返して前進を試みる。
しかし、幾百と繰り出される血の鞭の数が多すぎる。
『千鶴! あの鞭みたいなの、多すぎるよ!』
「このままじゃ押し切られる……!」
その時であった。
シュッ!!
「――っ!?」
一本の血の鞭が死角から大きく旋回し、千鶴の背後から襲いかかった。
肩口の皮膚を浅く切り裂き、鮮血が舞う。
「くぅっ……!」
『千鶴っ!』
封狐は咄嗟に光の結界を球状に広げ、全方位を防護した。
『これなら――!』
千鶴の周囲を強固な光の壁が包み込む。
だが――それを見たカミーラが、邪悪な笑みを浮かべた。
「……それなら、その籠ごと砕くまでのことよ」
「……っ!?」
『だめっ!』
千鶴が叫ぶ。
しかし、一手遅かった。
カミーラの肉体から伸びる無数の血の鞭が、空中で一箇所に集束し、巨杭となって光の結界の一点へ集中砲火される!
ドドドドドッ────!!
穿孔機のごとき凄まじい激震が結界を打つ。
パキッ――。
『え……!?』
封狐の悲鳴とともに、光の結界に亀裂が走った。
そして――。
バリンッ!!
強固を誇った光の盾が、ガラスのように儚く砕け散った。
「きゃああっ!!」
爆風に煽られ、千鶴の身体が吹き飛ばされて激しく石畳を転がる。
『千鶴っ!』
封狐が慌てて駆け寄る。
千鶴は血の味を噛み締めながら、ゆっくりと身体を起こした。
「……守るだけじゃ、この化け物には勝てない」
千鶴は己の華奢な手を見つめる。
「だったら……私から打って出るしかないわ」
千鶴は静かに瑠璃色の目を閉じた。
そして――体内の全妖力を、両の眼球へと無茶苦炉に集中させていく。
「……っ!」
千鶴の目蓋の奥から、まばゆい瑠璃色の光が溢れ出し始めた。
『千鶴!?』
封狐が血相を変える。
『ダメだよ! そんな無茶をしたら――!』
千鶴の目尻から、朱い血が一筋、頬を伝って流れ落ちる。
『最悪、光を失って失明しちゃうよ!!』
「……それでも構わない」
千鶴は毅然と目を開いた。
瑠璃色の瞳が、世界を穿つほどに眩く輝いている。
視界に映るカミーラの血の動き、間合い、妖気の流れのすべてが、極彩色の静止画のように見極められる。
「封狐は……私の右手にすべての力を注ぎ込んで」
『もう……無茶ばかりして!』
封狐は半ば泣き出しそうになりながら叫んだ。
『……後でどうなっても知らないからね!』
封狐が両手を大きく広げると、千鶴の右手へ封狐の神聖な結界の力が怒涛のごとく流れ込んでいった。
パアアアアッ!!
千鶴の右手が、眩爛たる神光に包まれていく。
「……行くわよ」
千鶴は深く踏み込み、鋭く地を蹴った。
「来なさいっ!」
カミーラも狂気に満ちた叫びとともに両腕を振り回す。
シュバッ! シュバッ!
血の鞭が四方八方から容赦なく襲いかかる。
千鶴の腕を切り裂き、美しい頬を削り、脚を掠める。
そのたびに朱い血飛沫が舞い散る。
それでも――千鶴の一歩は途切れなかった。
「遅い……!」
覚醒した瑠璃眼で軌道を見切り、最小限の動きで死線を見切りながら、千鶴は一瞬でカミーラの懐へと肉薄する。
「まだよっ!!」
カミーラが両腕を大きく広げ、千鶴の胴体を上下から押し潰さんと横薙ぎに振り抜いた。
「――今よっ!!」
千鶴の鋭い一喝。
「封狐っ!」
『任せてぇぇっ!!』
千鶴の右手を包む神光が一気に爆発的な膨張を見せた。
それは巨大な――光でできた破城の金槌の形を成す。
「なっ……!?」
カミーラの余裕に満ちた顔が、初めて恐怖へと引きつった。
千鶴は高く跳躍した。
カミーラの頭上へと舞い上がり、巨大な光の金槌を全霊の力で振り下ろす!
「これで――終わりよっ!!」
ドゴォォォォォンッ────!!
地響きのような圧倒的衝撃音が街全体を揺らした。
砕け散る石畳、舞い上がる土煙。
やがて、千鶴はゆっくりと右手の光を収め、退けた。
叩き潰された地面の深坑には、血肉の塊となったカミーラだったものが横たわっていた。
「……切っても再生するのなら」
千鶴は肩を上下させ、荒い息を吐きながら冷徹に呟く。
「原形をとどめぬほど、潰すしかないわね」
そして懐から一枚の極上呪符を取り出し、深坑へと投げつけた。
「――三点轟雷!!」
バリバリバリバリッ!!
三方向から蒼白い稲妻が落雷し、惨絶な血肉を一瞬で焼き尽くす。
爆風と轟音とともに、黒い煙が立ち上った。
やがて煙が去った後には――一片の肉片すら残っていなかった。
「……ふぅぅ……」
千鶴は溜め息をつき、膝の震えを押さえた。
「これで……」
そして、風磨が戦っているはずの街道の奥を振り返る。
「風磨のところへ……っ」
「おや?」
その時であった。
正面の暗がりから、聞き覚えのある不快で優雅な声が響き渡った。
「奇遇ですね……八神千鶴様」
「……っ!?」
千鶴が跳ね起きるように顔を上げる。
晴れゆく砂埃の向こうから、一人の男が優奢な足取りで歩み寄ってきた。
「お前は……っ!」
千鶴の表情が凍りつく。
「皇……綺羅……っ!?」
綺羅は薄く微笑みを浮かべ、うやうやしく肩をすくめてみせた。
「おやおや……呼び捨てとは、随分とつれない挨拶ですね」
そして――綺羅は自らの隣に佇む、仮面をつけた一人の女へと親しげに視線を向けた。
「ねえ、カミーラ」
「そうよね……ひどいわねぇ」
仮面の女はクスクスと艶麗に笑うと、細い指先でゆっくりと仮面を外した。
「……っ!?」
その素顔を目にした瞬間、千鶴は息を呑み、絶句した。
そこに現れたのは――。
先ほど千鶴が全身全霊をもって粉砕し、焼き尽くしたはずのカミーラと、寸分違わぬ容姿を持った女であった。
「な……なんで……!?」
千鶴の瞳に動揺が走る。
「さっき倒したはずなのに……なぜ、あなたがそこにいるのよ……!?」
新たなカミーラは、血のように赤黒い瞳を細め、愉悦に満ちた笑みを深めた。
「ふふっ……」
そして、千鶴の傷ついた肉体を品定めするようにじっくりと眺める。
「私の分体をあそこまで完膚なきまでに叩き潰すなんて……」
カミーラの口元が、禍々しく吊り上がった。
「あなた、思ったより強いわね」
千鶴の表情が再び険しく鋭いものへと変わる。
綺羅はその二人の対峙を満足そうに眺めながら、静かに、そして冷ややかにあざ笑っていた。
東の街を舞台にした死闘は――終わるどころか、更なる深淵へと堕ちていく。




