第4話 黒刀の試練と謎の少女
「……東って言われても、どこへ行けばいいんだ?」
九十九が頭をガシガシとかきながら呟く。
すると、黒刀の鞘の横に佇んでいた黒狐――コンが呆れたように「フン」と鼻を鳴らした。
「黒い袋の中をちゃんと見ろ。まだ何か入っているはずだ」
言われるがまま袋の中をゴソゴソと探ると、一枚の古びた紙が指先に触れた。
慎重に取り出して広げる。
それは、長い年月を経たように全体が黄ばんだ、一枚の古地図だった。
日本地図らしき絵柄の上には、赤い墨で描かれた妖しげな印が八か所、点々と刻まれている。
「……これが、封印の場所か」
九十九は指先で赤い印をなぞる。
「ここを順番に巡っていけばいいってことだな?」
コンは静かに首を縦に振った。
「おそらくそういうことだろうな」
――その時だった。
「ぬ……あれは何じゃ!?」
隣から驚愕の声が上がる。
九十九が慌てて振り向くと、由香の身体を借りた瑠璃姫――いや、クラマが目を輝かせながら道路を見つめていた。
「ハコが……ハコが勝手に走っておるぞっ!?」
彼女が指差した先を、一台の乗用車がエンジン音を響かせて走り抜けていく。
「いや、あれは車だよ」
九十九が説明しようとした、その瞬間――。
「ほう……」
クラマは不敵にニヤリと口角を上げた。
「つまり……このわらわに速さ比べの勝負を挑んでおるのじゃな!?」
「違う違う違う、絶対違うから!!」
クラマが着物の裾を翻し、勢いよく車道へ飛び出そうとする。
九十九は冷や汗を吹き出させながら、彼女の制服の襟首を掴み、力任せに後ろへ引っ張り戻した。
「いたっ!?」
尻もちをついたクラマは、不満そうに「むぅ」と頬を膨らませる。
「何をするのじゃ九十九! 邪魔立てするな!」
「あれは乗り物! 人を乗せて運ぶための機械、道具だ!」
「ほう……」
クラマは胸の下で腕を組み、しばらく「むむむ」と考え込む。
「なるほど、人間の籠のようなものか」
妙な納得をしたあと、彼女は急に表情を和らげ、
「……それより、腹が減った」
とお腹を押さえながら、ぽつりと呟いた。
「不思議なものじゃな。人間の身体へ入ってからというもの、人間を食べたいとはまったく思わなくなったぞ」
その言葉を聞いた瞬間、九十九は胸を撫で下ろし、心の底から安堵の息を漏らした。
(よかった……本当によかった……!)
もし万が一「お腹が減ったから人間を喰う」とでも言われたらどうしようかと、本気で生きた心地がしていなかったのだ。
「……とりあえず一回、俺の家へ帰ろう。飯を作る」
九十九の家。
台所に立った九十九は、炊きたてのアツアツのご飯を使って、大きなおにぎりを手早くいくつも握った。
具のない、塩だけの素朴なおにぎりだ。
「ほら、食ってみろ」
「ぬ……」
クラマは恐る恐るおにぎりを一つ受け取ると、小さな口で一口かじる。
「…………」
数秒間の沈黙。
「う、美味いぃぃぃっ!!」
パァァッと瑠璃色の目を輝かせる。
「なんじゃこれは! 米とは……米とはこれほどまでに美味いものだったのか!?」
感動に震えながら、クラマは二口、三口と怒涛の勢いで頬張り始めた。
「まだたくさんあるから、焦らずゆっくり食べろよ?」
そう九十九が言い終わるか終わらないかの直後だった。
「んぐっ……!?」
クラマの顔がみるみるうちに真っ青になる。
「げほっ! ぐほっ……!」
案の定、喉に詰まらせたらしい。
九十九は慌ててコップ一杯の水を汲み、彼女の口元へ差し出す。
クラマはそれを引ったくるように一気に飲み干すと、「はぁぁぁっ!」と大きく息を吐き出した。
「し、死ぬかと思ったぞ……」
「だからゆっくり食べろって言ったろ……」
横で見ていたコンは、呆れ果てたようにバシバシと尻尾を振っていた。
食事を終え、一息ついたところでクラマが尋ねる。
「して、これからどうするのじゃ?」
九十九は古びた地図をテーブルの上に広げた。
「地図によると、一番近くにある印は……S玉県の神代町だ。まずはここを目指す」
すると、それまで静観していたコンが真顔になった。
「その前に、一つ聞かせろ」
「ん?」
「お前は、その黒刀をまともに使えるのか?」
九十九は言葉に詰まり、黙り込む。
しばらくの不気味な沈黙のあと、小さく首を横に振った。
「……正直、分からない」
「話にならんな」
コンは即答した。
「そんな無防備な状態で次の封印の地へ向かってみろ。妖魔に喰われて犬死にするだけだぞ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!?」
「最低限、己の意思で黒刀を扱えるようになれ」
コンの金色の双眸が、射抜くように九十九を見つめる。
「修行だ」
「……言っておくが、俺の指導は厳しいぞ」
九十九は迷いを捨てるように、静かに、そして深く頭を下げた。
「頼む……教えてくれ」
食器の片付けを終える頃には、お腹がいっぱいになったクラマはソファの上で猫のように丸くなり、すやすやと心地よさそうな寝息を立てていた。
九十九はそっと彼女の体に毛布をかけてやる。
「行くぞ」
コンに促され、二人は近所の山林へと向かった。
木々に囲まれた、人通りのない静寂に包まれた森の中。
コンは地面に立てかけられた黒刀を見つめながら言った。
「まずは……鞘からほんの少しだけ刀を抜いてみろ」
九十九はゴクリと唾を呑み込み、柄へとゆっくり手を伸ばす。
深く息を吸い、吐く。
カチリ、と静かな音がして鍔が外れる。
ほんの数センチだけ、黒く美しい刀身を覗かせた――次の瞬間だった。
ズルリ……!
漆黒の気味悪い腕が、刀身から這い出してきた。
『憎い……!』
『殺せ……!』
『返せ……返せぇぇっ!』
『苦しい……苦しいよ……!』
頭蓋骨を直接揺らすような、無数の怨嗟の声が脳内へとなだれ込んでくる。
「ぐっ……があぁぁっ……!」
九十九の膝がガクガクと激しく震え出す。
意識が、どす黒い闇の底へと引きずり込まれそうになる。
「馬鹿者っ!!」
コンの喝を入れる怒声が木霊した。
「恐れるな! 恐怖に心を呑まれれば、一瞬で魂まで喰い尽くされるぞ!!」
「くっ……うぁぁぁぁっ!!」
九十九は歯が折れんばかりに噛み締め、震える腕に死ぬ気で力を込めた。
滑り出ようとする刀身を力任せに押し戻す。
ガチャン――!!
黒刀が完全に鞘へと納まった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
九十九の全身から、滝のような冷や汗が吹き出す。
その場に膝をつき、地面に手をついて荒い息を繰り返した。
「これほど……なのか……っ」
刀を数センチ抜くだけで、これほどの精神を削られるとは。
――その時だった。
「……やっぱりね」
聞き覚えのある、凛とした少女の声。
「あなたには、到底無理よ」
九十九は弾かれたように勢いよく振り返った。
木漏れ日が差し込む木々の向こう側に、一人の少女が立っていた。
風になびく美しい長い髪。胸の下で腕を組み、冷ややかな視線でこちらを見下ろしている。
生徒会長――白鳥聖良だった。
だが、今の彼女の瞳には、学校で見せる厳格な生徒会長の面影はなかった。
世界の裏側を知る者だけが宿す、鋭く澄み渡った光が、彼女の双眸で怪しく輝いていた。




