第5話 継承者と覚悟の刃
「……聖良」
九十九は激しい吐息で胸を上下させながら、どうにか膝を伸ばして立ち上がった。
「お前……一体何者なんだ」
白鳥聖良は静かに九十九を見つめ返した。
「私は――」
一瞬だけ、九十九の腰にある黒刀へ冷ややかな視線を落とす。
「その黒刀の『継承者候補』。三人いる候補者のうちの一人よ」
「継承者……候補……?」
九十九は眉をひそめた。
「そもそも……その黒刀ってなんなんだよ?」
聖良は心底呆れたように、ハァと大きなため息をつく。
「……信じられないわ」
その声音には、絶句と怒りが混ざり合っていた。
「そんな基本的なことすら知らずに、あの刀を抜いたの? ……黒刀は、かつて世界を滅ぼしかけた九尾の王を封じるための退魔の剣。封印できないほど強大だった九尾の力を十の欠片へと切り分け、その一つひとつを繋ぎ止めた『楔』なのよ」
九十九は息を呑む。
「……町の人間を、全員生贄にして……か?」
聖良は即座に首を横に振った。
「違うわ。私が聞いているのは、町の人たちの『力』を借りて封印した、ということだけ」
「どうやって力を借りたんだ? 」
さらに問い詰める九十九に対し、聖良はほんの少しだけ視線を泳がせ、表情を曇らせた。
「うるさい……うるさい、うるさい」
聖良は少し取り乱し
やがて彼女は毅然とした真剣な眼差しで、九十九の黒刀を見据えた。
「だから、その黒刀を渡しなさい。そこには町のみんなの想いが宿っている……あなたみたいな素人が気安く触れていいものじゃないの」
九十九は鞘の上から、黒刀を強く握り締めた。
「断る」
その一言だけは、一切の迷いがなかった。
「俺は……由香を助ける。そのためには、この刀が必要なんだ」
聖良は静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……そう」
目を開いた瞬間、彼女の雰囲気が一変する。
「なら――力ずくでも返してもらうわ」
シュッ――!
次の瞬間、聖良の姿が視界から消えた。
「えっ――!?」
驚愕する間もなく、すでに聖良は九十九の極小の懐へ潜り込んでいた。
ガゴォンッ!!
掌打。すさまじい衝撃が九十九の腹部を穿つ。
九十九の身体がフワリと宙に浮いた。
「ぐっ……!?」
そのまま数メートル吹き飛ばされ、背中から大木へ激突する。肺の空気が残らず一気に押し出された。
「これ以上、無駄な怪我をしたくないなら」
聖良は一切の乱れもない動作で、淡々と言い放つ。
「黒刀を渡しなさい」
「ふ……ふざけんな……っ!」
九十九は血の混じった唾を吐き捨て、苦しそうに立ち上がった。
そして、ゆっくりと黒刀の柄へ手を添える。
「だったら……っ!」
シュン――!!
黒刀を一気に引き抜く。
黒く美しい刀身が姿を現した瞬間――。
ズルリ……!
無数の禍々しい黒い腕が溢れ出し、九十九の腕、胸、首筋へと絡みついていく。
『憎い……!』
『殺せ……!』
『返せ……返せぇぇっ!』
怨嗟の声が脳内を埋め尽くし、九十九の髪が銀色へと染まる。瞳が白銀に輝き、理性がメキメキと砕け散っていく。
「ぐあああああぁぁぁっ!!」
理性を失った獣の咆哮を上げ、九十九は聖良へと一直線に突進した。
「……だから、言ったでしょう」
聖良はどこまでも冷静だった。
襲い来る九十九の攻撃を最小限の動作でかわすと、制服の袖口から一枚の紙の呪符を取り出し、九十九の胸元へと素早く貼り付けた。
「――雷」
バチィィィィッ!!
眩い紫電が九十九の全身を駆け抜ける。
「がぁぁぁっ!?」
身体が激しく麻痺し、九十九はその場へ崩れ落ちた。手から黒刀が滑り落ちる。
聖良は静かに近付き、地面の黒刀を拾い上げた。
「これは返してもらうわ――」
その瞬間だった。
ズルリ……!
黒刀から這い出した黒い腕が、今度は聖良の細い腕へと容赦なく巻きついた。
『憎い……!』
『殺せ……!』
『苦しいよ……!』
頭の中ではなく、彼女の魂へ直接響き渡る絶望の叫び。
「っ……!?」
聖良の整った顔が、激痛と恐怖で歪む。
「な、なに……これ……っ!?」
あまりの怨念の重さに耐え切れず、聖良は悲鳴を上げて黒刀を投げ捨てた。
宙を舞う黒刀。
地面へ落ちる寸前――麻痺に耐えて這い出してきた九十九の手が、その柄をしっかりと掴み取った。
再び、九十九の脳内へどす黒い憎悪の波が押し寄せる。
だが、九十九は血が出るほど歯を食いしばり、魂の底から叫んだ。
「お前たちの想いは……っ!」
黒刀を指が白くなるほど強く握り締める。
「お前らの恨みも、呪いも⋯⋯全部……俺が引き受けるっ!!」
「うおおおおぉぉぉぉぉっ────────っ!!」
山を揺らすほどの雄叫びが響き渡った。
その瞬間。
黒刀を包んでいた禍々しい黒い靄が、まるで朝もやに光が差し込むように、スーッと静かに消え去っていった。
聖良は目を見開いた。
「……何、それ……」
理解できない。あり得ない。あの怨念の塊を、気合い一つで抑え込んだというのか。
だが、考えている時間は与えられなかった。
「まあ……いいわ!」
聖良は指の間に三枚の呪符を挟み、構える。
「三点轟雷っ!」
空中に放たれた呪符から、三本の極太の雷撃が一直線に九十九を襲う。
九十九は静かに、そして自然体に黒刀を構えた。
――一閃。
ドカァンッ!!
轟く雷撃が、まるで紙切れのように真っ二つに切り裂かれた。
「えっ……!?」
驚愕に目を見張る聖良の懐へ、九十九は一瞬で踏み込んでいた。
九十九は刃を返すと、黒刀ではなく――その重厚な『鞘』を力任せに振り抜いた。
ゴッ!!
鈍い打撃音が響く。
聖良は錫杖で鞘を防いだが華奢な身体は大木へと叩きつけられ、そのまま動けなくなった。
「はぁ……はぁ……」
九十九は静かに黒刀を鞘へと納めた。
銀色に染まっていた髪と瞳が元の黒へと戻り、張り詰めていた緊張が切れて一気に全身の力が抜けていく。
「……由香……」
その名を呟いたまま、九十九もまた、糸が切れた人形のように地面へ倒れ込んだ。
――どれほど眠っていたのだろうか。
九十九が重い目を開けると、隙間なく生い茂る木々の隙間から、茜色の夕暮れの光が差し込んでいた。
目の前には、泥を払った聖良が立っていた。
彼女は静かに九十九を見下ろし、小さく息を吐く。
「……いいわ」
腕を組み、少しだけ悔しそうに薄い唇を噛む。
「今は……その黒刀をあなたに預ける」
そう言って、九十九の腰の刀へと真っ直ぐな視線を向けた。
「でも、覚えておきなさい。いつか必ず……その刀は私のものにしてみせるわ」
凛とした言葉を残し、聖良は一度も振り返ることなく森の奥へと姿を消していった。
九十九が安堵の息をついた、まさにその時だった。
「のんびり感心している場合じゃないぞ」
頭の上から聞き慣れた声がした。
黒狐――コンだった。
その金色の瞳は、今までになく険しく光っている。
「……お前の家の近くから、嫌な妖魔の気気配がする」
「なっ……!?」
九十九の表情が一変する。
限界を迎えていた体に鞭を打ち、泥を払いながらゆっくりと立ち上がった。
「……行くぞ、コン!」
黒刀の柄を強く握り直し、九十九は夕闇の迫る道を再び駆け出した。
新たな戦いの火蓋が、すぐそこまで迫っていた。




