第51話 神隠しの街と、仮面の刺客
「姉上……何か、おかしいと思いませんか?」
馬車が静まり返った街道街の入口を潜り、しばらく進んだところで、風磨がぽつりと重い口を開いた。
「……ええ」
千鶴も馬車の窓から、ゆっくりと周囲を見渡す。
そこに立ち並ぶ街並みは、確かに存在している。
立ち並ぶ家屋も、軒を連ねる店も、綺麗に整備された道もある。
けれど――。
「人の気配が、まったくしないわ」
あまりにも不自然な静寂だった。
本来ならば多くの人々が暮らし、活気に溢れているはずの街であるにもかかわらず、人の話し声も、足音すらも聞こえてこない。風が通り抜ける音だけが虚しく響いている。
「……少し、見て参ります」
風磨はそう言い残すと、御者に合図を送って馬車を止めさせた。
「ちょっと、風磨!?」
「すぐ戻ります」
引き止める声が届くより早く、風磨は跳ねるように馬車を飛び降り、不気味な建物の影へと姿を消していった。
「もう……あの子ったらっ!」
千鶴は呆れたように大きなため息をつく。
その肩の上で、封狐が小さな耳をぴくりと動かし、周囲の不吉な気配を察知するように身を硬くしていた。
街全体を包み込む、肌を刺すような異様な静けさ。
千鶴の胸の奥でも、ただならぬ不吉な予兆が渦巻き始めていた。
その頃――京の都。
千鶴たちを見送り、楠家の屋敷へと戻った優哉は、奥の間で何やら楽しそうに荷をまとめている静香の姿を見つけた。
「静香さん……何をしているのですか?」
優哉が声をかけると、静香はパッと華やいだ笑みを浮かべて振り返った。
「帝様がね、私たちの結婚祝いとして、都の近くにある大きな街を賜ったのよ」
「……街を、ですか?」
優哉は思わず聞き返した。
「ええ。これからは、あの街を私たちの領地として二人で納めることになるわ」
静香は心の底から上機嫌に答える。
しかし、優哉の胸にはどうしても引っかかるものがあった。
「(……どうして、千鶴様が都をお出でになられたこのタイミングで……?)」
優哉が不審に思い、小さく呟く。
「何かおっしゃいました?」
「いえ……」
優哉は即座に首を振った。
「それより、あなたも早くお支度をなさってくださいな」
静香はそう言って、再び満足そうに荷物をまとめ始める。
「分かったよ」
優哉は静かに答え、己の部屋へ向かおうと足を向けた。
その時であった。
「――もう、八神家……八神千鶴には関わらないで」
背後から、凍てつくような冷ややかな静香の声が飛んできた。
優哉はぴたりと足を止める。
「……分かっているよ」
そして、意を決したように振り返った。
「ですが……どうしてですか?」
静香は一瞬沈黙したのち、冷淡な眼差しを優哉へ向けた。
「帝様から……八神千鶴へ『討伐令』が下されたのよ」
「……討伐……令……!?」
優哉の顔から、一瞬で血の気が引いていく。
「何故ですっ!? どうしてそんなことにっ!?」
思わず感情を爆発させ、声を荒らげる優哉。
静香は驚いたように目を見開いた。
「そんなこと、私に聞かれても知らないわよっ!」
静香は吐き捨てるように言い放つ。
「何でも……恐ろしい妖魔と裏で手を組み、帝に対する謀反を企てているらしいわ」
「そんな……っ!」
優哉は強く拳を握りしめた。
「千鶴様が……あの千鶴様がそんな恐ろしいことを企むはずがないだろうっ!!」
怒りと動揺のあまり、怒号を飛ばす。
「そんなこと、私には関係ないわっ!…それに、私のお腹にあなたの子がいるのよ!」
静香は怯えたように言い捨てる。
「……千鶴様……っ」
優哉は呆然と立ち尽くし、胸を締め付ける強烈な胸騒ぎに打ち震えた。
都から遠く離れた千鶴に迫る、途方もない陥穠と罠。
次の瞬間――優哉は感情のままに屋敷を跳び出していた。
「千鶴様……っ! 千鶴様ぁぁぁっ!!」
その名を必死に叫びながら、優哉はなりふり構わず都の街道を無我夢中で駆け抜けていった。
「行かないで!優哉」
静香の叫び声が京の街に響き渡った
――東の街道街。
「姉上……っ!」
馬車を降りて街の奥を検分していた風磨が、建物の影から千鶴へ向かって声を上げた。
「ちょっと、こちらへ来てくださいっ!」
「風磨……!?」
千鶴が急いで声のする方へ駆け寄る。
風磨は、立派な一軒の大きな屋敷の前に立っていた。
「ここです」
そう言って、風磨は躊躇いもなく屋敷の中へ入っていく。
「ちょっと……勝手に人様の家に入り込んで……」
千鶴は呆れながらも、弟の後を追って屋敷の中へと足を踏み入れた。
「風磨?」
「こちらです」
風磨は奥の座敷の前に佇んでいた。
千鶴がその部屋へと一歩踏み込んだ瞬間――。
「……何か、おかしいと思いませんか?」
風磨が低く切羽詰まった声で尋ねた。
「え……?」
千鶴が部屋の中を見回し、絶句する。
そこには、まさに食事の最中であったと思われる食卓が残されていた。
器に盛られた料理はそのまま残され、時の経過によって哀れに腐敗している。
湯呑みには水が干からびずに残り、箸も膳の上に置かれたままであった。
まるで――そこで穏やかに生活していた人間たちだけが、一瞬にしてこの空間から掻き消えてしまったかのように。
「……なに、これ……」
千鶴の背筋を、ぞっとするような冷たい戦慄が駆け抜ける。
「他の家も……すべて同じような惨状でした」
風磨が苦々しい表情で告げる。
「人は一人としていないのに、家の中には直前までの生活の痕跡だけが完璧に残されているんです」
「……まるで、突然姿を消されたみたいに……」
「ええ」
風磨は重々しく頷いた。
「人間だけが、煙のように消え去ったのです」
千鶴は溢れ出る恐怖を抑え込み、無言で異様な部屋を見つめた。
その時――。
「……それと姉上、もう一つ気になる場所があります」
「気になる場所……?」
「はい。こちらです」
風磨は屋敷を抜け出し、速足で歩み始めた。
千鶴も息を呑みながら後を追う。
街の奥へと進んだその先で――。
「……なんなの、ここ……」
千鶴は目の前に広がる絶望的な光景に、言葉を失った。
街の中央に、巨大な黒い岩塊がそびえ立っていた。
ただの岩ではない。周囲の家屋を無惨に叩き潰し、なぎ倒しながら、まるで天から降り注いだかのように街のど真ん中へ深く突き刺さっているのだ。
崩壊した家々の瓦礫が道に散乱し、惨劇の凄まじさを物語っている。
「こんなもの……一体いつから……?」
千鶴が引き寄せられるように岩へと歩み寄ろうとした、その瞬間――。
「――あなたが、八神千鶴?」
背後から、冷たく透き通った女の声が響き渡った。
千鶴の足がピタリと止まる。
風磨も即座に振り返り、腰の刀に手をかけた。
そこに佇んでいたのは――。
異彩を放つ仮面でその顔を覆い隠した、一人の女であった。
その身体からは、肌を刺すような禍々しく巨大な妖気が溢れ出している。
千鶴の肩の上で、封狐が鋭い威嚇の声を上げ、全身の毛を逆立てた。
「……あなた、何者なの?」
千鶴は強い意志を宿した瞳で女を見据える。
仮面の女は、嘲笑うように静かに首を傾げた。
「ふふ……首を長くして待っていたわよ」
仮面の奥から響く声には、冷酷な不気味さが満ちていた。
東の街から突如として消えた住人たち。
街を惨激に巻き込み突き刺さる巨大な岩塊。
そして、都で動き出した八神千鶴への「討伐令」。
すべての糸を引くかのように、仮面の女は冷ややかな殺気を孕んで千鶴を見つめていた。




